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春廼舎 明

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「そいつ、なんでそんなに指輪にこだわってたの?」
「女性へのプレゼントといえばアクセサリーか花束。それ以外思い浮かばなかったのでしょうね。」
「花束はダメなの?」
「あれは生ゴミです。」
「ぶはっ……確かに数日後には生ゴミだ。でも、後に残らないよ?」
「それに、自分らの車で移動するならともかく、足は公共の交通機関ですよ? 都心の混雑した電車に花束抱えて乗るなんて迷惑行為以外の何物でもないですよ。」
「部屋に飾るとかしないの?」
「臭いし、虫が湧くから嫌いです。『女性なら、花が好きだろう』と、それほど親しくなく儀礼として選ぶならわかります。でも恋人なのに、『女性なら喜ぶ』『皆たいてい好きだから』と、ちっとも私個人のことを考えていなくて、花屋にこれくらいの予算でって見繕わせたなら、贈る側の心がこもっていないこれほど失礼なプレゼントってないと思います。」
「なるほど……なら、嬉しいものは?」
「……物じゃないもの。美味しい食事、それを楽しむ相手と時間、それを互いに共有しているという実感。」
「それなら、彼に誕生日プレゼント送らなくてよかったんじゃない?」
「転職の相談を受けていて、それが決まったって聞かされていましたし、私だけもらって返さないのも大人気ないし、別れたとき貸し借りなしのフェアな状態であればサクッと別れられると思って、渡しておいてよかったとは思いますが、もっと安いものにしておけばよかったとも思ってます。」

「で、結局なぜ指輪?」
「金属アレルギーのある私でも指だけは、手は小まめに洗ってハンドクリームで手入れもできるし、大丈夫だったんです。」
「アレルギーが起こりにくいチタンって免罪符を得たんだ。」
「チタンを選ぶにしても、清涼感あるシンプルな銀色でなく、なぜ黒い酸化チタンなのか、細身ではなく太くごつい平打ちの表面にでかでかとブランドロゴ、とことん私の好みと正反対、それを選ぶセンスの悪さが絶望的でした。あとで気がつきました、あのブランドのリングの中で一番廉価でした。ケチるんだったら300円のゴディバのチョコをくれた方がよっぽど嬉しいです。でもゴディバって誰!? ソ連の偉い人? っていう世間知らずな人でしたから。」
「ソ連!ベルギーの高級チョコだよな?」
「そうです。世間知らずというか、時事や流行に無関心、物を知らなすぎる人でしたね。」

 そこ以外のアクセサリーのブランドも、ゴディバも知らない。
 薬局で調剤されたアレルギー用の軟膏を取り出せば何と勘違いしたのか、『なにそれ!? 何!? 何それ!!! どうすんのそれ!?』と大興奮、意味がわからない。
 コーヒーのお代わり買ってこようとがま口型のお財布を取り出せば、『トイレ行ってきなよ。ダメだよここでそんなの出しちゃ。待っててあげるから』、ハァ~!? 意味不明、数日後化粧ポーチと勘違いしていたと気がつく。前にレジに一緒に並んだ時この財布握ってただろ!さしずめ、俺って寛大な男だろ!? くらいに思っていたのだろう。
 一体どんな環境で育てばそんなに物を知らず、周りを見ずにあの歳まで過ごすことができたのだろうか。いや、環境は関係なく本人が自分自身以外に関心がなかったのだろう。

 ブランドなんて知らなくても、相手のことを思って百貨店や路面店に入って似合いそうなもの、好きそうなものを探せばいい。それをしないのは『プレゼントを贈る俺』に酔っていたのだろう。
 それでも私は、その人の普段の私服にスーツ、持ち物や髪色などから似合う色合いの革小物がいい、転職後必要になるであろう名刺入れを何店舗も巡って探した。転職祝いを兼ねて誕生日プレゼントとして渡すが『で、今の職場はいつまで?』と聞けば『やっぱり転職すんのやめたんだ~』ときた。

「そもそも彼と付き合い始めたのって、転職考えてるっていう相談を受け始めたのがきっかけでした。なのに、転職祝い貰うだけもらって数ヶ月後、ケロっとして言われ、もう、なんだコイツって思いました。」
「それが、さっき言ってた転職について?」

