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三章 首無し騎士と幻想無し
虎の子
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もし腐乱したゾンビに体温があるならば、互いの肌の温もりが感じ合える。それほどまでに肉薄し、ツンとする腐臭を鼻に感じとる。俺は素早く身を屈め、頭上を腐乱した腕が通り過ぎる風圧を肌で感じ、俺は姿勢を低くしたまま相手の膝に目掛けて前蹴りを打ち込む。
姿勢は不十分。威力は半減。なれども相手は腐った死体。
力任せに放った技は生木を無理矢理へし折ったかのような感触を足に伝え、その成果を俺の目に映し出す。
「死ねッ!」
仰向けに倒れ臥す首無しゾンビの腹を槍の先端で切り開き、粘度の高い血を流させる。僅かに指先だけが動いたゾンビだが、それ以上動く気配は無く完全なる死を迎えていた。
「次ィッ!」
背後から迫るゾンビにはそのまま槍を後方に押し出し石突きによる打撃を加える。俺は素早く身体を反転しゾンビへ正対すると、思いっきり鳩尾を蹴り上げる。つま先からずぶりとした感触が伝わり、一瞬の間をおいてゾンビの肉体が宙へ吹き飛ばされる。
「ぐぁッ!?」
脇腹から感じる衝撃。真横から不意に殴りつけられ俺は大きく仰け反り槍を落としてしまう。
更なる追撃を加えようと腕を伸ばすゾンビの腕を俺は素早く掴み、姿勢を低くし相手の腹に自分の背中をくっ付ける。そして左手でゾンビの右肘を掴み、右手で脇から肩にかけてがっしりと掴み下からかち上げるように背負いこむ。
「くたばれやァァッ!」
一本背負い。柔道の投げ技の一つである。
その威力は衝撃を吸収する畳の上ならば少々痛いで済む。だが、石畳のように硬い地面ならば文字通り必殺の一撃となる。
全体重を乗せ、投げ捨てるように叩きつけるとゾンビの身体は石畳の上で二度跳ね、ピクリとも動かなくなる。皮膚を突き破り飛び出た肋骨の色は赤茶色く汚れていた。俺は駄目押しに露出した骨ごとゾンビの胸を踏み潰す。
「つ、ぎ、来いやァッ!」
丸腰で吠える俺の気に押されたのか、ゾンビ達はじりじりと後方へ退がりだす。荒い呼吸をしながら俺は次に倒すべき相手を探し出す。
黒い返り血を浴び、迷彩柄の戦闘服をこの殺戮の場に相応しい模様へ変えた俺の姿は……果たしてナニに見えるのだろうか。
「次は無いよ。ハジメくん」
俺から距離をとったゾンビ達が一瞬にして宙を舞う。重力に導かれ地に落ちる寸前に、その身体はまるで爆発したかのように爆ぜ、次から次へと落ちてくるゾンビ達も同じように爆ぜていく。
空に舞うゾンビを次々と蹴り殺して行くイオン。一度蹴れば身体を真っ二つに割り、二度蹴れば上半身と下半身は別々の方向に吹き飛んで行く。
夥しい数の肉片をばら撒き、最後にそこで立っていたのは足を振り回してこびり付いた肉片を取るのに躍起になるイオンの姿だけだった。
イオンの戦闘力は凄まじく、バリケードを突破してきたゾンビの殆どを一人で倒していた。俺は溢れたうちの数体を倒したに過ぎない。
さしものイオンも動き続けて熱くなったのか、いつも被っているフードを外し濃い青の髪が表に出ていた。ぱたぱたと胸元を仰ぎ、ちらりと陽に焼けてない白い肌も露わになる。
「はぁ、はぁ……ひとまず第一陣は凌いだか?」
「そう思いたいね」
まだ礼拝堂の入り口前にはゾンビが群がっているが、設置した障害の上に動かなくなったゾンビが新たな障害として積み重ねられ、迫り来る不死者の行進を妨げる。
一服するほどの余裕は無いが一息つくだけの時間はある。俺は自分の顔に着いた返り血を服の袖で乱暴に拭う。
