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第三章 空のシルクロード

第十二話 日本に帰りたい

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 第十二話 日本に帰りたい

 その夜、俺は館の自室で思い出せる限りの気球に関する数式などを貴重な紙にペンで書きまとめていた。
 もしクリスのアイデアが実現できれば今まで足かせでしかなかった山脈の強風と、手に入らなかった貴重な鉱山は強力な武器になるだろう。

 俺のいた日本の記録によると最初の熱気球は紙と絹とゴムで作られていた。
 紙と絹は超貴重品だし、ゴムは存在自体あるのだろうか。
 だがこれが成功すれば、先日のような鉱山事故の犠牲者が減らせるかもしれない。
 金や銀が豊富に埋まっている可能性が高いなら、外国から小麦を輸入する事も出来るかもしれない。
 固くて酸っぱくて不味い黒パンではなくみんなが白いパンを食べられる世界。
 俺のいた日本だと普通すぎる光景がとても輝いて見える。
 そんな夢を思いながらペンを走らせているとドアがノックされた。

 「ハヤト私だ。入っていいか?」

 「俺はいいけど淑女が夜に男の部屋に来るというのはどうなんだ?」

 「なんだハヤトは女を手籠にするほど男気があったのか?」

 「まったくございませんが。そうだなそれじゃベランダで落ち合おう」

 「わかった待っている」

 ふ、自分でも不甲斐なさに涙が出てくる。
 俺は卑屈で小心者でヘタレなのだ。

 まあクリスを手籠にしようとしたら逆に絞め殺される未来しか浮かばないが。
 今日は寝る予定だったので簡素に綿のシャツとパンタロンを履いてベランダへ向かう。
 ベランダにはドレス姿のクリスがグラスを片手に俺を待っていた。

 「遅いぞハヤト。女を待たせるなど男の恥だと思わないのか?」

 「淑女はこんな時間に男の部屋に出向かないと思うが」

 「ハヤトはどうせ何もしないだろう?」

 「俺だって男だぞ。そのつもりになればクリスを手籠にだな」

 「出来ると思うならやってみればいい。私は逃げも隠れもしないぞ」

 おれは黙って両手を上げて降参した。
 俺の様子にクリスが噴き出す。
 お互い笑いあった後、クリスがグラスを俺に手渡した。
 そのまま琥珀色の酒をグラスにつぐ。

 「我が国が誇る酒だ。シチという果実から作られるのでシチ酒という」

 「どれどれ」

 匂いは洗練されていないが度数は強そうだ。
 やや甘口だが果実酒なので当然か。

 「ハヤト。初めて会ったときを覚えているか」

 「まだ健忘症には早いぞ。誰かさんに切られそうになったよな」

 「あの件はお前にも非があると思うが」

 「確かにそうだ。いきなりやってきてドラゴンを解剖させろだもんな」

 「そうだお前が悪い」

 そう言ってお互い笑う。
 肌寒い秋の風が身体をひやすが酔った身体に心地よい。

 「ハヤトは不思議な男だ。なぜかお前のことを考えると心が騒ぐ」

 「惚れたか?」

 俺は出来る限りの虚勢をはって答えるが内心動揺しまくりだ。
 え、何これなにこれ俺モテ気到来!?
 心臓ばっくんばっくんしてるんですけど!?
 クリス可愛いし素直だし優しいしかなり好みだし。
 でもここで選択肢を間違うともれなく三枚おろしにされるんだろうな。

 「ハヤトが欲しい」

 「マジすか!?」

 え、え、え、マジマジマジ!?
 いやでもこういう告白は男からするべきかもだし、クリス泣かせたら大公に三枚おろしにされるしな。
 ここは慎重に慎重に。

 「ハヤト」

 「なんだいクリス」

 顔が引きつりそうなくらい緊張する。
 こういう時は白い歯できらんとかするべきか。

 「ハヤトの気球が欲しい」

 ………は?