 初夏、新しい職場は10月からと聞かされた。約半年先とはずいぶん先だな、と思った。勤務地の候補が渋谷か台場と離れていた。シルバーウィークに、『新しい職場の事務所がどっちに決まったの?』 と質問すればう~んまだなんともと曖昧な顔で返された。さらに翌週、有休消化中から新しいところで働き始めるのか、買い取ってもらうのか、有休消化後から働き始めるのかちょっと気になって『今日はもう9月末だけど、新しい職場はいつから? 今の職場はいつまで?』と質問してみれば、やっぱり止めた、と聞かされる。は?

「私から質問したのはその2回だけで、自分から散々相談を持ちかけておいて、結果を報告しないなんて失礼にもほどがあります。」
「だから余計、言い出しにくかった?」
「そうだとしてもです。思い返せば、SWシルバーウィークのあの反応は転職しないと決まってて嘘をついた表情です。バレるのになぜ嘘をつくんでしょう? その場しのぎに嘘をつく人だったんです。転職の相談は、私をデートに誘い出す口実だったと思えてなりません。」
「自分の都合のために嘘をつくような奴は、碌でもない。そもそも誰かを傷つけないように嘘をつくって言うのも、そう思うならますます正直に話した方が俺はいいと思うけどな。」
「私もそう思います。いずれ真実がわかった時に嘘を吐かれたってショックか、気を遣わせたって心苦しくなります。嘘をつく人って、いざって時に嘘をつける人なんですよ。信用できません。」
「お、いいこと言う。」

 プリプリと怒る私を竜一さんが後ろからワシワシと頭を撫でる。
 私はそこから、何かおかしい。毎回Qに対してAになっていない返しをしていると言うことに遅まきながらに気がついた。そう気がつくと色々不満が出て来る。

「あの人は自分の都合のいいことしか話さない、聞き入れない人だったんです。『悲劇の主人公』になりたかった人です。」
「なんだそれ?」
「恋人の誕生日に女子が憧れるブランドの指輪をプレゼントする俺、恋人の多忙を健気に待つ俺、やらせてくれなくても文句も言わない理解のある俺、自分に酔ってるだけなんです。あの人が好きだったのは『わたしの恋人やってる』だったんです。」
「あー…なんとなくわかってきた。」
「女性向けの恋愛相談とか、コラムとかで『こう言う女は男に嫌われる』とか『男にめんどくさいと思われる女の特徴』とかそんなのを読むたび思ったんですが、ことごとくアイツに当てはまるんですよね。」
「例えば?」
「『だって・でも・だけど、常に否定から入る、メンヘラネガティブ人間』『ありえない無知さや発言を連発する不思議系の天然ちゃん』『都合の悪いことは見ざる言わざる聞かざる、夢の国の住人さん』もっと端的に言うと、自己評価が低い、現実を見ない、かまってちゃん」
「面倒くせえな、確かに。」
「それを、転職をやめたのはSWシルバーウィークには決まってたと気がついた瞬間、ジグソーパズルのピースがすごい勢いではまるように、なぜこの人に告白された時点で『面倒臭い』と思ったのか納得しました。」

 ヤツは前職で、私が採用面接で面接官をしたのが出会いだ。一度は第一印象の悪さから落としたが、別件で縁があり上司が拾い、同じ会社で働くようになった。そして私が退職し、何度か元同僚同士数人でご飯を食べたり遊びに行ったりしたが、その後何も連絡を取ることは無く5年ほどたったある日、突然空メールが届いた。

 私の苗字からしても誤ってアドレス帳の一番頭、末尾の人に送っちゃったということはない。もう少ししたら詫びのメールか本文のあるメールが来るのかな、と待つが来ない。気をひくため、わざと間違えたふりして送ったと言うことだ。
 わかっていたが、たまには仕事以外の人の顔も見たいなあと思っていたので、三日後、『空メールが来たけど何?』と返してやった。『え、送ってないよ?』と宣う。送信履歴見れば一目瞭然なのに元メールヘッダ付きで返信しているにもかかわらず、のうのうと嘘をつく。そして久しぶりに話そうとランチに誘われ、その日は確かに楽しく過ごした。でも、昔話に花を咲かせるのは、そう短期間にしょっちゅうはいらない。
 後日また誘われた時、迷った。家が近所というわけでもない、職場ももう異なる、趣味が同じというわけでもない、接点のなくなった人がわざわざ予定を押さえ、都合をつけて誘い出すのは気があるからに他ならない。好きでもない相手をわざわざ誘い出しやしない。
 迷った瞬間、同時に思った。