「使いなよ」
「うおっ!? とととっと、ありがとよ」
俺に向けて白い何かを投げてよこすイオン。俺の手元に来る直前でそれはパッと開き俺の手をすり抜けヒラヒラと舞い落ちる。俺は慌てて手を伸ばしそれを取ると柔らかな手触りが伝わってくる。
「シルクのハンカチか? 良いの持ってんだな?」
「意外かい? 僕は身だしなみには気を使うよ」
仮面から覗く黄金色のイオンの瞳は笑っているのか、普段より細くなっていた。
受け取ったは良いものの、こんな上等なハンカチを使った事が無い俺は少し躊躇いながら顔を拭う。柔らかな肌触りだけでは無い。何やら花の香りのような甘い匂いが鼻腔をくすぐり、腐臭で麻痺しかけていた嗅覚を復活させた。
よく見るとハンカチには花や鳥の刺繍が入っていて女性物のように見える。イオンの日頃の振る舞いに全くに似合わない代物に俺は軽く笑ってしまう。
「お前って案外、女っぽい物使ってんだな?」
「母の形見だ。僕が選んだ物じゃ無い」
「あっ……悪い……」
軽口のつもりだったのだが、思いがけず重い話題に踏み込んでしまったようだ。次の言葉を上手く考えつかなかった俺は口を噤んでしまう。
「気にするな。家に同じようなものがもう一枚ある」
「それ、何もいえねぇ……取り敢えず洗って返すよ」
予備があるからといって、こんな高級そうなハンカチをこれ以上汚すのは気が引ける。俺は四つ折りに畳んでズボンのポッケに入れる。
「どうやら休憩時間は終わりみたいだね」
ゾンビが仲間の肉体を踏み台にしてバリケードに置いた長椅子の縁に手を掛ける。そのゾンビをまた違うゾンビが踏み付け乗り越え、やがて一体のゾンビが障害の内側にもたついた動きで入り込む。そのすぐ横でも同じような光景が広がり第二陣がもう始まっている事を示していた。
第一陣が迫ってきた時とは違い、もはやバリケード本体の耐久性はかなり落ちていた。また同じ数、もしくはそれ以上の数が攻めてきた場合はとてもでは無いが保たない。
「イオン。ここは俺が戦う」
「大丈夫なのかい?」
「あぁ、俺にはこれがある」
そう言った俺は防弾チョッキの胸元から卵ほどの大きさのモノを取り出し見せる。表面がボコボコと歪になっているそれは果物のレモンを思わせるが色は黄色ではなく深緑色だ。
これがなんなのか分からないイオンは訝しげに首を傾けるが、息を一つ長く吐くと腰に手を当て俺を見た。
「危なくなったら僕を頼るんだよ?」
「わかってる。それより、いざという時は頼むぞ?」
俺は視線をエレットの近くに置いたペットボトルへ移す。ガソリン入りのそれはいざとなったらバリケードごとゾンビを燃やすために用意した物だ。
ゾンビが火に近づく習性があるかは確証が無いが、既に前例がある。一度そちらに興味を持てばあとは隙だらけとなるので、あとは煮るなり焼くなり、逃亡なり撃退するなり俺達の自由になる。
「エレットを頼むぞ?」
「……」
未だ放心状態のエレットを守るようにイオンに頼むが、相変わらず無言だ。目が合っているにも関わらず俺を無視しているようにも見える。
俺は呆れたため息をイオンに吐き掛けると、肩を掴んで軽く揺する。
「何が気に入らないんだ? 何でエレットの事になるとそんなに不機嫌なんだよ?」
「……それは僕の勝手だよ。守れたら守ってあげるから心配するな」
目を背け答える態度は心配しかできないが、他に取るべき手段は無い。ここでイオンが疲労してしまうのはよろしく無いのだ。
多数のゾンビ、リビングアーマーと続き俺では対処するのも一苦労な魔物が出現している。しかし、この調査の目的の魔物、デュラハンは未だに姿を現していない。
