「君を愛さない」と言った公爵が好きなのは騎士団長らしいのですが、それは男装した私です。何故気づかない。

束原ミヤコ

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逃げる男と勘違い

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 エニードは、去っていくクラウスを無言で見送った。
 無言だったのは、クラウスの足が思ったよりも早く、何もいうことができなかったからである。

 事情を知っているのか知らないのか、貴族女性たちは「閣下もセツカ様のファンだったのね」「知らなかったわ」と嬉しそうに話しはじめる。

(……クラウス様がセツカに恋をしているのは、秘密だったのでは?)

 明らかに今の態度で、セツカが好きだと丸わかりである。
 いいのだろうか。妙な噂を立てられないだろうか。いや、セツカはあなたの妻なのだが。

 卵が先か、鶏が先かというような堂々巡りの問いかけに勤しんでいるエニードの背中を、ジェルストが軽く叩いた。

「来ていましたね、閣下。きっと団長が心配だったのですよ、初夜の次の日に出勤なんてするから」
「あぁ、まぁ、そうか」
「そうですよ。よりにもよって、初夜の翌日に部下たちと訓練をするなんて。それは夫として気がきじゃないでしょう?」

 勘違いである。
 そもそも、初夜は過ごしたが何も起こらなかった。
 エニードがクラウスとしたのは話し合いだ。
 円滑に話し合いを終えると、それでは、と、クラウスは自室に戻っていった。
 エニードは非常に快適な、公爵家のふかふかのベッドで、それはもう安眠した。ネグリジェが少し寒かったが、ガウンのおかげで少しは寒さを凌げた。

 とはいえ、そんなことはジェルストには言えない。

「心配しましたが、仲がよさそうで何よりでした。閣下は団長にベタ惚れのご様子で」
「あぁ」

 いや、違うが。
 心の中で呟くが、口には出せない。こういう時、感情が表情にあまりでない質でよかったように思う。
 エニードの祖父も鉄面皮将軍と呼ばれていたらしい。
 エニードは何から何まで祖父に似たのである。王国人特有の癖のある金の髪も、青い瞳も。

「クラウス・ルトガリア公爵といえば、中々花嫁を娶らない独身貴族として有名でしたからね。今は、二十七歳でしたか。ルトガリア公爵領は豊かですし、閣下にも商才がある。ルトガリア領に多く自生していたオルターブの実で油を作ったり、化粧品や髪のオイルを作ったりと。色々商品開発を行っているようですよ」
「そうなのか。案外野生的な人なのだな」

 オルターブの実とは、油分を多く含んだ果実である。
 祖父と野営をしたときに、焚き火の火を起こすのによく使った記憶がある。
 エニードは、懐かしさに目を細めた。
 そして、あのような細身で美しい容姿のクラウスが、オルターブの実を採取するために森に分入っているところを想像し、少しばかり親近感を覚えた。

「野生的……? 団長、何か勘違いをしてませんか?」
「何がだ」
「まぁ、いいですけれどね。そんな閣下が、団長と結婚をしたのですから、もっと話題沸騰になるかと思っていたのですが。騎士団の者たち以外は案外静かですね」
「もしかしたら皆、私がエニードだということを知らない可能性がある」
「ははは、まさか」
「まさかだな。私はこんなに、女らしいのだから」
「えっ」
「え」
「いや……なんでもありません」

 ジェルストがささっと視線を逸らす。
 その背後で部下たちもささっと視線を逸らしたので、エニードはどうにも釈然としない気持ちになり、腕を組んで眉を寄せた。

 ジェルストを筆頭に、部下たちが「その顔、怖い」と言い始めたので、エニードはやれやれと肩をすくめた。

 騎士団のものたちは、エニードを女だと知っている。
 けれど、女扱いはしていない。
 そして、誤解が解けるのかと思ったクラウスは、あの態度ではおそらくセツカがエニードだと気づいていないだろう。

 まぁいいかと、エニードは結論づけた。
 そのうちわかるだろう。エニードは今の生活に困っていないし、わざわざ種火に息を吹きかけて大火にする必要はない。

 調練が終わると、クラウスの来訪があったためか、ジェルストや部下たちから帰れ帰れと言われてしまった。
 その上、しばらく来るなとも言われた。

「私がいなければ、お前たちが怪我をするかもしれない」

 などと言ってみたが、今度は「団長は俺たちを信用していない」と泣きつかれてしまった。
 結局、泣き落としに絆されて、エニードはせっかく王都に来たというのに、二、三日の休暇を取る羽目になってしまった。

 公爵家に帰ろうかと思ったが、どのみちクラウスも王都にいるのである。
 帰ってもお飾りの契約妻ではやることはないだろうし(そもそもクラウスに子作りの意思があるのかさえ疑問だ)、しばらくラーナの元でゆっくり過ごすことにした。

 家に戻りラーナに本日の出来事を話すと、ラーナは最近王都で流行っている異国の料理である、明太子パスタを作りながら、楽しそうに「あはは」と笑っている。
 ちなみに明太子とは、スケスケトウダラの卵らしい。文字通り、寒い湖に住んでいる体が半透明の魚である。
 卵はピンク色をしているので、卵を抱えているのがすぐにわかる魚だ。

「今日中に、私の悩みは解消されると思ったのだがな」
「やっぱり、思い込みなんですよ。クラウス様はセツカを男だと思っているでしょう? まぁ、そもそもエニードという名前が、男性名でも女性名でも通じますしね。大旦那様が名付けたのでしたっけ」
「そうだ。私が生まれた時の話だ。生まれたばかりの私が、泣くのを堪えて拳を握り締めていたのをみて、この子は立派な騎士になると確信し、エニードと名付けたらしい」
「すごい逸話ですね」

 明太子パスタをテーブルに運びながら、ラーナは言う。
 ラーナは今日も学校があったはずなのだが、学校に行き全ての家事もこなす、立派な少女だ。
 エニードも家事ができない訳ではない。
 野営は得意である。だが、ラーナに言わせると、エニードは雑すぎて家事を任せたくないらしい。
 ラーナと向かい合って座り、エニードは明太子パスタを食べた。
 明太子がぷつぷつしていて、少し辛くて、クリームソースがまろやかで美味しかった。

「クラウス様は男性が好きなのでしょうか」
「どうだろうな。そこまでは聞いていない」
「男性同士の恋愛にも色々あるのですよ、エニード様」
「色々とは?」
「たとえば、どちらがナットで、どちらがボルトなのか。果たしてクラウス様はどちらを望んでいるかで、これからのエニード様との関係が変わってくるかと思います」
「……よくわからない。ラーナは、詳しいのか?」
「ええ。学校のお友達の間で、人気があるのですね。そういった、創作物が」

 エニードは「そうなのか」と頷いた。
 正直、ラーナが何を言っているのかよくわかっていなかった。

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