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支配の蠱毒
序章
しおりを挟む心地良い音楽が、店内に流れている。
カウンターの奥では山河雛菊さんが、最後の珈琲を入れ終わっていた。
「今日もお疲れ様、杏樹。気をつけて帰りなさいよ」
身支度を整えてスタッフルームから出てきた私に、雛菊さんが声をかけてくれる。
茶色の癖のある髪を無造作に一つに縛っている雛菊さんは、すらりとした細身の体に白いシャツ、黒いエプロンを身に纏っている。
まさに、大人の女性、といった感じだ。
六月に誕生日を迎えて十七歳になったばかりの私に比べると、二十八歳の雛菊さんはとてつもなく大人に見える。
カウンター席に、テーブル席が三つある私の働いている喫茶店、ブルーウォーターのオーナーをしているのだから、実際大人なのだけれど。
「今日もありがとうございました。お先に失礼します」
ぺこりとお辞儀をして、私はお店を出た。
閉店時間は午後八時。
喫茶店なので基本的には珈琲のお店だけれど、雛菊さんは料理が上手なので、お食事も提供している。あとは、お酒も少しある。
雛菊さんは「酔っ払いの相手が嫌いなのよ」と言って、お店を早めに閉めることにしているらしい。
そのかわり、ランチタイムも営業しているので、お店の開店時刻は午前十一時。
私はお休みの時は昼から働いていて、平日は高校が終わってお店に辿り着くことができる午後四時ぐらいから、八時ぐらいまでのアルバイトをしている。
時給は千円。水曜日はお休み。一ヶ月でおよそ十万円ぐらいの稼ぎになる。
学校から直接お店に来ているので、私はお店の制服から、高校の制服に着替えて帰り道を歩いた。
午後八時の繁華街はまだ明るい。
雛菊さんのお店は駅前のアーケード街にある。煌々と明かりがともっているから、そんなに怖くはない。
お店から、私のアパートまではおよそ歩いて二十分程度。
帝都の晴海地区、見晴ヶ丘は、帝都の中ではそこまで都会というわけでもなくて、どちらかと言えば郊外で、物価も土地も家賃も安いので、住みやすくて良い場所とは言われている。
アーケード街を抜けると、次第にあたりが薄暗くなってくる。
街灯がぽつぽつと並んでいる道を、車が行ったり来たり、走り抜けていく。
歩道がきちんと整備されているのは、学生が多いからだ。
見晴ヶ丘は帝都の中心と比べれば家賃が安いので、子育て世代が多い。
だから、子供が多いので、通学に危険がないように車道と歩道が分かれていて、柵が設けられている。
私は薄暗い歩道を足早に歩いた。
何度も行き来している道だけれど、夜道はなんとなく不安だ。
午後八時や九時までは、学習塾に通っている学生もたくさんいるので、この時間に帰路に着くのはそう珍しいことじゃないのだけれど。
丸い月が夜空に浮かんでいる。
六月の終わりはまだ梅雨が続いていて、いつもは曇り空か雨が降っているのに、今日は珍しく晴れていた。
水分を多く孕んだ空気が、体にまとわりつくようだ。
昼間はじっとりと暑いけれど、夜はまだ涼しい。
六月六日に誕生日を迎えた私は、帝都都立見晴ヶ丘高校の二年生。
あと一年と半年ほどで、高校を卒業することができる。
そうしたら、もう少し余裕のある生活ができるだろうか。
「お金、無いなぁ……」
夜歩きの心許なさを誤魔化すために、切実な悩みを呟いてみる。
「家賃が、四万五千円。光熱費が、二万円ぐらい。携帯が、五千円。残り三万円も、無いぐらい……」
貯金なんて、夢のまた夢だ。
それでも、夜ご飯はお店で雛菊さんが作ってくれるから、無料。休日は、昼ごはんも無料。
なんとかやっていくことができているのは、雛菊さんのお陰である。
「……ん?」
誰もいない帰り道。
車道の脇にある歩道の左右には、コンクリートの壁が城を守る城壁のように続いている。
街灯の灯りが、スポットライトみたいに道を照らす。
そのスポットライトのひとつに、コンクリートの壁を背にして、真っ白くて細長く見える男性が、座り込んでいた。
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