 『面倒臭い』

 案の定、告白も電話で済んだのに『次会う時、ちゃんと面と向かって言わせて』と言われ、気持ちはわかった了承もしてるのにそれはもう必要ないでしょと断ったが、強行された。植木や花壇の草花が多く大量の蚊がいて長居したくない公園のベンチに座らされ、いつまでたっても話し始める気配がなく、蚊に刺されまくった。耐えきれず帰ろうとしてやっと口を開く。手足、首、おでこ、服の上からでも関係なく合計11箇所も蚊に刺され最悪だった。
 本当、なぜ断らなかったんだろう。こいつは自己満足のために自分のしたいことを押し通した。そのおかげで私はこんなに嫌な目にあった、一度はOKを出したけど、『蚊が多いから嫌、私は極端に蚊に刺されやすい体質だから公園には入りたくないって言ったでしょ。相手を思いやる気持ちのない人はご免だ』と断ってしまえばよかった。でも、あそこで断っても、食い下がられただろう。さらに自宅の場所も知られていたので、ストーカーになりそうな気がして断れなかった、と言い訳をする。そして、そんなことはないかもしれないから真っ新まっさら気持ちで付き合ってみればいいんじゃないか、と了承してしまった。
 でも、公園に入ることくらい本気で断ってみればよかった。散歩拒否する柴犬みたいに踏みとどまれば良かったんだ。その時から私は流され始めていた。

「今思えばすでに第一印象で私の勘はNOと言っていたんですよね」
「おそるべし、女の勘。そいつ、よっぽど自分の思い描いたシナリオ通りに進めたかったんだな。」

 なぜ突然私を思い出してしまったのか知らないが、空メール送信の時点で、もうそいつの悲恋のストーリーが始まっていたのだろう。
 シナリオに則って話を進め、意に沿わない私の言葉は無視された。私の言葉は伝わらなかった。私からの質問には答えてもらえなかった。半年経っても、その人の勤め先を知らず、いや、別れるときも知らないままだった。聞いても社名ではなく勤務場所を答える。どんな会社? と聞けば変な会社と返ってくる。何をしている会社か質問すれば、自分の職務内容を答える、話の流れとして重要ではないから流してしまった。会話に噛み合わなさを感じても、前職で一緒に働いたことがあるので、そこまでおかしな奴ではないだろうと思ってしまった。

 そして、『ラブホ行こう』の返しの『やっぱり俺のこと好きじゃないんだ』のくだりで、はたと気がつく。私はこの人の勤め先も知らない、住まいもN区としか知らない。それは全て会話の中で拾い上げた情報で、私が質問してまともに答えが戻って来たことなどない。一方私は付き合う前、近況報告を兼ねた話の際、名刺をあげているが彼はくれなかった。私の住まいも家の前まで送るとしつこく言われ知られてしまった。
 フェアじゃない。アンフェアだ。私だけ丸裸にひん剥かれて前線に立たされ、ヤツは安全な要塞の中で重装甲機関車の中に防護服をまとってそこから言葉を発しているようなもんだ。何一つ質問には答えないくせして何が『俺のこと好きじゃない』だ。お前のこと何も知らねーよ。
 ムッカーとイライラが募る。

「翠、何を思い出したの? 話して。溜め込むの、よくないよ」

 ああ、この人は本当、なぜこんなにも私をよく見ているんだろう。顔が見えているわけじゃないのに、わかってくれる、知られてしまうことに嫌厭感がない。
 風呂から上がり、例のごとく髪を乾かしてもらい、着替えてメイクを施し身支度を整えることにする。

