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つつがない休日
しおりを挟むともかく、夫に助けられたのだからお礼を言わなくてはと思い、エニードは立ち上がった。
綺麗な所作で頭をさげて、にっこり微笑んだ。
微笑んだつもりである。微笑んでいる顔と普段の顔があまり変わらないと部下たちに言われるが、そんなことはないはずだ。
鏡で確認したこともあるがきちんと微笑むことができている。ラーナに、エニード様は自己肯定感が高いですねと褒められたので、きっとできている。
「クラウス様、助けていただいてありがとうございました」
「君は恋人を待っていたのだろう。余計な世話かと思ったが、放っては置けなかった」
「ええ。私としても夫のある身で知らない男性と食事をする訳にはいかず、困っていたところでした」
今すぐ腕ひしぎ固めをしようとしていたとは言わなかった。
せっかく助けてもらったのだから、自分でなんとかできたなんていうのは失礼だろう。
「ところで私に恋人はいません。どうしてそう思われたのですか?」
「君は……その、私に好きなようにさせてくれる代わりに、自分も好きなようにすると言っていただろう。朝起きたら、君の姿はもう公爵邸にはなく、ようやく見つけ出したと思ったら、男たちに恋人を待っていると言っていたのだから」
「手紙を残しました」
「王都に参りますとだけ、書かれていた」
それだけ書けば十分だろうと思ったのだが、どうやらクラウスは心配をしてくれていたらしい。
セツカに会うついでに、エニードを探してくれていたようだ。
「先ほどから見ていたのですか? 声をかけてくださればよかったのに」
「いや、それは……」
どうにも、クラウスは先ほどから歯切れが悪い。
先ほど男に相対していた時の毅然とした姿とはまるで違う。
エニードは、奥歯にものの挟まったような物言いが苦手だった。
エニード自身は、大人として気を使うし、言葉も選ぶが、できることなら言いたいことがあればはっきり言って欲しいと思う。
「クラウス様。ご心配ありがとうございました。私はもう大丈夫ですので、それでは」
無事も確認できたことだし、誤解も解けたのだからもういいだろうと、エニードは挨拶をしてその場を離れようとした。
なんせこれから昼食を済ませて、夕食と土産を買って帰らなくてはいけないのだ。
籠の中にいるアルムも、そろそろ退屈をしてきたらしく、顔を出して「きゅあきゅあ」と言っている。
「ま、待て、エニード。情人がないとなれば、君は王都で一体何をしているのだ」
「それは」
騎士団長をしていますと言っていいものか、一瞬悩む。
いいかげんこれだけ顔を見ているのだか気づいて欲しいものだ。先ほども会っている。
けれどやっぱり、クラウスの夢を壊してしまうのは忍びない。
彼にとっては、大切な恋なのだろう。
セツカと話していた彼は、あれほど嬉しそうだったのだから。
良心に従い、エニードは誤魔化すことにした。
「実は、魔物の子を飼っているのです。心配で、見にきました」
「魔物の子を? それか?」
「ええ。フェンリルの子で、アルムと言います。親を失ったアルムを、拾って育っているのです」
少し言葉を端折ったが、嘘は言っていない。
「フェンリルとは凶暴な魔物だろう。危険だ」
「大丈夫ですよ。魔物によっては、とても聡明で、人の言うことを聞くものもいます。だから、魔物使いが魔物を操ることができるのですけれどね」
「君は魔物使いなのか?」
「いえ、違いますよ。魔物使いの場合は、魔物の飼育のために餌にカリオステロの実を混ぜますけれどね。これは、軽度の催眠作用があって、相手を服従させるために使用します。私はそんなことはしません」
当然である。エニードは胸をはって答えた。
魔物使いは、魔物を操り労働をさせる職業である。
危険な仕事や土木作業をさせる場合もあるし、純粋に旅の仲間としている場合もある。先の騒乱のように、誰かを襲う手段にする場合もあるし、傭兵のように雇われる場合もある。
エニードはアルムを服従させたいわけではないので、食事に妙な混ぜ物などはしていない。
「詳しいのだな、エニード」
「これぐらいは、一般常識です」
「そうだろうか。そのフェンリルは、君の家で飼っているのか」
「ええ。王都のタウンハウスで、ラーナが……侍女が世話をしてくれています。ですが、任せきりも不安ですので、王都に来たという次第です」
これで納得してくれただろうか。
エニードはカゴバッグを手にして、それからもう一度綺麗な所作で礼をした。
「クラウス様もお忙しいでしょうから、私はこれで。公爵家には、週末には行かせていただきたいと考えておりますけれど、クラウス様の邪魔をしたくはありません。当初のお話し通り、お互い自由、ということで」
「あ、あぁ。わかった。……しかし、気をつけてほしい。君はどうにも、人目を引くようだ」
「昔からこうなので、大丈夫です」
「昔から、といっても。私はエニードの姿を、社交界で見たことがないのだが。君なら、求婚者が後を絶たなかっただろうに」
「求婚はされません。助けてとはよく、言われますが」
「それは、いったい」
「では、失礼します」
誤解は解けたようなので、エニードはその場を立ち去ることにした。
あまり長居をしていると、昼食をとる時間がなくなってしまう。
クラウスは何か言いたそうにしていたが、エニードにはもう特に話すべきことはない。
ナットとボルトの話を尋ねたい気もしたが、それは詳しいことを理解してからのほうがいいだろう。
エニードは、その後つつがなく昼食をとり、夕食のためにミートソースペンネと温野菜サラダをテイクアウトした。
それから、お土産で苺大福を買って帰った。
アルムは終始ご機嫌で、エニードも久しぶりのなんの問題もない休暇を楽しんだのだった。
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