一人で寂しい夜は

春廼舎 明

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いびつな三角形

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 時期外れの人事発令がなされ、桜井さんの後任が降格、桜井さんは決着がついたからと有休消化と合わせ早めの産休に入り飯田さんが戻ってきた。
 ドタバタしたおかげで8月に入ってから上期お疲れ様会が実施された。私は万理江に出会った日を思い出す。

「そう言えば、あの人、降格だけなんだね。」
「て言うか、辞めない根性がすごいね。」
「いや、辞める勇気もないんじゃない?」

 飯田さんがつくねの串に手を伸ばしながら話に入ってきた。

「わ、聞かれてた。」
「お疲れ様でーす」

 万理江がタイミング良く、グラスにビールを注ぐ。面倒くさがり屋でお酌なんて、と言いそうな彼女だが、むしろ面倒に巻き込まれないための処世術だからと言う。大雑把だから、よく溢れさす。

「ありがと。あいつなぁ、今人事部付になってるよ。」
「そうだったんですか。」
「人事が休職か依願退職勧めてそれも音沙汰なし。無断欠勤が続いてる状態って聞いた。」
「え、クビにならないの?」
「ほんとだよ」
「もしかして、そのままばっくれようとしてるんですかね~?」
「うちの会社って保証人求められますよね? その人達は?」
「使い込みしたわけじゃないし」

 いつの間にか話に混じっている吏作さんを思わず二度見してしまった。

「ん? 何?」
「いつからいた、いらしたんですか?」
「いつも通りでいいよ、知ってるから」

 飯田さんがクスクスと笑う。吏作さんとの仲は公言してはいないが、秘密にしてもいない。ただ私が仲良くしているのが万理江くらいなのであまり知られてはいない。

「う…」
「ほんとだよから。」
「で、会社もそう簡単に正社員クビにできなくて、一先ず降格?」
「更に人事の呼びかけに応じなければ、諭旨解雇ですか?」
「もうその時期は過ぎてるだろ。連続無断欠勤が2週間なんてとっくに過ぎてる。懲戒解雇できるぜ。」
「人事の心象をだいぶ悪くしてるから、退職金は出さないだろなあ」
「そもそも、退職金が支払われるほどの勤務年数あったか?」
「……」
「ああ、だからバックレ?」

 なるほど、と万理江が納得する。
 その言葉に珍しく吏作さんが、イラついた様子を前面に出した。一番割りを食ったのは彼だ。
 飯田さんがポンポンと、吏作さんの肩を叩く。

 トイレに立つと、鏡にまた真っ赤なトマトのような自分の顔を見つける。冷たい水で顔を洗い、メイクを直す。
 会場に戻ればそろそろお開きの雰囲気が漂っている。今日は万理江のうちに泊まってユリウスのイベントシナリオについて語ろうかな、と思ったら吏作さんに捕まった。お開きになる直前二人で抜け出た。タクシーに乗り、吏作さんの部屋に行く。
 熱いシャワーを浴び、ガンガンにクーラーのきいた部屋でカップのかき氷を食べる。頭がキーンとなってしゃりしゃりするのを止め、じっとしていると、吏作さんが熱い手のひらを眉間に押し付けてきた。

「知ってる? 冷たいもの食べて、キーンとしてる時って、ここが冷たいの。」

 眉間からおでこにかけてピタッと手を添えられる。温かくて気持ち良いからおとなしく押さえつけられている。

「だからキーンって感じるんじゃないの?」
「……え? 知らなかったの俺だけ? 最近の大発見だったんだけど。」
「うそ!?」

 びっくりして吏作さんの顔を見上げると、しょんぼりしていた。

「じゃあ、キーンとなっている時、手のひらで温めると気持ち良いって知ってます?」

 手を伸ばして吏作さんの頬に触れおでこに持っていく。

「…葵ちゃんの手、冷たい。」
「かき氷のカップ持っていましたから。」
「あたためて欲しい?」
「……」

 こくん、とうなずく。
 吏作さんがにっこりと笑みを浮かべ私を抱き寄せる。
 かき氷のカップを放置して、キスを交わす。クーラーとかき氷で冷えた私は吏作さんに抱きついて温まる。
 キスをしながら下腹部が痛いかな、そろそろだったよなと今更カレンダーを思い出してしまった。髪をツンと軽く引っ張られる。

「他のことに気を取られてんなって。」
「ごめんなさい。吏作さん、ちょっと失礼します。」

 決定的な感覚に襲われ、慌ててトイレに立つ。

「ん~、吏作さん、ごめんなさい。今日はダメみたい。」
「うわー、どうしてくれんの、この状態。」

 冗談っぽく、でも切実そうな表情で言われる。

「……お口でします?」

 今までしたことのないことを言うと、ギョッとした表情をされた。困った顔をして首を横に振る。

「……いや、いい。俺、それ好きじゃない。」
「そうなの? いつもしてくれるお礼と思ったんだけど…」
「その後でキスする気が失せる。」
「…そう。」

 冷静になれるよう、ローテーブルを挟んだ向かいに移動する。スマホの通知LEDが光る。
 吏作さんがどうぞ、と手のひらを向けてくれる。
 彼には悪いが、正面にいてくれるとなぜかミニゲームの勝率がいい。だから彼といても、私はいつもスマホをいじる時間を先にもらう。彼はその間、私の表情を見て楽しんでいる。一緒に何かしていなくても、ただいるだけでいいと言って、その通りだと思わせてくれる。

「お、全勝」
「やったね。」

 パッと顔を上げると、吏作さんがのんびりと私の顔を眺めて相槌を打ってくれる。
 始まる会話。
 一人じゃ寂しい、でも二人なら楽しい。すっかりそれが当たり前の週末の夜になっていた。
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