上 下
21 / 55

夫と間男

しおりを挟む


 ドレスを乱れさせて靴さえなくしたエニードは、ラーナによってせかせかと部屋に連れて行かれた。
 
「閣下と二人きり……」

 すれ違い様にジェルストの小さな呟きが聞こえた。ラーナは「ジェルスト様、頼みましたよ」と、釘を刺すように囁いていた。

 エニードは、世話になった上に客人として家にきてくれたのに、もてなしもせずに着替えに行くことを申し訳なく思った。
 部屋に押し込まれる間際に、クラウスに座って待つように伝えると、クラウスはどういうわけか厳しい眼差しをジェルストに向けていた。

 さては、やっと気づいたのだな……!
 長かった。果てしなく長い道のりだった。

 ジェルストはセツカの副官である。エニードの家にジェルストがいるという時点で、セツカとエニードの繋がりは明白だ。
 流石にクラウスは、エニードの秘密(別に秘密ではない)に気づいただろう。

「ラーナ。ジェルストに、何故私をエニードと呼ばせているんだ?」

 部屋の扉を閉めて、エニードの着替えを手伝いだしたラーナに、エニードは尋ねた。
 ラーナはまたもやドレスをクローゼットから引っ張り出して、ところどころが破けているドレスを脱がしたあとに、エニードに着せ始める。

「それはですね、エニード様。ジェルスト様が、閣下とエニード様が喧嘩をしているのではないかと心配をして、お土産を持って遊びに来てくれたのですけれど」
「案外いいところがあるな」
「ジェルスト様は優しい方ですよ。少々女好きでいらっしゃいますが。でも、特にエヴァン様と義兄弟でいらっしゃるところが素晴らしいと思います」
「そうか」

 ラーナは瞳をきらきら輝かせている。
 もう家に帰ってきたのだからドレスを着る必要はないのだがと思いながら、エニードは頷いた。
 やはり、クラウスの前でドレス以外の服を着るのは失礼にあたるということだろうか。

 確かに母も、父の前ではいつも小綺麗な格好をしている。
 伯爵夫人なので当たり前といえば当たり前なのだが。
 今は、もう兄が爵位を継いでいて、両親は隠居の身ではあるのだが、やはり家に帰るといつでもドレス姿で出迎えてくれる。
 兄嫁もまたそうである。
 公爵家の嫁になったからには、エニードも今までのように立場に甘えて、さもない服を来ていてはいけないのだろう。

 ちなみにエニードは、基本的に家の中では開襟白シャツに黒いトラウザーズである。
 シンプルで格好いいエニード様と、兄嫁にも喜ばれるスタイルだ。

「ジェルスト様にも、説明をしたのです。エニード様と閣下が今どのような関係かについて」
「それは、クラウス様が私をセツカだと気づいていないということをか?」
「はい。セツカが好きとは伝えませんでしたけれど、二人は別人だと思っているとお伝えしました。閣下は、過去助けられた恩義をセツカに感じているというお話しもしました」
「まぁ、その程度なら、いいのか……?」

 クラウスが男が好きだと言うことは内密である。
 ラーナの説明はそのデリケートな部分についてはぼかしているので、秘密は一応守ることができている。
 とはいえ──クラウスは騎士団に訪れて思い切りセツカが好きだと態度で示し、その上大橋で告白して恋を諦めるというような大それた行動をとっているので、聡いジェルストのことだ。
 気づいてしまったかもしれないが。

「ジェルスト様は大変面白いことになっていると喜んでいらっしゃいましたよ」
「面白くはない」
「ごめんなさい。そうですよね、エニード様にとっては不愉快なことですものね」
「不愉快というわけでもないのだが」

 何故気づかないんだと疑問には思うが、面白くもなければ不愉快でもない。
 ただ、最後まで見届けようという意地があるだけである。

「私としても、閣下はエニード様にひどいことをしましたので、ジェルスト様の口からあっさり真実が伝わってしまうのはちょっと違うかなと思いまして。先手を打ったというわけです」
「別にひどいことはされていない」
「妻に愛さないと言うのは十分ひどいことですよ。私は怒っているのです」
「まぁ、シルヴィア様も積極的にクラウス様に何か伝える気はないようだったしな。ジェルストを口止めする程度で気が済むのなら、私は何も言わないが」

 ラーナは楽しんでいるわけではなく、クラウスに怒っている。
 ジェルストとシルヴィアは恐らく、ことの成り行きを眺めて楽しんでいる。
 だが──さすがに、ここまでくればもう、色々なことが片付くだろう。
  
 エニードはクラウスに怒っていないし、嫌いでも好きでもない状態から、少し好きになりかけている。
 妻として愛しているが、人としては少し好きだ。
 夫婦として仲良くしていけるのならば、それが一番だろうと思う。
 その際、もしかしたらエニードがクラウスをどうにかして襲わなくてはいけないので、それだけが少し気がかりではあるのだが。

 ドレスに着替えて髪を整えて、新しい靴に履き替えたエニードが部屋から出ると、リビングルームでは何故か直立不動のジェルストを、クラウスが睨み付けていた。
 
 クラウス様もそのような顔をするのだなぁとのんびり考えながら、エニードはラーナに「皆に飲み物を出してくれるか」と頼んだ。
 エニードが茶をいれてもいいのだが、そうするとラーナがこの場に取り残されて困ってしまうだろう。
 ラーナがてきぱきとキッチンに向かうのを、アルムが追いかけていく。
 
