一人で寂しい夜は

春廼舎 明

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 窓を開ける。換気扇を回し鍋を火にかける。
 途端に冷たい空気が入り込み、「寒い!」と吏作さんから文句が飛んで来る。次第に温まる鍋の中身が素晴らしい香気を放つ。吏作さんがキッチンを覗きにくる。私はそろそろ、この空気中に飛ばされたアルコールだけで、ぐでんぐでんに酔ってしまいそうで、火加減を調整し火の番を吏作さんと交代し、ベランダに出た。
 キンと冷えた空気、どんよりとした空。スカッと青い空は本当に同じこの国の空だったのだろうか、と思うほど冬の空は憂鬱だ。ぶるぶる震えながら空を眺めた。

「葵ちゃん、タイマー鳴ったよ。火を止めたけどこれで完成?」
「ん、行くよ」

 換気扇を回しているのに、吏作さんの開けた窓からワインとスパイスの香りがふわーっとやって来た。暖かい空気につられて部屋に入る。

「吏作さんって、冬の匂いって言ったら何を連想します?」
「ん~? 枯葉とか、乾いた土の匂いとか?」
「食べ物系は? おでんとか、中華まんのふかす匂いとか…」
「蒸すって言えば、サツマイモ。家だと焼き芋よりふかし芋だろ、それかストーブの上で干し芋焼いたり、その匂いかな。」
「ほしいも?」
「サツマイモの干したの。おやつとかおつまみ売り場にあるよ? 今度買って来て焼こうか。焼かなくてもうまいけど。」

 マグカップに熱々のモルドワインを注いで、向かい合う。吏作さんはともかく私はそれほどお酒に強くないので、アルコールは完全に飛ばしてある。

「さて、吏作さんこの間の続き。」
「ん」

__

「吏作さん、これ、まだ私書けません。」

 用紙を押し戻す。

「え!」
「あ、いえ。『まだ』です。」
「…まだ?」
「だって、うちの両親、今日会ったでしょ?」
「うん。」
「こっちに拠点を移して、本籍住所も変えるとかどうとか言ってましたので……」
「落ち着くまで待ってるの?」
「手続きがバッティングして、本籍住所が違いますとか、不備になるのも面倒ですから。」
「…葵ちゃんって、これ書いたことあるの?」
「ありませんよ!」
「…妙に具体的だね」
「……乙女ゲームのエピローグ定番ですから……この書類書いたり役場に出しに行くのって」
「…ふーん、シミュレーションしてたんだ。」
「シミュレーションゲームですから。」

 ぷっと膨れて返すと、ニコニコしながらペンを受け取り、書類をしまうクリアファイルを手渡してくれる。

「拠点を移すって、そんな簡単に場所決まるの? 決まってるの?」
「うーん、そこらへんまったく聞けてないんですよね。今日はあの通り、お邪魔になっちゃうだろうし。」


 春の大異動で万理江だけが異動となったわけじゃない。私も勤務体系がまた変わった。非常駐でリライト業務を請け負うことになった。
 どうにも私は目立つつもりはないけれど、目立ってしまうようで何度か会社の若い女性たちの目の敵にされた。二度あることは三度ある、3度もやられっぱなしになるつもりはないので、これを機に在宅勤務を願い出、受理された。
 なぜ出力者不明の書類があんなに有った? その出力者不明の書類はどうなる? 持ち主探しをするのは、総務の庶務担当だ。担当がなんの疑問を持たず大量に増えたその処理を文句も言わずやるのか? グループ内の定期報告会で一言も出ないのもおかしい。つまりそういうことだ。
 一人の人間が大量に余計な印刷をすれば、ログを取られているからすぐバレる。機密情報管理のため情報の出力には記録が取られる。怪しまれないよう、複数人がほんの少しずつ多く出し、持ち寄ればかさも増す。そこまでは、まあまあ悪知恵が働いてる、悪いことをしている自覚があるとわかる。そんなに多くの人に嫌われる私って……。
 手の込んだ割にささやかすぎる嫌がらせに、全く動じない私と万理江の態度はさらに彼女らの感情を害した。派遣会社の切り替えはただのトカゲの尻尾切りで、機を見計らいつつ新たな派閥が形成された。そこへ吏作さんとの仲を知られ集団心理が働いた。それがこの間起きたことだ。そこまでして嫌われる私って……。
 帰国子女や海外出身者に多い、少し『違う』考え方や特徴。そこへ狙っていた男性をトンビが揚げをかっさらうが如く射止めてしまった私はいい的になってしまった。射抜かれたのは私なのに。でも、万理江曰く吏作さんは気づくと目で私を追っていて、すぐに気がついたらしい。二人でしょっちゅう無言の牽制をし合っていたとのことだ。



「葵ちゃん? そろそろ起きないと夜眠れなくなっちゃうよ?」

 不意に肩を揺すられて目がさめる。
 部屋にはワインとスパイスの香りが漂っている。
 おかしい、いつのまに眠ってしまったのだろう。

ちゅ

 吏作さんがキスを落とす。

「甘い」
「…ん」
「いい匂い」
「吏作さんもです」

 寝付けないなんて心配は要らない。軽い夕食後、いちゃいちゃし出した吏作さんに散々溶かされ満たされ空っぽになった。ストンと意識が途切れたのはそのまま寝てしまうには丁度良い時間だった。
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