これだけの戦力を従える魔物となればその戦闘力はかなり高いものだと想像できる。もし、この場で相対した場合にはこちらも相応の戦力で対処する必要がある。それは放心した神官で無ければ対人火器しか持たない自衛官では無い。化け物じみた戦闘力を持つイオンでしか対処は出来ないのだ。
その為にはここでイオンに余分な力を使わせる訳にはいかない。本人は平気だと言っているが、戦闘を続ければ疲労が溜まらない筈が無いのだ。勝つ為の戦力は温存をしたい。
【大の虫を生かし小の虫を殺す。残酷だが、戦いに必要な事だ】
俺は銃を脚撃ちの姿勢で構え、既に侵入した一体のゾンビの腹部を狙って二連射を撃ち込んだ。仰け反り倒れ、ピクリとも動かない。
さらにもう一体のゾンビの胸に一発だけ撃ち込み、衝撃で倒れさせる。こちらも同じように動かなくなった。
「よしっ!」
遠間での射撃は威力が下がるが、近間ならその反対だ。屋外での戦闘と違い、この距離から放たれた弾丸はゾンビを行動不能にするには充分な威力がある事が証明され、俺は安堵の声をあげる。
「危ないって思ったら……僕は……すぐに助けに入るからね?」
その後も小気味良いリズムでゾンビを撃ち続けていく様にイオンも一先ず安心したのか、非常にゆっくりとした足取りで俺から離れて行く。途中で俺が振り返ると心配そうに見つめているのが分かる。
「年下に心配されるほど、俺は弱くは無えって!」
違うゾンビに照準を合わせ、俺はさらに撃ち続ける。
引き金を引くたびに舞う薬莢は右へと流れて行き、銃口から立ち上る火薬臭は俺に在りし日の訓練を思い出させる。
自衛隊生活勤続五年間。撃った小銃弾は何千発にも及びもはや数など覚えていない。
故に、操作方法は身体に染み付いている。何時ぞやの森のように安全装置を掛けたまま引き金を引くという醜態はもう晒さない。
続け様に撃ち続け、俺はまだ残弾数が残った状態で素早く弾倉交換を行う。
通称。タクティカルリロードという技術である。
弾倉の中にある弾を全弾撃ち尽くしてしまうと、最後に弾丸を薬室に送り込む為の遊底部分が解放されてしまい、次弾を装填するには槓杆を押し戻さなければいけなくなってしまい、それは大きな隙となる。
それを避ける為に薬室に弾丸が入った状態で次の弾倉を装填しなければいけない。
要は、連続して撃つ為に新しい弾倉を入れただけなのだが、この動作は口で言うほど簡単な事でなく残弾数の減り様を身体で覚えてなければ出来ない芸当なのである。
新しい弾を装填した小銃は一切の遅れ無く群がるゾンビを片付けて行く。
「うお、ウォォォォぉッッ!!!」
俺は雄叫びを上げながらも連射し敵の数を減らして行く。もはや礼拝堂の入り口は臓物《ハラワタ》をぶちまけられた死骸で溢れかえり、その死臭も元の空気の匂いが分からなくなるほどに臭っていた。
「!? クソッ来たか、来ちまったか!」
臓物だらけのバリケードが破壊音を立てて崩壊する。
埃立つ場から伸びてくるのは大きな鉄の塊。長い棒の先端に付いたそれは障害として置いたリビングアーマーの鎧を一撃で吹き飛ばし、散乱していた床を一瞬で綺麗に片付ける。
金槌と呼ぶには余りにも巨大。戦槌と言う呼び名が相応しい獲物。破壊する為の凶器を持った鎧の騎士が入り口の前に立っていたのだ。
しかも、二体。さながら阿吽の金剛像が如く仁王立ちをしていたのだ。
「下がるんだハジメくんッ!」
居並ぶ鎧を視認したと同時に、イオンの焦りの声が聞こえてくる。俺が振り返ると既にイオンは走り出していてバリケードにした長椅子の上を飛ぶように跳ね走り、まるで漆黒の雷を思わせるほど鬼気迫っていた。
