上 下
24 / 55

エニード、特に喧嘩をしていない夫と仲直りをする

しおりを挟む


 全て話し終えたらしく、クラウスは黙り込んだ。
 それから、テーブルに頭を擦りつけるようにして、頭をさげる。

「私の謝罪を受け入れてほしいと言える立場ではないが、私は夫として、君を大切にしたい。本当に、そう思っている」
「クラウス様。よく話をしてくださいました。謝罪とは勇気のいる行いです。クラウス様の覚悟、しっかりと受け止めさせていただきました」

 許すも許さないも、はじめから別に怒っていないのだ。
 だが、クラウスを納得させるために、エニードはそう言って、にっこり笑った。

 ついでに、クラウスをよしよしと撫でた。
 驚くほどに艶やかな髪は、よくブラッシングされている毛並みのよい高級な犬のようだった。

「エニード様が無表情でクラウス閣下を撫でている……」
「クラウス閣下は圧倒的右なので、エニード様は必然的に左になります」
「ラーナちゃん、その右とか左とかいうのは一体? 思想の話か?」
「ある意味ではそうです。血で血を洗う思想の話です」
「えぇ……っ」

 ジェルストとラーナのことなど視界に入っていないように、クラウスは泣き出しそうな、きらきらした宝石のような瞳をエニードに向ける。

 エニードは、道ばたに捨てられた箱に入った子犬を前にした気持ちを味わっている。
 このきゅん、は。
 そのきゅんだ。

 クラウスにその気はないのだろうが、造形が美しすぎて切なげな顔をするだけで、雨に濡れた子犬を連想させるのである。

「エニード様、クラウス閣下を子犬のようだなって思っていますよ、絶対。あれはそういう顔です」
「俺よりも長身の、二十七歳の成人男性のどこをどう見たら子犬に……?」
「ジェルスト様も先程、閣下にときめいていました」
「ときめき……!? いや、あまりにも素直で、健気で、大丈夫かなっていうぐらい事実に気づかないものだから、つい」
「それと同じです。可愛いと思っています。エニード様はああ見えて、可愛いものが好きなのです」
 
 そうか、クラウス様は可愛いのか──と、エニードは気づいた。
 そういえば、可愛い。おそらくは気苦労の多い人生だったのだろう。
 それでも今までずっと頑張ってきたのだ。
 領地を立て直すために森に分け入り、オルターブの実を採取して、商品開発を行った。

 それはクラウスが優雅で暇で金のある貴族だからではなく、森を駆け回るのが好きな野性的な男だからでもなく、いうなれば貧乏な苦学生が日雇い労働で日銭を稼ぐのと同じようなものだったのだ。

「今までよく頑張りましたね、クラウス様。これからは私があなたを守ります。ご安心を」
「エニード。君を守るのは私の役目だ」
「クラウス様は大船に乗った気持ちで、私を妻にしておくとよいかと思います。大丈夫です。私は力持ちですので、クラウス様に立ちはだかる敵を、全て倒してごらんにいれましょう」

 エニードにとっては、最大級の愛情表現だった。
 クラウスが恥ずかしそうに頬を染めて、切なげに微笑む。
 それはエニードが想像していた、エニードに襲われるクラウスの姿だった。
 想像どおり、妙な色香がある。

「エニード様、どこの城をせめるつもりですか……? 会話になっていないですよ、エニード様」
「エニード様、素敵です……! 城を攻めて……!」

 呆れたように嘆息するジェルストの隣で、ラーナがきゃあきゃあいいながら、お手製の攻城戦と書かれた扇を取り出して、ぱたぱたと振った。
  
「ということで、全て解決しましたね、クラウス様。もう心残りはありませんか?」
「話を聞いてくれてありがとう、エニード。君はなんて、優しい人なのだろう。生涯をかけて、君を大切にすると誓わせて欲しい」
「大丈夫です。私もあなたを愛しています。妻として。人としては少し好きです」
「そ、そうか。ありがとう……こんな私を愛してくれるというのか」
「妻たるもの、夫を愛することは当然です」
「すまない……なんて心が清らかな女性なのだろう君は。……美しい上に、清らかだ。私は本当に、幸せ者だ」

