上 下
19 / 55

エニード、淑女のふりをする

しおりを挟む


 クラウスは無言でじっと見つめてくるエニードの様子に、表情を曇らせた。

「怖かったな、エニード。すまなかった。私が、君の傍を離れなければ、こんなことには……っ」

 心底悔いて自分を責めているクラウスに、エニードはどう声をかけるべきか悩んだ。
 普段ほとんど悩まないエニードなのだが、クラウスと結婚してからは結構悩んでいることに気づく。

 なるほど、これが夫婦というものだな──と、心の中で納得しつつ、言葉を探した。

 クラウスはエニードを助けてくれたのだから、別に怖くなかったとか、一人でも平気だとか、そんなことは言ってはいけない。
 エニードの頭の中で、ラーナが両手でばつ印を出している。
 ジェルストもやれやれと頭を振りながら「男にはプライドがあるんですよ、団長」と主張してくる。

 こんなことなら、こういう時にどうするべきなのかをシルヴィアにご教授願っておくべきだった。
 百戦錬磨のシルヴィアであれば、きっと上手に男のプライドを守る台詞を教えてくれるだろう。
 なんせ初体験なのだ。
 自分よりも弱い男に、まるでか弱い女のように扱われて、助けられることなどは。

「クラウス様。勘違いがあるようです」
「君は、この最低な屑どもに襲われそうになったのだろう?」

 麗しのクラウスが『屑』などと口にした。
 そういう言葉は知らないのかと勝手に思っていたので、衝撃だった。
 そういえばクラウスは山に分け入りオルターブの実を採取するような野生的な面があるのだった。それは、『屑』という単語ぐらい口にするだろう。

 その見た目に反して、思ったよりもやんちゃなのかもしれない。

 ちなみにエニードは、そのような言葉を使わないように極力気をつけている。
 騎士団とは、品行方正でいなくてはいけないのだ。

 男たちが地面に伸びていて、デルフェネックはエニードの隣に忠実な僕のようにお座りしている。
 アルムがデルフェネックの背中によじ登ろうとしているのを眺めながら、エニードはうん、と、一度頷いた。

 嘘はいけない。
 でも、クラウスを傷つけるのもいけない。
 両方しなくてはならないのが、エニードがセツカだと気づいてもらえないが故の辛いところである。

「クラウス様。私は襲われていたわけではなくて、悪者を追いかけていたのです」
「どういうことだ?」
「この悪者たちが、ご夫人の鞄を盗んだのです。ですので、私はそれを捕まえようと思い、追っていました。私は、公爵家の妻ですので、悪を見過ごすわけにはいきません」

 騎士団長のセツカですのでと、言いたいところだが、そこは誤魔化した。
 自分からは伝えたくないのだ。

 最初はセツカが男だと思っているクラウスが不憫だったからなのだが、今はどちらかというと意地である。
 両方とも可憐な私だろう、どう見ても!?
 と、エニードは思っている。男にもプライドがあるが、エニードにもプライドがあるのだ。

「エニード、君は……なんという、勇敢で心根の美しい人なんだ……」

 今の会話のどこに感動できる箇所があるのかエニードにはさっぱり分からなかった。
 しかしクラウスは、「公爵家の妻」という言葉で心臓をおさえ、「悪を見過ごせない」という言葉で感動に打ち震えて瞳を潤ませた。

(クラウス様は大丈夫だろうか)

 クラウスのことを心配するのはこれで何度目だろうか。
 これもまた、夫婦というものであると、エニードは深く納得した。

「勇敢な君を、この屑どもは集団で襲ったのだな。怖かっただろう、エニード。すまなかった。やはり私の責任だ」

 誤解が解けたような気がしたのに、会話が元に戻ってしまった。
 クラウスはエニードに手を差し伸べようとして、その手をぎゅっと握りしめて、引っ込めた。

「男に触れられるのは怖いだろう。大丈夫だ、私は何もしない」
「はい。大丈夫です。クラウス様のことは、理解しているつもりです」

 セツカのことは諦めたのだろうが、クラウスはきっと男が好きなのだ。
 なんとなれば、エニードがクラウスを襲うしかないのだが、襲うといっても具体的にどうしたものやらである。

「そうか……。このものたちを衛兵に渡したら、君を家まで送ろう」
「いえ、大丈夫です。用事がありますので」
「遠慮をしなくていい。私は君の夫だ。それぐらいはさせてくれ」
「大丈夫です、本当に」
「君は、私に怒っているのだろう。当然だな、私は君を傷つけたのだから」