 「ハヤト?」

 「えっとあのその、そこは告白する所ではないかと」

 「誰が?」

 「クリスが」

 「誰に?」

 「俺に」

 しばらく二人で黙り込む。
 よく見るとクリスの頬が赤い。
 脈はあるのだろうか。
 壮大な死亡フラグかもしれないが。

 「馬鹿。私が言っているのは気球のことだ」

 「今ならもれなく俺がついてきますが」

 「そんな特典はいらない」

 ですよね。

 「クリスさん。自分が何言ってるかわかってる?それって俺に日本に帰るなって言ってるのと同じことだよ」

 「ハヤトの生活は一生保証する」

 「そういう問題じゃない!!」

 俺はベランダの手すりにグラスを叩きつけた。
 クリスがびくっと身体を縮こませる
 なんて身勝手な事を言うんだ。
 俺はクリスに呆れ怒り、そして軽蔑した。
 やっぱりクリスは貴族だ。
 俺みたいな平民の気持ちなんてわからない。

 「頼む!!あの気球が沢山作れればブレイメン公国の民が救われるんだ!!」

 「じゃあ俺はどうなる!!こんな異郷で両親にも妹にも友達にも会えず一生生きろというのか!!クリスは身勝手だ!!ブレイメン公国の為なら何をしてもいいと思っているのか!!」

 「頼むこの通りだ!!」

 クリスが深々と頭を下げる。
 ブレイメン公国の為ならクリスは何でもするだろう。

 「じゃあ俺がクリスを一晩自由にさせろと言えば従うのか」

 「それがハヤトの望みなら」

 「嫌だね。自分を大切に出来ない女なんてこっちからお断りだ」

 クリスは頭を上げない。
 純粋にブレイメン公国の事を考えているのはわかる。
 だがその為に俺を犠牲にしても構わないと思っている。

 心底失望した。

 こんな女に俺は好意を抱いていたのか。
 頭を下げるクリスを無視して俺は畳んで庭に置かれた気球へ向かう。

 「ハヤト?」

 「勝手に気球を解体されても困るからな。朝になったら出発する」

 「待ってくれハヤト!!」

 「俺が明日飛んで日本に帰れなかったら考えてやってもいい」

 追いすがるクリスに背を向けて俺は立ち去る。
 もう一秒もクリスの顔を見たくはなかった。
 冷え切った夜だが今夜は気球の隣で眠る事にした。

 翌朝。

 涙で目を赤くしたクリスが俺と気球を見ている。
 クリスの様子に驚いた大公一家とフランツ宰相。そして兵士たち。
 俺は兵士に取り押さえられないように松明を持っていた。

 「おれを止めるなら気球を燃やすぞ」

 クリスから事情を聞いているのだろう。
 大公が泣きじゃくるクリスを抱きしめた。

 「娘の無礼をお詫びする」

 あの怖い大公が俺に頭を下げる。

 「もうちょっと娘の教育を考えた方が良かったですね」

 「返す言葉もない」

 「クリスに告げたとおり、俺がこれから飛んで日本に帰れなかったらあんた達の勝ちだ。気球の解体でも実験でもすきにすればいい」

 そう言って俺はバーナーに点火する。
 気球が膨らむとまだ膨らみきっていないのにゴンドラが地面から離れる。
 異世界フォーチュリアの特殊な浮力でもちあがっているのだ。
 そのままバーナーで加熱した空気を送り込むと気嚢が膨らんで大きくなった。
 クリスの泣き顔が離れていく。
 こんな筈じゃなかった。
 俺がクリスと分かれる時は笑顔で別れよう。
 そう決めていたのに。

 風は順風。
 あの時と同じ気象条件になれば可能性はある。
 気球は風を受けて首都チュロスの上空を飛ぶ。
 何かの催し物だと思ったのだろう。
 家の窓や広場に人々が集まり手を振っている。
 俺はあの純朴な人たちを見捨てるのか。
 いやそもそも俺はブレイメン公国の人間じゃない。
 彼らが貧しいのは俺のせいじゃない。
 クリスがあんな事を言わなければ俺だって、俺だっていくらでも協力したのに。
 自然に涙が頬を伝う。
 涙を拭い気球の操作に集中する。
 あの時は高度五百メートルで風を捕まえた。
 似た風が吹いている。
 だが超常現象は起こらない。

 「くそっなんでだよ!!」

 俺はゴンドラの上で肩を震わせて泣いた。
 奇跡はおこらなかった。
 賭けに負けた俺は悔し涙を拭いながら館の庭に降下していった。
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