 クラウスは立ち直ったようだ。
 エニードはとても満足した。身の上話は思ったよりも長くならなかったし、謝罪ももう終わり。
 あとは共同風呂に行き、軽食を食べて寝るだけである。

「それではクラウス様、ジェルスト。私はラーナとこれから共同風呂に行きますので、お帰りください」
「エニード様、俺はさすがに帰りますが、閣下を追い出すのはどうかと」
「何故?」
「いや、今の感じだと、これから一緒に食事をして、同じベッドで眠って、愛を確かめ合うところでは?」
「そうなのですか?」
「い、いや……」
 
 ジェルストに指摘されてエニードがクラウスの顔を覗き込むと、クラウスは顔を真っ赤にしてがたがたと慌てながら立ち上がる。
 それからジェルストの腕を掴み「そろそろ帰ろう」と告げた。
 それからふと気づいたように目を見開いて、エニードを凝視する。

「エニード。共同風呂に通っているのか……!?」
「そうですが」
「金がないのか? すまない、私は君に不自由をさせてしまっているようだ。本当にすまない」
「クラウス様。謝罪はもう必要ありません。私とラーナが共同風呂に行くのは、楽だからです。広いですし。クラウス様も共同風呂に入れば、あのよさが分かります」
「しかし」
「あ。駄目でした。クラウス様、共同風呂はよくありません。裸の男性がたくさんいますので」
「まさか、混浴なのか……!?」

 混浴ではない。過去には混浴だったが、風紀が乱れるので改善されたのである。
 クラウス様は意外と世間を知らないのだなと、エニードは雛の成長を見守る親鳥の気持ちで思った。

「違います。クラウス様は、裸の男性を見るのも、裸の男性に裸を見せるのも、よくないかと思いまして」
「これでもかなり、鍛えているほうだとは思うのだが」
「右と左や、上か下、そういった問題があるのです」
「どういうことだ……?」

 エニードは中々伝わらないことに焦れて、ちらりとラーナを見た。
 ラーナは両手で顔を隠して肩をふるわせている。
 笑っているのか、照れているのか、困っているのか、よくわからない仕草だった。

「クラウス閣下。エニード様は庶民派なのですよ。セツカ様は、エニード様のそういったところが気に入って……それから、心配して、俺にエニード様やラーナちゃんを見守るようにと命令したんです。まぁ、これからはクラウス閣下がいますので、お役御免ってところですけどね」

 とりなすように、ジェルストが口を挟む。
 途端、クラウスの顔がやや曇った。 

「……エニード。セツカ殿どはどういった関係なんだ?」
「どう……といわれましても。知り合いです」

 同一人物ですが。
 喉元まででかかった言葉を、エニードは飲み込んだ。
 まだ気づかない。どうかしている。

「クラウス閣下は、セツカ様のことはもう忘れるのですよね? どうして気にするのですか?」
「それは、その……セツカ殿は非の打ち所のない素晴らしい男性だろう? エニードも恋をするのではと」

 ラーナが、やや震える声で聞いた。
 笑うのを必死に我慢している様子だった。

「大丈夫ですよ、閣下。じゃあ、帰りましょうか、一緒に。俺が家までお送りしますよ。これでも騎士ですからね」
「それがいいですね。クラウス閣下のことをよろしくお願いします、ジェルスト様」
「任せて、ラーナちゃん」

 ジェルストも笑うのを必死に我慢している様子だが、顔にもう限界だと書いてある。
 クラウスの背中を押すようにして、ジェルストはクラウスを連れて出て行った。
 
「おやすみなさい、クラウス様」
「あ、あぁ、エニード。共同風呂はよくない。危険だ」
「わかりました」

 クラウスは可愛いが、少し面倒くさいなと、エニードは思う。
 共同風呂は特に危険ではない。シルヴィアも通っているぐらいなのだから。
 そもそも、王都の治安はエニードが守っているので、そんなに悪くない。
 時々量産型悪人が出現するぐらいのものである。

 クラウスとジェルストが完全にいなくなると、ラーナが「ぷは……っ」と、息を吐き出した。

「エニード様。とても愉快な方ですね、クラウス閣下という方は」
「愉快だったか?」
「はい。城攻めの話までしているのに、エニード様がセツカだと気づかないなんて……怪力で城攻めができるごく普通の伯爵令嬢だと思われていますね、エニード様」
「城攻め程度ではない。一国も落とせる」
「ええ、そうですね、エニード様。格好いいです」

