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嫁とり三番勝負
しおりを挟むマリエットの従者たちが、マリエットに命じられてレミニアを連れてやってきた。
マリエットやクラウスにその面立ちはどことなく似ている。
フィルシャワ家の血筋の顔立ちなのだろう、儚げにして可憐、まさしくこれぞ貴族令嬢──という女性である。
「はじめまして、レミニア様。エニードと申します。この度は、私との勝負を受けてくださることを感謝します」
「レミニアと申します、エニードさん。エニードさんが負ければ、クラウス様の元からいなくなってくださるとか。それはとてもお可哀想なことですが、私もクラウス様に恋をしています。ですので、負けられません」
なんとも健気な様子で『恋』と口にするレミニアを苛立たしげに睨みつけて、クラウスは腕を組んだ。
「フィルシャワ家は過去、困窮する我が家と母を見捨てた家だ。父の不貞に母が助けを求めても、それはお前の責任だといって取り合わず、金の援助もしてくれることはなかった」
当人たちをまえにずいぶんはっきりものを言うものだと、エニードはクラウスの言葉に驚いた。
クラウスという人は、もっと優しい──言葉を選んで話す人だと感じていた。
少なくともエニードに対してはそうで、ラーナやジェルストにも公爵閣下とは思えないぐらいに腰が低かった。
「それが今になって、フィルシャワの娘を──それも、私の従兄妹にあたるレミニアを妻にしろなどと。私が商売で成功したからだろう。金と、ルトガリアの名と、それから……そうだな、国王陛下と懇意にしていることもあるのだろうな。薄汚い打算だ」
「まぁ、クラウス! なんて失礼なことを言うの!? ごめんなさいね、レミニアさん。クラウスは少し、歪んでいるの。なにせ父親が、あれだもの」
「分かっております、お義母様。クラウス様のお心を穏やかにするのも私の役目と心得ております。私の愛で、きっと、クラウス様の疑いも晴れましょう」
「黙れ。迷惑だと言っているのが分からないのか。エニード、こんな者たちの相手をする必要はない」
クラウスはまだ、エニードとレミニアの勝負に納得がいっていないのだろう。
エニードの背に手を置いて、家の奥に戻るよう促そうとする。
エニードはその手を逆手にとって羽交い絞めにする要領で掴むと、優しく握りなおしてクラウスにぐいっと体を近づける。
ダンスの男役の時に、女性の体に覆いかぶさるようにして倒して固定するポーズである。
「クラウス様、私を信じて」
「あ、あぁ……」
「乙女ですか、クラウス様」
「エニード様、素敵」
「エニード様、信じます……!」
真っ赤になってこくこく頷くクラウスの様子に、キースが困ったように嘆息して、侍女たちはきゃあきゃあと盛り上がった。
「もうクラウスやルトガリア家の者たちを手懐けているのね……地味なくせに。さっさと追い出してやるわ、この女狐!」
「女狐。熊と言われることは多いですが、女狐ははじめてです。最近では、女豹と呼ばれたでしょうか。女狐よりは豹ですね。私は強いので」
「意味のわからないことを……!」
「女豹とは一体……!? エニード、いつどこで、誰に言われたのだ……まさか、私以外の男に、女豹のような振る舞いを」
マリエットが苛立ち、クラウスがうろたえている。
狐か熊か豹かと言われたら、豹だと思ったのでそう伝えただけである。
狐も素早いが、強さでいえば豹の方が上だ。先に女狐と言ったのはマリエットなのに、ただ訂正しただけでそこまで怒らなくてもなと思いながら、エニードは捨てられた子犬のような顔をしているクラウスの背中をぽんぽん叩いた。
「──それで、勝負の内容はいかがいたしましょうか。私が考えてもいいですし、クラウス様に考えて頂いてもいいですが、それでは不公平だと思われそうですから。ここはひとつ、お義母様に考えていただくということで」
「私はお前の母ではないわ。軽々しく呼ぶのではないわよ」
マリエットは意地悪く口角を吊り上げた。
いいことを思いついた小悪党の顔である。マリエットは量産型悪人ではないだろうが、それに近いものがあるのかもしれない。
「まぁでも、勝負の内容を決めていいというのなら、決めさせてもらうわ。まずは、マナーからね。淑女たるもの、頭に本を乗せても真っ直ぐ歩けなくてはいけないわ。グラスの水も乗せましょう」