そして俺はその黒い稲妻がすぐ横を通り過ぎようとした時、両腕を伸ばしてがっちりと掴む。
「ぷぎィ!?」
「下がるのはお前だイオン!」
まるで子豚さんのような可愛らしい声を上げてイオンは俺の腕の中に収まり、掴んだ勢いそのまま俺は伏せた。イオンはまさか俺に止められると思っていなかったのか腕の中で俺を見上げ暫し呆然とした様子だったが、頭を振ると我に帰ったのか俺の胸ぐらを掴み吠える。
「何すんだ!? 君があの鎧に勝てる訳無いだろうがッ!」
イオンとしては最もな意見だろう。弱いゾンビを相手にするのがやっとな人間が、厄介な生ける鎧を一体ならまだしも、二体も同時に相手に出来るはずがないと。過少も過大もしていない等身大の俺への評価はそれなのだと。
「俺を……ナメんなよォォッ!」
俺はイオンを抱えたまま、右手で先ほど見せたレモンサイズの深緑色のモノを取り出す。犬歯でそれに付いている丸いピンを引っ掛け抜くと思いっきり入り口に投げつけた。
投げられたそれは地面に当たり、跳ね、宙を漂い、地面に落ち、床を転がり、そして。
凄まじい爆発音を立てバリケードもろとも二つの鎧を吹き飛ばす。
俺は投げた瞬間にまた伏せ、今度は自分の身体でイオンの身体を覆い尽くす。幸いにもイオンは小柄であるので俺が上に乗ればすっぽりと覆い尽くせる。俺の胸元の位置にあるイオンの目は戸惑いと驚きと興奮が入り混じったような目をしていて、激しく動揺しているようにも見える。
「虎の子のグレネードだ。投げたのは久しぶりだけど……やっぱり凄まじぃな」
俺はゆっくりと身体を起こし目の前の光景を見ると、入り口の壁はまだ形を保っていたがそれ以外は目も当てられない惨事となっていた。
まるで砲弾弾着地のように荒れた現場に残っていたモノは、飛び散った肉片。ガレキ。鎧だと思われる鉄の破片。ひしゃげた戦槌。そして上下左右に分かれている鎧の騎士だった成れの果てだけであった。
姿勢は不十分。威力は半減。なれども相手は腐った死体。
力任せに放った技は生木を無理矢理へし折ったかのような感触を足に伝え、その成果を俺の目に映し出す。
「死ねッ!」
仰向けに倒れ臥す首無しゾンビの腹を槍の先端で切り開き、粘度の高い血を流させる。僅かに指先だけが動いたゾンビだが、それ以上動く気配は無く完全なる死を迎えていた。
「次ィッ!」
背後から迫るゾンビにはそのまま槍を後方に押し出し石突きによる打撃を加える。俺は素早く身体を反転しゾンビへ正対すると、思いっきり鳩尾を蹴り上げる。つま先からずぶりとした感触が伝わり、一瞬の間をおいてゾンビの肉体が宙へ吹き飛ばされる。
「ぐぁッ!?」
脇腹から感じる衝撃。真横から不意に殴りつけられ俺は大きく仰け反り槍を落としてしまう。
更なる追撃を加えようと腕を伸ばすゾンビの腕を俺は素早く掴み、姿勢を低くし相手の腹に自分の背中をくっ付ける。そして左手でゾンビの右肘を掴み、右手で脇から肩にかけてがっしりと掴み下からかち上げるように背負いこむ。
「くたばれやァァッ!」
一本背負い。柔道の投げ技の一つである。
その威力は衝撃を吸収する畳の上ならば少々痛いで済む。だが、石畳のように硬い地面ならば文字通り必殺の一撃となる。
全体重を乗せ、投げ捨てるように叩きつけるとゾンビの身体は石畳の上で二度跳ね、ピクリとも動かなくなる。皮膚を突き破り飛び出た肋骨の色は赤茶色く汚れていた。俺は駄目押しに露出した骨ごとゾンビの胸を踏み潰す。
「つ、ぎ、来いやァッ!」
丸腰で吠える俺の気に押されたのか、ゾンビ達はじりじりと後方へ退がりだす。荒い呼吸をしながら俺は次に倒すべき相手を探し出す。