 とりあえず、共同風呂に行こうと、ラーナと話し合う。
 土産の化粧品を渡すと、ラーナは飛び上がるようにして喜んでいた。
 



 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】妹に婚約者まであげちゃったけれど、あげられないものもあるのです

ムキムキゴリラ
恋愛
主人公はアナスタシア。妹のキャシーにほしいとせがまれたら、何でも断らずにあげてきた結果、婚約者まであげちゃった。 「まあ、魔術の研究やりたかったから、別にいいんだけれどね」 それから、早三年。アナスタシアは魔術研究所で持ち前の才能を活かしながら働いていると、なんやかんやである騎士と交流を持つことに……。 誤字脱字等のお知らせをいただけると助かります。 感想もいただけると嬉しいです。 小説家になろうにも掲載しています。

(完結)無能なふりを強要された公爵令嬢の私、その訳は?(全3話)

青空一夏
恋愛
私は公爵家の長女で幼い頃から優秀だった。けれどもお母様はそんな私をいつも窘めた。 「いいですか? フローレンス。男性より優れたところを見せてはなりませんよ。女性は一歩、いいえ三歩後ろを下がって男性の背中を見て歩きなさい」 ですって!! そんなのこれからの時代にはそぐわないと思う。だから、お母様のおっしゃることは貴族学園では無視していた。そうしたら家柄と才覚を見込まれて王太子妃になることに決まってしまい・・・・・・ これは、男勝りの公爵令嬢が、愚か者と有名な王太子と愛?を育む話です。(多分、あまり甘々ではない) 前編・中編・後編の3話。お話の長さは均一ではありません。異世界のお話で、言葉遣いやところどころ現代的部分あり。コメディー調。

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。

櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。 夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。 ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。 あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ? 子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。 「わたくしが代表して修道院へ参ります!」 野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。 この娘、誰!? 王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。 主人公は猫を被っているだけでお転婆です。 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

[完結]「君を愛することはない」と言われた私ですが、嫁いできた私には旦那様の愛は必要ありませんっ!

青空一夏
恋愛
 私はエメラルド・アドリオン男爵令嬢。お父様は元SS級冒険者で魔石と貴石がでる鉱山を複数所有し、私も魔石を利用した魔道具の開発に携わっている。実のところ、私は転生者で元いた世界は日本という国だった。新婚の夫である刀夢(トム)に大通りに突き飛ばされ、トラックに轢かれて亡くなってしまったのよ。気づけばゴージャスな子供部屋に寝かされていた。そんな私が18歳になった頃、お父様から突然エリアス侯爵家に嫁げと言われる。エリアス侯爵家は先代の事業の失敗で没落寸前だった。私はお父様からある任務を任せられたのよ。  前世の知識を元に、嫁ぎ先の料理長と一緒にお料理を作ったり、調味料を開発したり、使用人達を再教育したりと、忙しいながらも楽しい日々を送り始めた私。前世の夫であった刀夢がイケメンだったこともあり、素晴らしく美しいエリアス侯爵は苦手よ。だから、旦那様の愛は必要ありませんっ!これは転生者の杏ことエメラルドが、前世の知識を生かして活躍するラブコメディーです。 ※現実ではない異世界が舞台です。 ※ファンタジー要素が強めのラブコメディーです。 ※いつものゆるふわ設定かもしれません。ご都合主義な点はお許しください🙇‍♀️ ※表紙はヒロインのエメラルドのイメージイラストです。作者作成AIイラストです。

飽きたと捨てられましたので

編端みどり
恋愛
飽きたから義理の妹と婚約者をチェンジしようと結婚式の前日に言われた。 計画通りだと、ルリィは内心ほくそ笑んだ。 横暴な婚約者と、居候なのに我が物顔で振る舞う父の愛人と、わがままな妹、仕事のフリをして遊び回る父。ルリィは偽物の家族を捨てることにした。 ※7000文字前後、全5話のショートショートです。 ※2024.8.29誤字報告頂きました。訂正しました。報告不要との事ですので承認はしていませんが、本当に助かりました。ありがとうございます。

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

処理中です...