「エニードさん。私、昔から頭に本とグラスの水を乗せて歩く練習をしておりますの。きっとあなたにはできないことだと思いますので、先に負けを認めてもよろしいのですよ」
「いえ。頭に、本と水ですか。何故そのようなことを……? 体幹を鍛える訓練でしょうか」
今度部下たちにもやらせてみようかと思いながら、エニードは首を捻った。
あまり訓練にならなそうだが、どうなのだろう。
エニードたちは玄関前のホールから、パーティー用に使用される一階の大広間に移動した。
マリエットの背後には従者たちが侍り、エニードの傍にはクラウスと、キースやルトガリア家の者たちが侍り、成り行きを心配そうに見守っている。
「ただの水というのもつまらないわね。グラスの中身を、葡萄酒にしておいたわ。もしこぼしたら、頭から葡萄酒を被ることになって悲惨でしょうね。そんな姿を見せたくないなら、尻尾を巻いてお逃げなさい」
「エニードさん、諦めるなら今ですよ」
「いえ……これで勝負になるのかどうかわかりませんが、勝負の内容がこれでいいというのならば、お受けしましょう」
これでは──勝負にならないのではと、エニードは思う。
何故皆、はらはらとエニードの様子を見守っているのだろうか。
もちろんエニードは、頭に本とコップを乗せて歩いたことはない。
ないのだが──。
「では、はじめ!」
レミニアと並んだエニードの頭に、本が数冊と、それからグラスに赤葡萄酒が入った物が乗せられる。
レミニアは儚げな美貌を、やや苦しそうに歪ませた。
エニードは頭にずしりとした重みを感じながら一歩足を前に進めて、それから──走り出した。
邪魔なドレスのスカートを摘まんで、軽やかに、それこそ豹のように大広間を駆ける。
頭の本やグラスは微動だにせず、エニードの体だけが動いて一瞬で侍女たちが待つゴールまで行きついた。
そしてのろのろと歩いているレミニアを振り返り、眉を寄せた。
「これは、速さを競う競技ではないのですか。得意だと聞いていたのに、何故そのようにゆっくりと歩いているのですか。私に遠慮はいりません」
もしかしてレミニアは本当はクラウスと結婚したくないのでは。
フィルシャワ家の父に厳しく言われて、ここに来ているのではと──エニードは疑った。
だからわざと負けようとしているのか。それは、可哀想だ。
「勝者、エニード様!」
キースが嬉しそうに手を叩き始める。
呆気にとられた顔をしていた侍女たちが、エニードの頭からグラスと本を取り除くと、「エニード様、格好良い!」「お素敵です!」と言いながら、エニードに駆け寄ってくる。
クラウスは瞳を潤ませながら「エニード、可憐だ……」と感動している。
エニードはそんなクラウスをじっと見つめながら、今の動きはどう考えてもセツカだろう、まだ気づかないのかと、若干諦めの境地で考えた。
「今のは、どう考えても詐欺だわ! 何かずるをしたに違いないわ、本とグラスを頭にのせて走れるわけがないじゃない!」
「そ、そうですよ……! 本もグラスもルトガリア家で用意したものです、何かがおかしい……あっ!」
憤慨するマリエットにつられたのか、レミニアも怒り始める。
感情が高ぶったせいかふらついて、本が頭からばさばさと落ちた。
グラスがひっくりかえりレミニアの頭に落ちそうになったのを察知したエニードは、素早く彼女に駆け寄ると、ぱしっとグラスを手にして、彼女に赤葡萄酒が降り注ぐことを防いだ。
「大丈夫ですか」
「……っ、あ、ありがとうございます」
「それはよかった」
床に落ちる前に本を片手でキャッチして、グラスを手にしたエニードは、それを侍女たちに返した。
侍女たちが更に「素敵です」「格好良い」と褒めてくれるので、エニードは軽く頷いた。
こういう反応はセツカの時に散々されているので慣れているのだが、ルトガリア家の者たちが喜んでくれるのは嬉しいものである。
「レミニアさん、なにをぼんやりしているの!? 次は勝たなくてはいけないわ!」
「は、はい、お義母様……!」
レミニアも大変だなと、エニードは思う。
貴族令嬢というのはエニードが例外なだけで、皆家のために生きているのだろう、きっと。
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