 クラウスは前髪をかきあげて、自嘲気味に笑った。
 なんだか哀れな様子である。
 エニードは別に怒っていない。むしろ感謝をしているし、クラウスのこと少し好きになってきている。人間として。

 本当に大丈夫なのだ、家に送らなくても。
 あまり早く帰っても退屈なだけだし、そもそもクラウスへの土産を買おうとしていたところだったのだ。

 それに、衛兵に引き渡した後にエニードは事情を説明して、悪人どもをセツカズブートキャンプと呼ばれている新兵訓練所に送り込む予定だった。

 そこでの厳しい訓練を潜り抜けることによって、量産型悪人などは数週間で、汗水垂らして働いたほうがずっとマシ──と、性根を叩き直すことができるのである。

 だから、まだ家に帰りたくない。

「怒っていません。私は、まだ、家に帰りたくないのです」

 正直にそう口にすると、クラウスははっとしたように目を見開いた。

「そ、そうか、すまないエニード! 一人になるのが不安だったのだな。私は、そんなことにも気づかないとは……わかった。一緒にいよう、今日はずっと一緒だ」
「え……」
「大丈夫だ。君は何も心配しなくていい」

 クラウスは力強く頷いた。
 エニードには、何がどうしてどうなったのか、いまいち理解できていなかった。
 けれど、とりあえず頷いた。
 ラーナに言わせれば「何も理解していないのに理解したふうに頷くエニード様」という、あれである。 

 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

七人の兄たちは末っ子妹を愛してやまない

猪本夜
ファンタジー
2024/2/29……3巻刊行記念 番外編SS更新しました 2023/4/26……2巻刊行記念 番外編SS更新しました ※1巻 & 2巻 & 3巻 販売中です! 殺されたら、前世の記憶を持ったまま末っ子公爵令嬢の赤ちゃんに異世界転生したミリディアナ(愛称ミリィ)は、兄たちの末っ子妹への溺愛が止まらず、すくすく成長していく。 前世で殺された悪夢を見ているうちに、現世でも命が狙われていることに気づいてしまう。 ミリィを狙う相手はどこにいるのか。現世では死を回避できるのか。 兄が増えたり、誘拐されたり、両親に愛されたり、恋愛したり、ストーカーしたり、学園に通ったり、求婚されたり、兄の恋愛に絡んだりしつつ、多種多様な兄たちに甘えながら大人になっていくお話。 幼少期から惚れっぽく恋愛に積極的で人とはズレた恋愛観を持つミリィに兄たちは動揺し、知らぬうちに恋心の相手を兄たちに潰されているのも気づかず今日もミリィはのほほんと兄に甘えるのだ。 今では当たり前のものがない時代、前世の知識を駆使し兄に頼んでいろんなものを開発中。 甘えたいブラコン妹と甘やかしたいシスコン兄たちの日常。 基本はミリィ(主人公)視点、主人公以外の視点は記載しております。 【完結:211話は本編の最終話、続編は9話が最終話、番外編は3話が最終話です。最後までお読みいただき、ありがとうございました!】 ※書籍化に伴い、現在本編と続編は全て取り下げとなっておりますので、ご了承くださいませ。

所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。 高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。 しかし父は知らないのだ。 ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。 そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。 それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。 けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。 その相手はなんと辺境伯様で——。 なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。 彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。 それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。 天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。 壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。

ナナカ
恋愛
メリオス伯爵の次女エレナは、幼い頃から姉アルチーナに振り回されてきた。そんな姉に婚約者ロエルを譲れと言われる。さらに自分の代わりに結婚しろとまで言い出した。結婚相手は貴族たちが成り上がりと侮蔑する軍人侯爵。伯爵家との縁組が目的だからか、エレナに入れ替わった結婚も承諾する。 こうして、ほとんど顔を合わせることない別居生活が始まった。冷め切った関係になるかと思われたが、年の離れた侯爵はエレナに丁寧に接してくれるし、意外に優しい人。エレナも数少ない会話の機会が楽しみになっていく。 (本編、番外編、完結しました)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

王太子殿下の子を授かりましたが隠していました

しゃーりん
恋愛
夫を亡くしたディアンヌは王太子殿下の閨指導係に選ばれ、関係を持った結果、妊娠した。 しかし、それを隠したまますぐに次の結婚をしたため、再婚夫の子供だと認識されていた。 それから10年、王太子殿下は隣国王女と結婚して娘が一人いた。 その王女殿下の8歳の誕生日パーティーで誰もが驚いた。 ディアンヌの息子が王太子殿下にそっくりだったから。 王女しかいない状況で見つかった王太子殿下の隠し子が後継者に望まれるというお話です。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

処理中です...