上 下
7 / 55

エニード、はじめて助けられる

しおりを挟む


 そもそも、このような状況になるのははじめてである。
 誰かに助けを求められる、もしくは女性から菓子や花を渡される以外で、人から話しかけられたことなどないに等しい。

 一人で食事ができないなんてずいぶん寂しがり屋な男性たちもいるものだ。
 だが、エニードは人妻なので、寂しがり屋な男性たちの相手はできない。

 あまりにしつこいので、今まさに握られた腕を反対に折り曲げて、そのまま地面に打ち倒して背中を踏もうとしていたところだった。
 悪人に怪我をさせずに取り押さえる時におこなう、エニードの得意技である。
 失敗したことは一度もない。
 なにせエニードは音速よりも素早いのだと、自負している。

 誰も呼んでくれないが、閃光のセツカという二つ名がある。エニードの中で。
 
 相手に怪我をさせずに取り押さえるというのはなかなかどうして難しいもので、力の入り具合によっては関節が外れたり骨が折れたりしてしまう。
 エニードのそれは、繊細かつ大胆かつ素早く力強い。
 とてもテクニカルなもので、ただ声をかけてきた男に対して使用するものとしては最善な技に思えた。

「……女性の体に許可なく触れるなど、あり得ないことだ。お前は、触れられた女性の恐怖を考えたことがあるのか?」

 クラウスは、騎士たちの全裸を見慣れすぎているエニードにとっては(彼らはエニードの前で平気で着替えるし、平気で水を浴びる)細身の男である。
 しかし、クラウスに腕を掴まれている男に比べると、背丈があり腕も太く、指も長い。

 これは、長身のためだろう。
 鍛えればよい騎士になるかもしれない。しかし、二十七から騎士を目指すのは大変か――などと、エニードはクラウスの腕を見ながら考えた。

 そもそもクラウスは何故ここにいて、何故割り込んできたのか。
 エニードの部下たちならまず割って入ったりしない。
 団長は一人で百人の兵に匹敵すると、彼らはよく分かっているからだ。

(女性が男に触れられる恐怖……)

 この台詞は――エニードも口にしたことがある。
 王都を巡回していると、悪い男たちに襲われそうになっている女性に遭遇することがあるのだ。
 エニードはそういった行いが大嫌いである。
 
 子供と女性というのはかよわい存在だ。だから、守るべきであり、襲うなどとんでもないことだ。
 男の風上におけないと数時間に及ぶ説教をして、性根をたたき直すために泡を吐いて気絶するまで鍛錬をさせたことも少なくない。

 拷問ではない。鍛錬だ。エニードももちろん一緒に行うので、それは鍛錬なのだ。
 だがまさか、エニード自身が誰かから言われる日がくるとは考えていなかった。

(そうだな、私は女性だ。しかし、私のほうがクラウス様よりも強いのだが)

 内心、少し狼狽えてしまった。
 はじめての経験というのは、誰しも戸惑うものだ。

「お前は一体なんなんだ。この女の知り合いか?」
「女性を女と呼ぶものではない。女性に声をかけるのなら、それなりに礼節を弁えるべきだ」
「うるさい。いきなり出てきて説教か? 俺は今この、恋人に捨てられた女と話をしているんだ。邪魔をするんじゃない」
「恋人に捨てられてはいないのですが……」

 待ち人などはいないし、恋人もいない。
 ここにいるのが夫である。
 けれど、クラウスはエニードを妻だとは言わない。
 言わないということは、内密にしておきたいのかもしれない。

「――ともかく、迷惑がっている女性を強引に誘うのは、見ていられない」
「黙れ! 邪魔をするな!」
「暴力に訴えるのは構わないが、君の立場は危ういことになる。ルトガリア公爵の名の下に、法にのっとり君を捕縛し処断しなくてはならなくがるが、構わないか」
「嘘を……」
「嘘ではない。面倒なことになりたくなければ、立ち去ることだ」

 なるほど、そういう黙らせ方もあるのかと、エニードは感心をした。
 そもそも貴族というのは、こんな風に街をうろつかないし、庶民の問題には関わらないものなのだ。
 そんなことをするのはよほどの物好きである。
 
 庶民にとっては貴族にたてつくことほど恐ろしいことはない。
 よほどの悪人であれば別だが、ここにいるのは一人で食事をしたくないだけの、寂しがり屋な男性にすぎないのだ。

「疑うのなら、証明しようか。ルトガリア家の家紋なら、君も見たことがあるだろう。ルトガリア商会と言ったほうが、君には馴染み深いか」
「……くそっ」

 クラウスが貴族かどうかなど、立ち振る舞いや服装を見ればおおよそ検討はつくのだが。
 男はそれでもクラウスにくってかかるほどの気骨が少しはあったようだ。
 だが、冷静にクラウスに諭されて、悔しそうに眉を寄せると、立ち去っていった。

 クラウスはあまり強くなさそうなので、暴力沙汰にならずによかったと、エニードは内心ほっとした。
 なんとなれば、夫を守るためにエニードが男を倒す気満々であったが――そうはならずに済んだようだ。

「クラウス様、ありがとうございます」
「あぁ。邪魔をしたな。ではな」
「邪魔ではありません。夫を邪魔だと思う妻はいません」
「しかし……君は、恋人を待っているのだろう」

 男が立ち去ってすぐに、いなくなろうとするクラウスをエニードは引き留めた。
 これは、きっと助けてくれたのだ。

 こんなさもないことで、誰かに助けてもらうというのははじめてである。
 しかも、クラウスはエニードの夫だ。
 形ばかりではあるが夫なのだから、きちんとお礼をしなくては。

「恋人……?」
「あぁ。先程から君は、話しかけてくる男たちに待ち人がいると言って断っていた。君の恋人だろう?」
「恋人などいません。私はクラウス様の妻ですので」

 当然である。何を言っているのだろう。不義密通でのトラブルの仲裁を何度もしてきたエニードにとって、自ら進んで男女関係を乱れさせる者の気持ちなど少しも理解できない。

 クラウスは眉間の皺を更に深くして、エニードから視線を逸らした。
 なんだか少し、困惑しているような表情だった。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?

112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。 目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。 助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… 6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

処理中です...