黒い返り血を浴び、迷彩柄の戦闘服をこの殺戮の場に相応しい模様へ変えた俺の姿は……果たしてナニに見えるのだろうか。
「次は無いよ。ハジメくん」
俺から距離をとったゾンビ達が一瞬にして宙を舞う。重力に導かれ地に落ちる寸前に、その身体はまるで爆発したかのように爆ぜ、次から次へと落ちてくるゾンビ達も同じように爆ぜていく。
空に舞うゾンビを次々と蹴り殺して行くイオン。一度蹴れば身体を真っ二つに割り、二度蹴れば上半身と下半身は別々の方向に吹き飛んで行く。
夥しい数の肉片をばら撒き、最後にそこで立っていたのは足を振り回してこびり付いた肉片を取るのに躍起になるイオンの姿だけだった。
イオンの戦闘力は凄まじく、バリケードを突破してきたゾンビの殆どを一人で倒していた。俺は溢れたうちの数体を倒したに過ぎない。
さしものイオンも動き続けて熱くなったのか、いつも被っているフードを外し濃い青の髪が表に出ていた。ぱたぱたと胸元を仰ぎ、ちらりと陽に焼けてない白い肌も露わになる。
「はぁ、はぁ……ひとまず第一陣は凌いだか?」
「そう思いたいね」
まだ礼拝堂の入り口前にはゾンビが群がっているが、設置した障害の上に動かなくなったゾンビが新たな障害として積み重ねられ、迫り来る不死者の行進を妨げる。
一服するほどの余裕は無いが一息つくだけの時間はある。俺は自分の顔に着いた返り血を服の袖で乱暴に拭う。
「使いなよ」
「うおっ!? とととっと、ありがとよ」
俺に向けて白い何かを投げてよこすイオン。俺の手元に来る直前でそれはパッと開き俺の手をすり抜けヒラヒラと舞い落ちる。俺は慌てて手を伸ばしそれを取ると柔らかな手触りが伝わってくる。
「シルクのハンカチか? 良いの持ってんだな?」
「意外かい? 僕は身だしなみには気を使うよ」
仮面から覗く黄金色のイオンの瞳は笑っているのか、普段より細くなっていた。
受け取ったは良いものの、こんな上等なハンカチを使った事が無い俺は少し躊躇いながら顔を拭う。柔らかな肌触りだけでは無い。何やら花の香りのような甘い匂いが鼻腔をくすぐり、腐臭で麻痺しかけていた嗅覚を復活させた。
よく見るとハンカチには花や鳥の刺繍が入っていて女性物のように見える。イオンの日頃の振る舞いに全くに似合わない代物に俺は軽く笑ってしまう。
「お前って案外、女っぽい物使ってんだな?」
「母の形見だ。僕が選んだ物じゃ無い」
「あっ……悪い……」
軽口のつもりだったのだが、思いがけず重い話題に踏み込んでしまったようだ。次の言葉を上手く考えつかなかった俺は口を噤んでしまう。
「気にするな。家に同じようなものがもう一枚ある」
「それ、何もいえねぇ……取り敢えず洗って返すよ」
予備があるからといって、こんな高級そうなハンカチをこれ以上汚すのは気が引ける。俺は四つ折りに畳んでズボンのポッケに入れる。
「どうやら休憩時間は終わりみたいだね」
ゾンビが仲間の肉体を踏み台にしてバリケードに置いた長椅子の縁に手を掛ける。そのゾンビをまた違うゾンビが踏み付け乗り越え、やがて一体のゾンビが障害の内側にもたついた動きで入り込む。そのすぐ横でも同じような光景が広がり第二陣がもう始まっている事を示していた。
第一陣が迫ってきた時とは違い、もはやバリケード本体の耐久性はかなり落ちていた。また同じ数、もしくはそれ以上の数が攻めてきた場合はとてもでは無いが保たない。
「イオン。ここは俺が戦う」
「大丈夫なのかい?」
「あぁ、俺にはこれがある」
そう言った俺は防弾チョッキの胸元から卵ほどの大きさのモノを取り出し見せる。表面がボコボコと歪になっているそれは果物のレモンを思わせるが色は黄色ではなく深緑色だ。
