一人で寂しい夜は

春廼舎 明

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いびつな三角形

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 春の人事異動が発令された。結果、吏作さんの異動はなかった。それは、吏作さんと同格の飯田さんと桜井さんが結婚のため、飯田さんが異動になったからだ。桜井さんがいなくなると、この部署に女性の役職者がいなくなるから飯田さんが抜け、吏作さんも抜けるとリーダーが二人もいなくなって業務が滞るからなのか、私たちは恋愛で済んでるからなのか。
 しかし、桜井さんの事務所への出勤率が目に見えて減った、と思ったら妊娠中の時短勤務だった。
 まだ慣れない新リーダーと、登場率の低いリーダー。正常稼働しているチームはうちだけになり、吏作さんへの負担が増えた。新リーダーが早く仕事に慣れ、桜井さんの代理人が見つかるまでの辛抱だ。

 ゴールデンウィークはそんな調子でどこかに出かけるどころではなく、滞っていた業務の解消にいそしんだ。私は地味な格好をして、観光客でごった返す街を抜け、ひっそりする事務所に立ち寄り、ランチの差し入れをした。
 こっそり、ランチタイムだけオフィスラブの雰囲気を楽しむつもりだった浮かれていた自分を恥じた。吏作さんはそれどころじゃなく心配になった。ランチを食べ終えお礼を言うと、スパッと切り換え仕事モードになってしまった。

 上期が終わりに近づく頃、吏作さんの負担、精神的疲労とストレスがピークに達した。吏作さんの体型は比較的上背があり、肩幅があってややマッチョよりな体型。なのに、明らかにやつれた。骨格的に細マッチョにはなれないけど肩や胸の厚みが減った。頬や顎のラインがシャープになった。のんびりほんわかしている人だったのが、仕事中は重苦しいため息をつき、目が笑っていない時がある。
 経験値の低い私は、こんな時どう接したらいいのかわからず、金曜からのお部屋デートで、疲れたときは甘いもの、酸っぱいものがいいから、旬のフルーツを買い込んできたりもした。決して私が桃を食べたかったからだけではない。
 彼を駅に迎えに行き、とりあえず彼にぴったり張り付いた。手を握り腕に抱きついてみたりした。
 吏作さんは、フッと息をつくと、いつもの柔らかい笑みを浮かべてくれた。

「葵ちゃんはそのままでいいんだよ、そばにいてくれればそれでいい。」
「吏作さん、お腹空いてません? 頼みますか? 食べに行きますか? 買いに行きますか?」
「作ってくれる、って言う選択肢はないの?」
「できればそうしたいところですが、私も疲れてます。作ってる途中で力尽きます。」
「じゃあ、惣菜だけ買ってうちで食べようか。」
「はい。」

 子供のように手を繋いで金曜の夜商店街を歩いた。
 夕食時、ポテトサラダがあるから私は主食を抜き、彼は食事を抜きビールを飲んでる。

「吏作さん、少しは固形物お腹に入れてくださいね」
「うん」
「桜井さんの後任決まったんですか?」
「来週から、やっとな。昔うちにいた人だから、引き継ぎはそんな大変じゃないはずだけど」
「けど?」
「ブランクがあるんだよ。葵ちゃんが来る前に産休育休で6年位空いてる。」
「え、そんなに育休取れるの?」
「いや、まさか。保育園の空き待ちしてる間にもう一人出来たらしい。」
「あら、えーっと…仲のよろしいことで。」
「って、本人から聞いたんだけどな。そんなんで、普通の休職も挟んでだいぶ空いてる。過去の人事発令確認しちまった。」
「そうですか。」
「復帰後はここ以外の部署にいたし、ブランクが長すぎる。」

 吏作さんが遠い目をする。

 長く勤め業務内容に詳しければ上に立てるかと言うと、そうではない。リーダーシップが取れるかどうか、マネジメント能力があるかどうかは別問題だ。かつて日本の終身雇用時代の、年功序列制度ほど馬鹿げたものはない。つくづくそう思わされる人がやってきた。桜井さんは引き継ぎ業務が終わっても新リーダーに任せきれず、やきもきしている様子が見て取れた。

「万理江んとこの、上野さんってどういう人?」
「ん~、事務処理はめちゃくちゃ早いね。」
「へえ」
「ねえ、葵。」
「ん?」
「水上さんは大丈夫?」
「え!何が?」
「見ててつらくない?」
「そうだけど…」

 春の大異動でやってきた新しいリーダー、飯田さんの後任の上野さんのチームが調子よく稼働し始め、桜井さんの後任者の分の仕事も気にかけてくれるようになった。しばらくして吏作さんの負荷が減り調子を戻し始める。じゃあ、桜井さんの後任は何をしてるの?
 彼女からの指示が二転三転と転がり、明らかに間違った指示を出される、行き当たりばったりで後に差し障る。あまりの仕事のいい加減さぶりに、チームメンバーはイラついていた。悪い雰囲気は伝播する。周りのスタッフもため息をついている。彼女自身は提出期限を忘れたり、誤字脱字、単純なケアレスミスだらけで、受け取った提出物に部長がため息を吐いていた。
 私は蒸し暑い季節になっても、詰まった襟の服から解放されずため息をついた。

「吏作さんってば!」
「ん~?」

 ちゅ~っと、胸元に印をつけ満足気に私を見る。止めたそばから鎖骨のすぐ下に後をつけられた。にこ~っと笑う吏作さんの顔を見たら、ため息もつくにつけなくなった。
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