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二章 自衛官。王都へ

特別

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 ~~五年前、五月~~

「待て」

 顔面目掛けてふりおろされた拳は当たる寸前に手首を掴まれて止められた。
 突然の横槍に戸惑う俺と、驚きのあまり地面にひっくり返った東城区隊長の間に入った人物。

「み、南野班付……」

 俺達新隊員の教育係、南野武久班付その人だった。
 南野班付は無表情で俺を見つめ、次いで東城区隊長を見る。その目つきは鋭く、俺は一瞬にして身体中から冷えた汗が噴き出るのが分かった。
 強者であるが故に獲物を蹂躙する獅子のように、気高さまで感じるその目は怒っているようにも、呆れているようにも見えた。

「み、南野! 丁度良いところに来てくれたな! そいつが上官である俺に楯突こうとしているのだ。俺がせっかく自衛官としての心構えを指導してやろうと、善意でやっているにも関わらずだ。どう思う?」

「な、テメェ!」

 東城は南野班付を認めるや否や、すぐに自分のペースに持っていこうとまくし立てる。その行為がまたしても俺の癪に触れ、もう一度殴りかかろうと俺は掴まれてる右腕を振り払おうと力を込める。だが、その腕は微動だにしなかった。

「待て、といった筈だ。日本ひのもと自衛官候補生」

「ッッ!?」

 万力。そんな表現が生温く感じる程に、俺の右腕は南野班付の力によって軋んでいる。ミシミシと骨を通して伝わってくる嫌な音に俺は悲鳴をあげそうになるが、目の前で東城がザマァみろと言わんばかりの笑みを浮かべていたので、無様な姿は見せてたまるかと必死に我慢する。

「ほぅ……」

 南野班付は一言それだけ言うと俺の手を離し、解放してくれた。
 それを見た東城は何やら興奮した様子で俺を指差し、また罵声を浴びせてきた。

「ハァ! よくわかったか? ここは自衛隊だぞ? 貴様のような生意気な若造がいきがってられる訳無いだろうがァッッ! これからじっくりと貴様に……」

「東城区隊長。一ついいですか」

 汚らしい言葉で罵る東城を南野班付が半ば俺を庇うように前に出て、握りこぶしを真上に上げて提案する。
 自分の言葉を遮られた東城は嫌そうな顔を見せるが渋々とした様子で黙り込んだ。

「なんだ? 南野陸士長・・・いや、この教育期間中は南野班付はんづきか?」

「東城一等陸尉・・・・この教育期間中は俺が新隊員の教育指導を担当しています。区隊長が自らやる程の事ではありません。その認識なのですが、相違ないですか?」

 東城の威圧するような目と言葉に、南野班付は全く怯まず真正面から向き合っている。数秒の時しか経っていないはずなのに俺はこの光景を何時間も眺めているような疲労感を身体に感じ、呼吸が荒くなる。

「ふん、しっかり指導しとけよ」

 やがて東城はそれだけ言い放つと踵を返し離れて行った。背中から見ても分かるほどイラついて、むしゃくしゃして足元の石を乱暴に思いっきり蹴飛ばし転がっていく。それを俺は南野班付の背中越しに見送った。

「北村自衛官候補生は下がって良し、事後の行動にかかれ」

「へっ?」

 すっかり蚊帳の外の立場になっていた由紀は、当然自分の名前を呼ばれた事に驚き裏返った声を出す。

「事後の行動に、かかれ。っと言ったんだ。聞こえなかったのか?」

「い、い、いえッ聞こえてます! 事後の行動にかかります!」

 由紀は戸惑いつつも未だ慣れていない、どこかぎこちない敬礼動作をすると急いで走り出そうと回れ右をする。

「待て」

「は、はヒぃ?」

 由紀はよっぽど焦っているのか、またしても裏返った声を出してこちらを振り返る。額には汗が光っていて息遣いも荒い。そんな由紀に南野班付は先ほどよりも少し穏やかな声で由紀を諭す。

