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クラウスの悩み
しおりを挟むフィロウズに会い気合を入れ直したクラウスは、およそ一週間ぶりにルトガリア家に戻ってきていた。
エニードが週末には戻ると言っていたためである。
その週末は今日なのか明日なのか明後日なのか。
そわそわと部屋の中を歩き回り、何度も鏡を見ては自分の姿を確認するなどした。
「クラウス様、エニード様を何故馬車でお連れにならなかったのですか」
そんなクラウスの様子を眺めながら、家令のキースが言う。
キースは、クラウスが商売をはじめた時に孤児院でみつけてきた少年で、今はすっかり青年になっている。
この家をまだ母が支配していたとき、家の中には信用できない者ばかりだった。
不思議な物だが、不誠実な者の傍には不誠実な者が集まるのである。
ルトガリア家には金などなかったのだが、世間知らずな母の周りに花に群がる虫のように集まり、阿り、多額の借財を作らせて甘い蜜を吸っていた。
誠実で賢明な者たちは、離れて行ってしまった。
クラウスには信頼できる片腕が必要だった。全てを一人で行うことは無理がある。
クラウスが王都に行っている間に、領地をクラウスの代わりに治め、父や──家から別宅に追い払った母から家を守ってくれる者が必要だったのだ。
キースはとある貿易商の家に生まれた。魔物使いの操る魔物がキースの家を襲い、皆、殺された。
キースが生き残ることができたのは、両親や使用人たちがその身を挺してキースを庇い、逃がしてくれたからだという。
その後孤児院に拾われたキースとクラウスが出会った時、キースはまだ十歳だった。
十歳だというのに聡明で、頭の回転が速く読み書きも計算も大人以上に行うことができた。
片腕が欲しかったクラウスは、孤児院からキースをもらい受けた。
今はもう十六歳。
黒髪に灰色の瞳、銀縁の眼鏡をかけた少年である。
「エニード様に謝罪をしに、王都に向かわれたのではないのですか、クラウス様。せっかくルトガリア家に嫁いでくださったのに、初夜の次の日に逃げられてしまうだなんて。一体何をしたのかと、侍女たちも使用人たちも心配しておりますよ」
クラウスは、エニードに何をしたのかを家の者たちには話していない。
キースにさえ、セツカに片思いしていたことは秘密にしているのだ。
もうセツカへの気持ちは整理がついた。だから今更蒸し返すつもりはないし、誰かに言うつもりもない。
セツカに恋をしていた過去はエニードと一部の者には知られてしまったが、もう後は静かに蓋をして、墓場まで持っていくつもりでいた。
そういうわけであるから、クラウスはエニードを傷つけた理由を皆には話していない。
キースや家の者たちは、初夜にクラウスがなにかひどいことをしたと思っているようだった。
あながち間違ってはいないが、ひどいことの種類が違う。
クラウスはエニードにまだ、そういった意味では触れていないのだ。
「だから女遊びの一つや二つぐらいはしておいたほうがいいと申し上げていたのです。二十七年間も女性の影さえなかったのですから、妻を相手に褥の作法もままならず、怒らせてしまったのではないですか」
「そうだな。その通りだ。エニードには謝罪をして、許してもらった」
「ではどうして共にお帰りにならなかったのですか?」
「用事があるし、一人で帰るから大丈夫だと言われてしまってな」
「言われたとおりに帰ってきた、と」
「……エニードは、意志が強い女性だ。あまり、無理強いして嫌われたくない」
クラウスは額に手を置いて、深く溜息をついた。
確かにキースの言うとおりではある。クラウスもそう思ったので、フィロウズの元から帰り、そのままエニードの家に向かったのだ。
共に馬車に乗ってルトガリア家に戻ろうと誘うために。
だが、家にはエニードは不在で、対応してくれたラーナがにこにこしながら「エニード様なら大丈夫ですよ。一人で馬にのってどこまでも行ってしまう方なのです。エニード様は自由が好きなのです」と言われてしまった。
それを聞いたクラウスは──なんて素敵な女性なんだと、再び感銘を受けたわけだが。
それならばルトガリア家に戻り出迎えの準備をしようと、一人で戻ってきたというわけである。
男としての情けなさは、多少感じる。
キースに呆れられても仕方ないのだが、あまりうるさくつきまとったら、エニードに嫌われてしまうかもしれないと不安だった。
「侍女たちがいうには、礼儀正しく優しい女性だそうですよ。とても健康的で美しく、偉ぶったところのない落ち着いた女性で、ルトガリア家の奥方としてこんなに素晴らしい人はいないというのに。クラウス様ときたら何をしているのかと、皆、嘆いております」
「私もエニードを大切にしたいと思っている。もう、傷つけるようなことはしない。気をつけるつもりだ」
キースはその返答に満足したように頷いたあと「そわそわしていらっしゃる暇があったら、溜まった仕事を片付けてください」と、クラウスを執務室につれていった。
ある程度のことはキースに任せているが、クラウスが目を通さなくてはいけない書類や案件などもある。
特に父や母を黙らせるために与えている生活費などの予算については、クラウスが確認をしなくてはいけない。
母はまだいい。美容と豪遊、若い男を侍らせるために金を使うだけだ。
問題は父である。こちらは、愛人との間に子供が二人いる。
この者たちは時折、ルトガリア家の財産は自分たちにも権利があると主張してくるので厄介だった。
「エニード様がお帰りです!」
父から送られてきた家に寄越す金を増やせという手紙を見て、クラウスは目の前が暗くなるような怒りを抱えていたが、侍女からエニードの帰還を伝えられて、心に花が咲いたように明るい気持ちになった。
急いで家の玄関まで迎えに行くと、エニードは公爵家の門から家の扉までの長い道を、美しい白馬に勇ましく乗って悠然とこちらに向かってくるところだった。
出迎えのために居並ぶ侍女たちが「エニード様」「奥様、素敵」「なんて素敵なのでしょう」とうっとりしている。
クラウスも侍女たちに負けず劣らず、恋する乙女のように頬を染めた。
その姿は神々しく美しく──まるで、女神のように見えた。
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