これがなんなのか分からないイオンは訝しげに首を傾けるが、息を一つ長く吐くと腰に手を当て俺を見た。
「危なくなったら僕を頼るんだよ?」
「わかってる。それより、いざという時は頼むぞ?」
俺は視線をエレットの近くに置いたペットボトルへ移す。ガソリン入りのそれはいざとなったらバリケードごとゾンビを燃やすために用意した物だ。
ゾンビが火に近づく習性があるかは確証が無いが、既に前例がある。一度そちらに興味を持てばあとは隙だらけとなるので、あとは煮るなり焼くなり、逃亡なり撃退するなり俺達の自由になる。
「エレットを頼むぞ?」
「……」
未だ放心状態のエレットを守るようにイオンに頼むが、相変わらず無言だ。目が合っているにも関わらず俺を無視しているようにも見える。
俺は呆れたため息をイオンに吐き掛けると、肩を掴んで軽く揺する。
「何が気に入らないんだ? 何でエレットの事になるとそんなに不機嫌なんだよ?」
「……それは僕の勝手だよ。守れたら守ってあげるから心配するな」
目を背け答える態度は心配しかできないが、他に取るべき手段は無い。ここでイオンが疲労してしまうのはよろしく無いのだ。
多数のゾンビ、リビングアーマーと続き俺では対処するのも一苦労な魔物が出現している。しかし、この調査の目的の魔物、デュラハンは未だに姿を現していない。
これだけの戦力を従える魔物となればその戦闘力はかなり高いものだと想像できる。もし、この場で相対した場合にはこちらも相応の戦力で対処する必要がある。それは放心した神官で無ければ対人火器しか持たない自衛官では無い。化け物じみた戦闘力を持つイオンでしか対処は出来ないのだ。
その為にはここでイオンに余分な力を使わせる訳にはいかない。本人は平気だと言っているが、戦闘を続ければ疲労が溜まらない筈が無いのだ。勝つ為の戦力は温存をしたい。
【大の虫を生かし小の虫を殺す。残酷だが、戦いに必要な事だ】
俺は銃を脚撃ちの姿勢で構え、既に侵入した一体のゾンビの腹部を狙って二連射を撃ち込んだ。仰け反り倒れ、ピクリとも動かない。
さらにもう一体のゾンビの胸に一発だけ撃ち込み、衝撃で倒れさせる。こちらも同じように動かなくなった。
「よしっ!」
遠間での射撃は威力が下がるが、近間ならその反対だ。屋外での戦闘と違い、この距離から放たれた弾丸はゾンビを行動不能にするには充分な威力がある事が証明され、俺は安堵の声をあげる。
「危ないって思ったら……僕は……すぐに助けに入るからね?」
その後も小気味良いリズムでゾンビを撃ち続けていく様にイオンも一先ず安心したのか、非常にゆっくりとした足取りで俺から離れて行く。途中で俺が振り返ると心配そうに見つめているのが分かる。
「年下に心配されるほど、俺は弱くは無えって!」
違うゾンビに照準を合わせ、俺はさらに撃ち続ける。
引き金を引くたびに舞う薬莢は右へと流れて行き、銃口から立ち上る火薬臭は俺に在りし日の訓練を思い出させる。
自衛隊生活勤続五年間。撃った小銃弾は何千発にも及びもはや数など覚えていない。
故に、操作方法は身体に染み付いている。何時ぞやの森のように安全装置を掛けたまま引き金を引くという醜態はもう晒さない。
続け様に撃ち続け、俺はまだ残弾数が残った状態で素早く弾倉交換を行う。
通称。タクティカルリロードという技術である。
弾倉の中にある弾を全弾撃ち尽くしてしまうと、最後に弾丸を薬室に送り込む為の遊底部分が解放されてしまい、次弾を装填するには槓杆を押し戻さなければいけなくなってしまい、それは大きな隙となる。
それを避ける為に薬室に弾丸が入った状態で次の弾倉を装填しなければいけない。