「竜一さん、なんで男性は女性を家に送りたがるんですか?」
「え? そりゃ心配だからだろ?」
「なぜ? 一人で帰宅する日の方が圧倒的に多いんですよ? 誘拐されても納得な金持ちでもないのに、どうして?」
「自分が一緒にいるときくらいは、間違いなく家にたどり着けたって安心したい?」
「バカバカしい。つまり、自己満足じゃない。そのあと、近所のコンビニまで出るかもしれないじゃない。」
「離れがたくて、彼女が家に入るまで一緒にいたい。」
「それなら納得します。夜道が危険だから、っていう理由を言う人は信用なりませんね。お前が一番の危険要素だろ!って言いたいです。」

 つまりは、『送って行くよ』と言ってくれる人との関係性なのだ。それほど信用も信頼もしていない親しくもない人に言われても迷惑だ。そんな人物に家の場所を知られるのは危険だと思われていると、どうして考えつかないのだろう。
 恋人に言われるなら、デート気分が抜けず、危機感0状態になってしまっているのを見抜いて送ってくと言ってくれるならありがたいことだと思う。
 ヤツの場合、前者で、私との関係性がどれほどなのか測る気もなかったのが問題だ。だから余計にうざいと感じた。

「ぶはっ……」
「酔っ払っていて、フラフラ足取りが不安で車に轢かれるんじゃないかとか、その辺転がって寝ちゃうんじゃないかって言う状態ならわかります。でも私みたいに一滴もお酒を飲めずシラフの頭しゃっきりしてる人間に向かって言われると、癪に触りますね。危機管理意識が低いと言われているようで気分悪いです。」
「え、ちょっと待って。お酒弱いのかなとは思ってたけど、飲めないの?」
「飲めません。」
「そっか……送ってもらうことで家を知られてしまった?」
「そう。同じ方向に歩く男性を見かけるたび、この街は危険だ!としきりにほら、俺がいてよかったでしょ? と言い、向かいから車が走ってくれば危ない!! って腕をぐいっと引っ張り転ばす、お前に言われたくねえよ!日本語以外で喋る人がいると、もうダメだ!この街は危険だ治安が悪すぎる、早く引っ越せ、と大仰に嘆く。失礼な、この街を気に入って住んでいるのに、住人でもない人に治安が悪いだの何だの悪く言われたくない。」

 夜間は、常に鞄は建物側にしっかり抱える、後ろからバイクや自転車が来たら振り返って人物の顔をしっかり見る、夜間は灯と人通りの多い道を選ぶ・かかとの高い靴は履かない・露出度の高い服は着ない、イヤホンなどはつけず周りの音がちゃんと聞こえる状態を見せつける。
 こんな当たり前のことを知らず、防犯ブザーを持てと言う奴に、暗くなってから1人で歩くのは危険だなんて言われたくない。そんなこと言ったら、終業時間前に真っ暗になる冬は女性は仕事ができなくなる。仕事をするなってことか?
 そもそもブザーって私はあまり意味がないと思っている。突然ドン!って来られたらびっくりして取り落としたり、弾き飛ばされたりしたら使いようがない。冷静にブザーをならせるとは到底思えない。ブザーを持つ人は、大抵持っていることで油断して基本的な予防行動を取らず危機管理意識が低い人が多いように思う。

「断らなかったの?」
「もちろん断りました。迷惑だって言っても、遠慮してると思われて、電車内で話をしているところで言われましたから、周りの目もありそれ以上強く拒絶できなかったし、そこまでして拒絶することでもないかなーとも思ってしまって……」

 思い返すと、私は自分ははっきりNOと言える人間だと思っていたのに、全然そんなことないと気がついた。押しに弱い。NOを貫き通す事ができない。

「それを狙った?」
「そんな事考えたり、考えついたりする策士には思えません。」
「家に着いて来させちゃったり、告白の儀式を受けちゃったり、プレゼントもらっちゃったり、プレゼント返ししちゃったり……思いっきり意思流されてんじゃねーか。」
「ほんとですよね。あらためると、言いたい事言っているようで、口だけ。優柔不断で意思が弱い。貫けない。」
「って言うことは、俺少し強引に攻めれば翠のこと落とせる?」
「一ヶ月前に落ちてハマってどっぷり浸かってます。強引になんかしなくても、私、ここにいるじゃないですか。それに、意思に反することされたから、私今ここにいるんですよ?」

 
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