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クラウスとフィロウズ

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 ◇

 城の中をただ歩いているだけで、クラウスというのは人目をひく男だった。
 本人はそのつもりはないのだが、困ったことに容姿だけは大嫌いな母に似て、幼い頃は女児に間違われるぐらいに愛らしかった。

 母は自分の美貌を誇っている女だった。
 だが、父はもっと素朴な女性が好きだったようで、母がクラウスを産むと役目は終わったと言わんばかりに、公爵家から愛人を連れて出て行った。

 この愛人というのは、父が幼い頃から公爵家に仕えていた使用人の子供で、ずっと父の側にいたメイドだというのだから、困ったものである。
 気位の高い母は当然深く傷ついた。
 嫁いだ当初から愛されていなかったのだと思い知り、夫が帰らないのをいいことに、放蕩に耽った。

 朝から浴びるように酒を飲み、芸術家気取りの男や、俳優崩れの男を何人も侍らせていた。
 
 クラウスはそれを見て育った。
 母からは「お前は美しいけれど、あの男の子供だと思うと憎たらしいわ。顔を見せないでちょうだい」と拒絶され、「まるで女みたいな顔をしているわね。気味が悪い」と嫌われた。

 父は家に帰ってくることがほとんどなく、戻ってきたと思えば、家令がきちんと貯めていてくれた金を持ってすぐにいなくなった。

 クラウスが十五歳になる頃には、公爵家の貯蓄はほぼ底をつき、金がないからと借金まで作っていた。
 
 このままでは公爵家は没落を免れない。使用人たちに支払う給金にさえ困る有様だ。
 そこでクラウスは商売を始めることにした。
 公爵家では誰にも構われるようなこともなく、時間だけが有り余っていたクラウスは、その時間でずっと本を読んでいたので知識だけは豊富にあった。

 その中でクラウスが好きだったのは、冒険者グレイハウゼンの冒険という物語である。
 彼は貴族でありながら、王国の各地を剣一本で冒険して回っていた。
 
 その冒険譚の中で、グレイハウゼンは火を起こしたり、切り傷の治療に、オルターブの実を使用していたのだ。

 ルトガリア領には、オルターブの実が腐るほどある。
 とはいえ、採取するのはやや難しい山の中に自生しているのだが。
 山には魔物が出る。魔物を討伐するためには護衛が必要だ。
 
 この頃、ルトガリア家には傭兵を雇う金さえ残っていなかった。
 クラウスは剣を持って山にはいり、傷だらけになりながらオルターブの実の採取を続けた。

 魔物に遭遇し死にかけたことも一度や二度ではない。それでも、諦めないで続けていくうちに、ある程度の魔物なら倒せるほどに強くなった。

 そうして、オルターブの実を集めながら、商品開発を行なった。
 グレイハウゼンの冒険という小説から着想を得て、オルターブの実から油をつくった。
 傷薬を作り、それから、母が湯水のごとく金を費やしているので、それをどうにかするために美容品もつくった。

 その頃、クラウスを心配してよく家に来ていた友人の、フィロウズに協力をしてもらい、開発した商品を宣伝してもらった。
 フィロウズ・リンフォード。
 現在の、リンフォード国王である。

 フィロウズのおかげで商売は軌道に乗り、借財を返すことができ、ルトガリア家は豊かになった。
 それでも、クラウスの心は満たされなかった。
 いつでも、隙間風が吹いているような、虚無感を抱えていた。

 そんな時である。
 セツカと運命の出会いを果たしたのは。

 クラウスは母や、クラウスの容姿ばかりを誉めそやし、クラウスを手のひらの上で転がして、ルトガリアの財産を手に入れようとしていた心無い母付きの侍女たちのせいで女が嫌いだった。

 母に阿り金を無心し、クラウスに品のない冗談を言う母の愛人たちや、クラウスのことも母のことも顧みない父のせいで、男が嫌いだった。

 要するにクラウスは、人間が嫌いだったのである。

 フィロウズの弟バルサスが起こした謀反で、魔物に襲われたクラウスの前に颯爽と現れて、魔物を一太刀で切り伏せたセツカの背中を見た時──クラウスは初めて恋に落ちた。

 セツカは、女や男を超越した、性別のない天使か何かのように見えた。
 神々しく、美しく、凛としていて力強い。

 クラウスが焦がれてやまない何かを、全て持っている──男性だった。
 
 雷に打たれるように恋に落ち、自分は男が好きなのかとずいぶんと悩んだ。
 だが、クラウスは男を抱きたいとは思わない。セツカは男性ではない。セツカという、性別などは関係のない、特別な存在だ。

 そうは思えど、セツカは男性である。
 この想いが、叶うわけがない。一生抱えて生きていくのだと、決意をした。
 クラウスはセツカを愛している。
 セツカを愛している上で、妻を娶ればいいのだ。

 どうせ、女などはどれもこれも同じ。金と爵位と自由さえあれば、文句も言われないだろう。

 ──などと、たかを括っていた。
 本当に、ひどい人間だったと思う。最低だ。エニードには、何度謝っても足りないぐらいだ。

 だが、エニードという女性は、クラウスの知るどの女性とも違った。
 凛とした佇まい。
 何事にも動揺しない、冷静さ。
 全ての物事に対する、鷹揚な態度。
 健康的で美しい容姿を、誇らしげにひけらかさない奥ゆかしさ。
 どうしようもないクラウスを許してくれる包容力。
 魔物の子供を飼い、親を失った少女と二人で暮らす、清らかな優しさ。
 
 あげたらきりがないが、そのどれもがクラウスを引きつけてやまない。
 セツカへの想いを断ち切ってエニードと向き合うと、彼女がいかに素晴らしい女性か、そして自分はそんなエニードを傷つけるような最低で無価値な男だと、思い知らされた。

 中でも一番たちが悪いことがある。
 それは──。

「フィロウズ。私を殴ってほしい」
「殴るのは別に構わんが、顔が凹むぞ」

 城にある談話室で王妃クラーレスと茶を飲んでいるフィロウズの元に辿り着くと、クラウスは開口一番そう願い出た。
 フィロウズは手を握ったり開いたりした後に「美人を殴ると苦情がくる」と言って、肩をすくめた。



 
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