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第六章 愛しい人

第二十九話 移住

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 第二十九話 移住
 
 「それじゃ最後の仕事に行ってくるか」
 
 「二人とも荷物をまとめておくのよ」
 
 飯塚教授との会話から移住計画は進んだ。
 父さんと母さんは会社に辞表を提出し最後の勤務に出かけた。
 二人とも会社に止められなかった。
 優秀な二人を辞めさせなければいけない程不景気は続いている。
 それに四十代は人生をやりなおせる最後の世代だ。
 二人とも辞職の意思は固かった。
 
 「お兄ちゃんデータとかは一式準備できたよ」
 
 茜は科学知識がつまったデータを紙と本に纏めていた。。
 茜も理系だから本は好きだし、何より本が読めなくなるのは嫌だという。
 異世界フォーチュリアは科学が発展途上なので茜の知識は大幅に役立つだろう。
 茜は中世ヨーロッパで役立ちそうな知識を持っていく。
 父さんは建築関係を、母さんは経理関係をそれぞれ準備した。
 おかげで俺の気球のゴンドラは荷物でいっぱいだ。
 データで持って行かないのは異世界フォーチュリアには電気が無いからだ。
 それにデータは消えてしまっては意味が無い。
 原始的な紙が一番役に立つ。
 
 あと飯塚教授が用意してくれた苗や種も詰め込んだ。
 ブレイメン公国の気候は長野県に似ている。
 それなら蕎麦や米以外に果物や野菜も育つかもしれない。
 農業関係は現地で四苦八苦するしかないから大学と併設して農業水産試験所も作ろう。
 だから余分に持っていく事にする。
 俺と茜は準備を終えてリビングでコーヒーを飲む。
 これから日本を離れる事になるから最後にゆっくりしたかったのだ。
 
 「ねえお兄ちゃん。本当に異世界フォーチュリアに行けるの?」
 
 「わからない。飯塚教授も絶対とは言い切れないと言っていた」
 
 茜は不安げだ。
 だが俺も同じ気持ちだ。
 いや、俺以上に父さんや母さんの方が不安だろう。
 日本と職場を捨てるのだから。
 正確に言うともし行けなかったら再就職しないといけない。
 日本は最近賃上げ傾向だがそれは大企業の話でまだ不安定なのは確かだ。
 
 「でもさ。これで日本に未練が無ければ移住できるんだよね」
 
 「そうだな」
 
 俺はそう答えるしかない。
 友達との別れは済ませた。
 表向きは俺がアメリカで就職すると同時に茜が在学中にアメリカに留学するのでアメリカに家族で移住するという事になっている。
 これなら数年は誤魔化せるだろう。
 日本の株価は上昇しているし賃上げも進んでいるらしいがそれは大企業の話で、中小企業がその恩恵を受ける頃父さんと母さんは五十代で俺と茜は三十代だ。
 今更景気が回復しても、俺たち家族にはもう間に合わない。
 十年後には人生が決まっているのだ。
 ブレイメン公国で俺は伯爵様だし仕事も賃金も文字通り金銀で手に入る。
 俺たちはその日最後の夜を飯塚教授と過ごして朝になってから出発しようと決めた。
 
 翌日。
 俺たち家族は車に乗り込んだ。
 運転は父さんだ。
 茜が助手席に乗り俺と母さんは後ろの席に乗る。
 飯塚教授の家の近くの駐車場に車を停めて歩いて行く。
 そしてチャイムを鳴らすと飯塚教授が出てきた。
 飯塚教授は今日は休みなのでラフな格好をしている。
 その後ろから飯塚教授の奥さんが出てくる。
 
 「最後に聞くが、本当にいいんだな」
 
 「ああ。覚悟は決まっている」
 
 父さんがそう言うと飯塚教授が俺たち一人ひとりと握手した。
 そして俺が異世界フォーチュリアに旅立った高原へと向かう。
 
 「もし無理だったらうちの大学でパートの仕事を紹介するからな。その間に再就職すればいいし俺も転職を全力でサポートするからな」
 
 「その時は頼むよ」
 
 そう言って俺たち家族は気球に乗る。
 足元にはデータの入ったノートパソコンと予備に大量に買い込んだバッテリー。
 植物の種と苗。
 そして沢山の本がのせてある。
 狭い。
 
 「じゃあ行ってくるよ。何か月か何十年後に一度戻るから長生きしろよ」
 
 「そっちもな。妙子さんも隼人君も茜ちゃんも元気で」
 
 「お世話になりました」
 
 飯塚教授と最後の別れをしたあと気球にバーナーで温かい空気を気嚢(きのう)という気球の袋にいれて気球を浮かせる。
 気球は高度を上げた。
 そして異世界フォーチュリアへと向かう風が吹く。
 俺たちの気球が日本から消えた瞬間、飯塚教授は自分の仮説が正しかった事に喜びつつも俺たちと二度と会えないかもしれないという悲しみに囚われた。
 俺たちは異世界フォーチュリアに旅立った。
 まるで無重力のような感覚がしたと思ったら次の瞬間には眩い光に包まれていた。
 そして気がつくと俺が消えた高原の上空にいた。
 地面は草が生い茂っているし風も吹いている。
 木々の間から木漏れ日が差している。
 心地よい風が吹いていて気持ちいい。
 目の前には雪解けが始まった山脈が見える。
 どことなく長野県に見える。
 
 「ここが隼人がいた世界なのか」
 
 「ああ。まずは俺の領地へ向かうよ」
 
 「お兄ちゃんは本当に伯爵様なんだよね」
 
 「まだ一か月だから領地が取り上げられてなければね」
 
 「その時は一から始めればいいさ」
 
 父さんがそう言いながら俺は一抹の不安を感じていた。
 そんな事を考えていた時だ。
 ピンク髪の一騎の竜騎士が俺の気球に近づいてきた。
 あの竜騎士はクリスの私兵の女性騎士エストだ。
 
 「わ、本当にドラゴンがいる」
 
 茜がエストに手を振るとエストも茜に手を振り返し、気球を並走する。
 その顔はとても嬉しそうでもあり焦っているようにも見える。
 
 「ミナセ伯爵が戻られるのを私は信じていました!!」
 
 「ごめんなエスト。クリスは元気か?」
 
 「元気どころではありません!!姫様が危篤状態なのです!!」
 
  「なんだって!?」
 
 「急いでください!!もう間に合わないかもしれません!!」
 
 そしてエストの乗るドラゴンに係留綱を付けてブレイメン公国の首都チュロスへ向かう。
 クリス無事でいてくれ。
 俺の願いはその事だけだった。
 
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