要は、連続して撃つ為に新しい弾倉を入れただけなのだが、この動作は口で言うほど簡単な事でなく残弾数の減り様を身体で覚えてなければ出来ない芸当なのである。
新しい弾を装填した小銃は一切の遅れ無く群がるゾンビを片付けて行く。
「うお、ウォォォォぉッッ!!!」
俺は雄叫びを上げながらも連射し敵の数を減らして行く。もはや礼拝堂の入り口は臓物《ハラワタ》をぶちまけられた死骸で溢れかえり、その死臭も元の空気の匂いが分からなくなるほどに臭っていた。
「!? クソッ来たか、来ちまったか!」
臓物だらけのバリケードが破壊音を立てて崩壊する。
埃立つ場から伸びてくるのは大きな鉄の塊。長い棒の先端に付いたそれは障害として置いたリビングアーマーの鎧を一撃で吹き飛ばし、散乱していた床を一瞬で綺麗に片付ける。
金槌と呼ぶには余りにも巨大。戦槌と言う呼び名が相応しい獲物。破壊する為の凶器を持った鎧の騎士が入り口の前に立っていたのだ。
しかも、二体。さながら阿吽の金剛像が如く仁王立ちをしていたのだ。
「下がるんだハジメくんッ!」
居並ぶ鎧を視認したと同時に、イオンの焦りの声が聞こえてくる。俺が振り返ると既にイオンは走り出していてバリケードにした長椅子の上を飛ぶように跳ね走り、まるで漆黒の雷を思わせるほど鬼気迫っていた。
そして俺はその黒い稲妻がすぐ横を通り過ぎようとした時、両腕を伸ばしてがっちりと掴む。
「ぷぎィ!?」
「下がるのはお前だイオン!」
まるで子豚さんのような可愛らしい声を上げてイオンは俺の腕の中に収まり、掴んだ勢いそのまま俺は伏せた。イオンはまさか俺に止められると思っていなかったのか腕の中で俺を見上げ暫し呆然とした様子だったが、頭を振ると我に帰ったのか俺の胸ぐらを掴み吠える。
「何すんだ!? 君があの鎧に勝てる訳無いだろうがッ!」
イオンとしては最もな意見だろう。弱いゾンビを相手にするのがやっとな人間が、厄介な生ける鎧を一体ならまだしも、二体も同時に相手に出来るはずがないと。過少も過大もしていない等身大の俺への評価はそれなのだと。
「俺を……ナメんなよォォッ!」
俺はイオンを抱えたまま、右手で先ほど見せたレモンサイズの深緑色のモノを取り出す。犬歯でそれに付いている丸いピンを引っ掛け抜くと思いっきり入り口に投げつけた。
投げられたそれは地面に当たり、跳ね、宙を漂い、地面に落ち、床を転がり、そして。
凄まじい爆発音を立てバリケードもろとも二つの鎧を吹き飛ばす。
俺は投げた瞬間にまた伏せ、今度は自分の身体でイオンの身体を覆い尽くす。幸いにもイオンは小柄であるので俺が上に乗ればすっぽりと覆い尽くせる。俺の胸元の位置にあるイオンの目は戸惑いと驚きと興奮が入り混じったような目をしていて、激しく動揺しているようにも見える。
「虎の子のグレネードだ。投げたのは久しぶりだけど……やっぱり凄まじぃな」
俺はゆっくりと身体を起こし目の前の光景を見ると、入り口の壁はまだ形を保っていたがそれ以外は目も当てられない惨事となっていた。
まるで砲弾弾着地のように荒れた現場に残っていたモノは、飛び散った肉片。ガレキ。鎧だと思われる鉄の破片。ひしゃげた戦槌。そして上下左右に分かれている鎧の騎士だった成れの果てだけであった。
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アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
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