上 下
39 / 55

破談のすすめ

しおりを挟む


 エニードの淑やかで大人しい態度に気を大きくしたのか、マリエットは何故か勝ち誇ったように扇で口を隠しながらころころと笑った。

「挨拶など必要ないのよ。だって、あなたとは二度と会うことなどないのだから! クラウス、この結婚、今すぐ破談になさい」
「何を言っているのですか、母上。……あなたなど母とも呼びたくないが。あなたの言う通りに、生活に困らない程度の金は毎月渡している筈です。住む場所も、ルトガリアの別宅を与えました。私の人生の邪魔をするのはやめてください」

 破談という言葉に、クラウスはとうとう激怒した。
 激怒といっても、声を荒げるわけではなく、その顔からは表情が抜け落ちて、瞳孔が収縮している。
 人が怒るときには、いくつかの感情の発露の種類がある。

 激高する者もいれば、冷静になる者もいるし、笑い出す者もいる。様々だ。
 クラウスは冷静になるタイプなのだなと、エニードはクラウスの顔を眺めた。
 それにしても、噂にたがわず中々強烈な人だ。マリエットという女性は。 

「邪魔なんてしていないわ! 大切な息子の邪魔をするわけがないじゃない。よく知らない伯爵家の女を娶るなんてどうかしているわよ。ルトガリア家は王家の信頼もあつい、由緒正しい家柄よ」
「ルトガリア家の血筋を継いでいるのは私であって、あなたではない」
「その血を与えたのは私だと言っているのよ。お腹を痛めて生んだ子よ、あなたの幸せを私は望んでいるの」
「御冗談を」
「冗談ではないわ。フィルシャワ家の兄が、自分の娘とあなたに結婚をさせたいと言っているの。半年前にも紹介したでしょう? レミニアよ。一目見た時からあなたに恋をしたそうで、まだ誰とも婚約もせずにあなたを待っているわ」
「エニードの前で余計なことを言うな……! 彼女が傍にいてくれるだけで、今の私には奇跡だというのに……! すまない、エニード。この女の話は聞かなかったことにしてくれ。すぐに追い出すから、部屋で待っていて欲しい」

 クラウスはエニードに向き合うと、両肩に手をおいて心配そうにエニードの顔を覗き来んだ。
 顔にへばりついた怒りは消えている。
 自分を見失う程に怒っているというわけではないようだ。
 こんな状況でもエニードを気遣ってくれる、よい夫である。
 よい夫のために、エニードはよき妻であらねばならない。

 騎士として。そして一人の人間として。
 エニードはクラウスやルトガリアの侍女たちや、皆を守ると誓ったのだ。
 エニードと言う名の大船に皆を乗せたわけだから、その航海は、嵐に見舞われようが、凪が起ころうが、速やかに順調であるべきである。

「あなた、エニードと言ったわね。今日はレミニアを連れてきたわ。フィルシャワ家を知っているわね、もちろん。あなたのような弱小貴族などとてもかなわない家よ。恥をかくまえに、さっさと出ておいきなさい」
「──お義母様。出ていくのはやぶさかではないのですけれど」
「エニード、そんなことを言わないでくれ。私が君を守る。私には君だけだ、どうか信じて欲しい……!」

 エニードは、必死な様子のクラウスの両手を握って、力強く頷いた。
 大丈夫だと心を込めて。にっこりと微笑んだ。つもりである。
 クラウスは頬を染めて、瞳を潤ませた。エニードの笑顔の意味が分かったらしい。
 クラウスはエニードの笑顔を笑顔と認識してくれるのだと、気づいた。
 それはとても珍しいことだ。いつも微笑んでいるつもりでも、無表情だと言われるのに。

「私も、ただ出ていくというのは納得がいきません。お義母様が私を認めないという気持ちは理解しました。私は確かに伯爵家の娘で、フィルシャワ侯爵家とは比べることもできません。ですが、私にも意地、とうものがあります」
「伯爵家の娘の意地など、考慮する必要もないものよ」
「そうかもしれませんが、一つ、お願いがあります」
「願いとは?」
「レミニア様がいらっしゃっているのですね。是非、この場に連れてきてください。そして、どちらがクラウス様の妻に相応しいのか──奥方の座をかけて、勝負をいたしましょう」

 勝負となれば、エニードには勝つ自信がある。
 もちろん決闘をするわけにはいかないが。
 どちらが相応しいかで押し問答するよりは、さっさと勝負をして勝敗を決めてしまった方が話が早い。
 ただここで、自分の方がクラウスに相応しいと言葉だけで主張したところで、何の証明にもならないのだから。

「勝負ですって……?」
「エニード、そんなことはしなくていい。私の妻は君だけだ」
「確かにそれはそうですが、だからといってお義母様は納得されないでしょう。私とレミニア様が勝負を行い、私が負けたらこの結婚は破談として、私はルトガリア家を去ります」
「あなたのような女が、侯爵家の娘として完璧に育てられたレミニアに勝てるとでも思っているの?」
「勝負は、やってみなくてはわかりません。そして、勝負の前には皆が平等なのです。それとも、お義母様のお連れになった方は、私には勝てないと、お義母様は思っているのでしょうか。戦う前から、負けると考えているのですか」
「そんなわけがないじゃない! 分かったわ、受けてやるわ、その勝負とやら。さっさと負けて、泣きながらクラウスの元を去りなさい!」

 これは──いい判断だ。
 エニードは自分の思い付きを、心中で称賛した。
 頭の中のラーナも「エニード様、ルトガリアの奥方に相応しいふるまいです。特に暴力に訴えないところがすばらしいです」と褒めている。
 ジェルストも「エニード様、教育的指導だと殴らなかったのが素晴らしいです!」と泣きながら手を叩いてくれている。

「エニード、勝負など……。私は、君には迷惑をかけたくない。私が君を守らなくてはいけないのに」
「クラウス様、ご安心を。夫婦というものは、困難に二人で立ち向かっていくものです。私はあなたを守ります。私は大船、そして強い。あなたの為ならどんな城も落とすと約束しました。妻として」
「エニード……」
「えっ……城……?」

 今まで静かに成り行きを見守っていたキースが、戸惑いの声をあげる。
 遠巻きに見ていた侍女たちも「城?」「お城?」と、小さな声で口にした。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?

112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。 目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。 助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

処理中です...