「敬礼されたら答礼するのが自衛官だ。……覚えとけ」

 そういうと南野班付は由紀に向けて敬礼をする。その動作は洗練されていて一切の無駄が無く、先ほどの由紀の敬礼とは雲泥の差があった。

「あ、ありがとうごまっすッッ!!」

 まだ焦っているのだろう。由紀は頭を素早く下げ噛みながら返事をし、噛んだ事に気がつかないまま駆け抜けるように走って行った。

「日本自衛官候補生」

「は、はいっ!」

 名前を呼ばれ、反射的に気をつけの姿勢をとる俺に南野班付は真剣そのもの眼差しを送ってくる。
 ただ、それだけの事なのだが俺の身体からは噴き出る汗が止まらない。

「何故、東城あいつが偉いと思う?」

「はい? えっと……それは階級が高いからでは?」

 何故そんな事を聞くのだろうか。俺はダラダラと汗を流しながら月並みな答えを返した。
 俺の返答にも南野班付は一切表情を崩さず一度頷き続いて口を開く。

「そうか。それなら、何故階級が高いと思う?」

「え、それは実績とか能力とかですか?」

 考えてみたがやはりそんなものしか言葉として出てこない。

「それが、あんな奴にあると思っているのか?」

「思いませんッ!」

 俺はすぐさま否定の声を出す。あんな奴に能力なんてあってたまるか。
 その思いが俺にはあった。

「そうか」

 南野班付は一言だけ言うと俺に背中を向け、そして背中越しに俺に言葉をかける。

「それでも奴があの階級にいると言うことは、奴が特別・・なモノを持っているということなのかもな」

「特別?」

「それは果たして運なのか。他の何かなのかは俺にも分からん」

 南野班付は軽く笑い、俺の方を見る。その表情は先程の真剣なものとは違い、怖い顔に似合わないとても穏やかで優しい表情をしていた。

「お前はどうだ? 特別なモノをもっているのか?」

「そ、それは……」

 言われて俺は口淀んでしまう。
 俺は自分の身体能力には自信がある。昔から運動部を掛け持ちしたり、学生時代に闘球ラグビーをやっていたりして身体つきも同期の自衛官達と比べても立派だった。
 しかし今俺の目の前にいる南野班付と比べるとどうしても見劣りしてしまう。
 身体能力、精神力、人格。まだ出会って一ヶ月ほどだが、ここまで出来た人は見たことが無い。

 自分より圧倒的に優れている人を目の前にして、俺は自分自身に自信を持てなくなっていた。

「無いのか?」

「……」

 何も言えない。俺は黙り込んでしまいそのまま数分が経ってしまった。
 陽は暖かいがまだ五月。時折流れるように吹いてくる風が汗だくの俺の身体から体温を奪っていく。

「なら、俺についてこい」

「えっ……」

 いつのまにか南野班付の手が俺の方に触れていた。そこから感じる熱は驚くほど熱く感じ、冷えかけていた俺のからだを徐々に熱くしていく。
 南野班付は俺の肩からゆっくりと手を離し、真っ直ぐに俺の目を見つめる。

「俺についてこい、ハジメ。お前が特別な[なにか]を得るまで、俺が鍛えてやる」


 ―――――


 グロリアス王国、王都グローリー。
 その街並みはどこかヨーロッパの歴史ある風景をイメージさせられた。
 日本の家屋とは違いレンガで作られた建物が多く、街並みの至る所に水路が走っている。その水は現代の水道水と比べれば決して綺麗とは言えないが煮沸すれば飲めるとのことだ。基本は飲用では無いらしい。

 ならば飲用水はどこから得るのか。答えは魔術で水を浄化したものを飲むらしい。
 王都に住んでいる人々は基本的に大なり小なり程度の差はあれど魔術を使えるものが多いらしく魔術が使えないもの達は金で買う者もいる。
 もっとも、近場の川の上流で汲んできてそれを前述した煮沸消毒して使用する者が一番多いとの事だ。

 現代日本で言うならば……わざわざ金を払ってミネラルウォーターを買うか、水道水飲むかの違い程度だろう。

「腹壊しそうだから、俺が飲む時はルチアが浄化したやつ飲みたいな」

「私は戦闘用の魔法しか使えないから無理だよ?」

「あー、胃薬とか荷物の中にあったかな……」

 俺とルチアは王都の大通りに面したとある喫茶店に来ていた。店内は茶葉のとても良い香りがしていて、お茶の種類に詳しくない俺でも雰囲気だけで楽しめる。
 俺は何気無しに腕時計を見ると午後三時を指している。果たしてこの世界が元いた日本と同じ二十四時間で一日が回っているのかは分からないが、陽の傾き具合や周りを行き交う人々の一仕事終えた疲れた表情から察するに概ね時間は同一なのだろうと判断する。

(そこらへんの詳しい話も聞いときゃ良かった)

 木目の形がなんとも美しいテーブル。その上に置かれた茶色の液体を口に含み、俺はしみじみと自分の行動を振り返っていた。


 ―――――


「なぁ、本当に俺に幻想が無いのか?」

「もう一回いっときます? ……[滅殺・解析砲アナライズ・キャノン!!」

「名前がさっきと違うじゃねぇかッ!?」

 思わずツッコミを入れたくなるノウの行動に呆れつつ、再びノウの放つ怪光線を受ける。
 全身に痛みは無く特に不快な感覚も無いのだが、光の発射源であるノウの顔が腹立つ程のドヤ顔なのが俺の精神をさらに苛立たせる。