 エニードはジェルストの隣に並ぶと、どうしたのかとその顔を見上げた。

「エニード。君は恋人はいないと言っていたが、彼は君の恋人ではないのか?」
「……ジェルストがですか?」

 思いも寄らぬことを言うクラウスに、エニードは驚いて更にまじまじとジェルストの顔を見つめる。
 ジェルストは困り果てた顔で「エニード様、あんまり見ないでください」と恥じらう乙女のようなことを言った。

「違うのですよ、閣下。俺はエニード様の恋人などではありません」
「はい。ジェルストは恋人などではありません」
「ではなんだ? 何故、主が不在中の家に入ることが許されている? エニードはラーナと二人暮らしだ。女性しかいない家に男が入るなど不謹慎ではないのか。それに、エニードは私の……その、契約上の妻だ」
「それもそうですね」

 確かにクラウスの言うとおりである。
 ラーナは年頃の少女なので、女好きのジェルストと二人きりにするというのは不安だ。

 ジェルストも、心配して土産を持ってきてくれたはいいが、家にまであがりこむというのは、さすがに不謹慎だ。
 おそらく、新たな面白い話を聞きたくて、家にあがりこんだのだろうが。
 そういう軽薄なところがある男なのだ。
 生真面目が服を着て歩いているエヴァンと仲がいいというのが、不思議でならない。 

「さては、エニードの美しさの虜になったということなのか? 誉れ高き騎士団の、しかもセツカ殿の副官でありながら、人妻に懸想して家におしかけるなど……」
「滅相もございません……! 勘違いがすごいのですが……!」

 ジェルストは更に困り果てて、それから思案するように腕を組んだ。

「あのですね、俺は……ええと、そう。ラーナちゃんの家庭教師として雇われているんです」
「……本当か?」
「ですよね、エニード様」

 ジェルストが助けを求めるような視線をエニードに送っている。
 エニードは少し考えて、「私の副官です」と言おうとした。
 クラウスはここまできても気づかないのだ。
 もう、伝えるしかない。嘘をつくのはよくない。あと、若干ややこしすぎて面倒になってきた。

「閣下、ジェルスト様は私の家庭教師なのですよ。セツカ様に紹介していただいたのです」
「セツカ殿に……?」
「ええ。セツカ様は以前私を、人買いの牢獄から助けてくれて。それ以来のご縁なのです」
「……すまない。そんな話をさせる気はなかったのだ」

 ラーナが紅茶と、おそらくジェルストが買ってきた、白い饅頭に猫の肉球の焼き印が押されている、王都名物にくきゅう饅頭を並べながら、にこやかに言う。

 ラーナは家庭教師のくだり以外、嘘をついていない。
 嘘というのは真実で塗り固めて、その中に少し混ぜるとばれないものである。
 嘘はいけないが、仕事上嘘をつかなければいけないときもあるので、エニードはそれをよく知っている。

 エニードは感心しながら、紅茶を口にした。
 ラーナにはスパイの才能があるかもしれない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。 高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。 しかし父は知らないのだ。 ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。 そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。 それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。 けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。 その相手はなんと辺境伯様で——。 なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。 彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。 それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。 天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。 壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

王太子様に婚約破棄されましたので、辺境の地でモフモフな動物達と幸せなスローライフをいたします。

なつめ猫
ファンタジー
公爵令嬢のエリーゼは、婚約者であるレオン王太子に婚約破棄を言い渡されてしまう。 二人は、一年後に、国を挙げての結婚を控えていたが、それが全て無駄に終わってしまう。 失意の内にエリーゼは、公爵家が管理している辺境の地へ引き篭もるようにして王都を去ってしまうのであった。 ――そう、引き篭もるようにして……。 表向きは失意の内に辺境の地へ篭ったエリーゼは、多くの貴族から同情されていたが……。 じつは公爵令嬢のエリーゼは、本当は、貴族には向かない性格だった。 ギスギスしている貴族の社交の場が苦手だったエリーゼは、辺境の地で、モフモフな動物とスローライフを楽しむことにしたのだった。 ただ一つ、エリーゼには稀有な才能があり、それは王国で随一の回復魔法の使い手であり、唯一精霊に愛される存在であった。

最初から勘違いだった~愛人管理か離縁のはずが、なぜか公爵に溺愛されまして~

猪本夜
恋愛
前世で兄のストーカーに殺されてしまったアリス。 現世でも兄のいいように扱われ、兄の指示で愛人がいるという公爵に嫁ぐことに。 現世で死にかけたことで、前世の記憶を思い出したアリスは、 嫁ぎ先の公爵家で、美味しいものを食し、モフモフを愛で、 足技を磨きながら、意外と幸せな日々を楽しむ。 愛人のいる公爵とは、いずれは愛人管理、もしくは離縁が待っている。 できれば離縁は免れたいために、公爵とは友達夫婦を目指していたのだが、 ある日から愛人がいるはずの公爵がなぜか甘くなっていき――。 この公爵の溺愛は止まりません。 最初から勘違いばかりだった、こじれた夫婦が、本当の夫婦になるまで。

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。

ナナカ
恋愛
メリオス伯爵の次女エレナは、幼い頃から姉アルチーナに振り回されてきた。そんな姉に婚約者ロエルを譲れと言われる。さらに自分の代わりに結婚しろとまで言い出した。結婚相手は貴族たちが成り上がりと侮蔑する軍人侯爵。伯爵家との縁組が目的だからか、エレナに入れ替わった結婚も承諾する。 こうして、ほとんど顔を合わせることない別居生活が始まった。冷め切った関係になるかと思われたが、年の離れた侯爵はエレナに丁寧に接してくれるし、意外に優しい人。エレナも数少ない会話の機会が楽しみになっていく。 (本編、番外編、完結しました)

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

処理中です...