「んん? 身体能力はめちゃくちゃ優れているんですけど、やっぱり幻想は持ってないですね~」

「そうかぁ」

 ノウの言葉に俺は落胆のため息を吐いてしまう。長く吐かれた息によって場の空気は沈み暗い雰囲気になっていた。

「えっと、その、あー、身体能力が優れているっていう幻想じゃ無いのかな?」

 落ち込む俺を見かねたルチアが言葉に詰まりながらもノウに聞いてみる。俺は一縷いちるの望みをかけてノウを見るが、その小さな首は大きく左右に振られていた。

「そこまでの異常さは無いんですよね~。私が過去に見た身体能力系の幻想はそれこそ計測不能でしたし……」

「そうかぁ……」

 またもや俺は深いため息を吐いてしまう。

「じゃ、じゃあさ! あの……ハジメが持ってた変な形のクロスボウガン? あれじゃないかな、だってあれ弦も無いし凄い連射してたし、あれがハジメの幻想じゃ無いかな?」

「ルチア。あれはな、銃って言って俺のいた世界じゃ軍や兵士が持つ一般的な武器なんだ」

「あんなのみんな持ってんの!? なにそれ怖い……」

 ルチアは一瞬怯えたような表情を見せ、少し後ろに下がってしまう。そのかわりに一歩前に出たのはウェスタだった。

「……いや、銃を所持できているのがパイセンの幻想の可能性は少しだけあります」

「なに?」

 ウェスタの言葉はルチアの発言を肯定するものだった。

「例えばそう。あれは今から、さん……」

「ウェスタ」

 ウェスタの言葉を遮ったのは、ジェリコの低い声だった。先ほどまでのふざけた調子は一切感じさせず、爬虫類を思わせるその目はまるで獲物を狩る時のように細く、真剣さが宿っていた。

「すいませんパイセン。ここから先の話は部外者にはお話しできないんです」

 ウェスタは困ったように頭をかき、悪戯っぽく口角を上げ、ニヤついた笑みをそのままに、続きの言葉を口から声に出す。

「パイセンが部外者じゃ無ければお話しできたりするんですけどねー」

「……なにが言いたい?」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、ウェスタは芝居がかった動きで両手を左右に広げ、細めた目と笑みで俺を見る。

「幻想調査隊。それに入隊してくれればオッケーです」
「じゃあ入る」

「えぇ~? それはね~、甘いってやつじゃ無いかな~。ハジメェちゃん~?」

 即答で答えた俺に気の抜けた声が横槍を入れてくる。植物の蔓のような腕をにゅるにゅると動かし、その先端を俺に向け、ファムは訛った発音で俺の名を呼ぶ。

「ファムっていったか。なにが甘いんだ?」

「んん~~、だってぇ~、ファム達の隊はね~。ある意味特別な部隊って言えるんだよ~? それをさ~、なんの取り柄も無い人間如きが入れると思ってんのさ~?」

「……あッ!?」

 ファムの明け透けの無い正直な言葉に対し俺はつい語尾を上げてしまった。一瞬だけ怯んだ様子のファムを庇うように、大柄な体躯を持つのテッドが俺の前に立ち塞がる。

「ファム。……お前は、言葉が……足らない。ハジメ、説明が不十分で……すまない」

 俺のことを見下ろすテッドは図体に似合わない控えめな声で頭を下げると、俺に背を向けファムの頭を優しく叩く。

「パイセン。一応この幻想調査隊には入隊試験というのもあるんですよ。それに受かってからじゃ無ければ入隊は認められません」

「どんな試験なんだ?」

「その前にパイセン。一ついいですか?」

 一歩身を乗り出して話を聞く俺に、ウェスタは指を一本立てその指を俺に向ける。

「本当に幻想調査隊に入るつもりで?」

「ダメなのか?」

 俺が首を傾げるとウェスタは腰に手を当て少しだけ目を瞑って何かを考え、口を開く。

「幻想調査隊に入るということは……。あのホブゴブリンみたいな奴、もしくはもっとヤバい奴と戦うかもしれないんですよ? 俺たちはあんな風に脅威となる存在を調査するのが仕事なんです。どういう事かお分かりで?」

「死んで当然。命の保証はしないという訳か」

 俺はあの森での出来事を思い出す。
 見知らぬ土地。襲いくる躊躇の無い殺意。訓練では無い実戦。命を奪うための武器。それを使って奪った命。言葉を交わさない会話。相手を殺すための思考。……そして、何もわからないまま殺した命。

「……ルチア」

 俺はいつのまにか彼女の名前を口にしていた。
 急に名前を呼ばれたことにルチアは少し戸惑った様子を見せるが、何も言わず俺を見つめてくれていた。

「少し、考えさせてくれ」

「そうですか。……街を見てくるといいと思います。この世界を少しでも知ってから選ぶのがいいでしょうから」

 ウェスタは俺の言葉に何か感じたのか、何故か少しだけ笑い、嬉しそうだった。
 俺は黙って乱れていない襟を正し、部屋の外へ歩いていった。

 まだ見ぬ異世界への不安を、心の片隅に置きながら。
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