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言われぎょっとした。一週間ほど過ぎている。もともと不規則で、ストレスや風邪ですぐズレる。だからあまり気にしていなかった。翌日、思い出したかのように、いつもより強い腹痛を伴い、始まった。なんだか彼と縁が切れてしまったようで、無性に泣けてしまった。
大樹さんの勤めていたお店が改装前最後の営業日、忘年会を兼ねて情シスのメンバーと仲の良い総務メンバーで飲んだ。ようは新旧ランチメンバーと、編集部のマネージャーだ。
年が明け、姉に子供が生まれ暫くして大樹さんから連絡が来た。
『忌明け二月下旬に戻る。』
やっぱり、あのやけに背筋が寒くゾッとした日、私の第六感は何かを感じていたのか。
毎週土曜日、彼の家に郵便物のチェックと、部屋に風を通し掃除をして帰る。もう直ぐ一人でこの部屋を訪れ過ごすことはなくなるだろう。
大樹さんは実家にいる間、延々と曲を作っていた。と言っても、スマホのボイスメモにハミングを吹き込んでいただけの簡単な作曲作業だ。都内に戻ってくると、私そっちのけで一週間スタジオに篭りレコーディングをした。
仕上がった完パケを彼の部屋で聴かせてもらった。インストゥルメンタルのじんわりくるいい曲だった。彼がどんな心境でその曲を書いたのか、どんな気持ちでその曲を演奏したのか思うと泣けてきた。最近よく泣く。
「菜津ー、何泣いてんの~」
鼻をズルズルすすっていると、ボックスティッシュを持ってきて鼻を抑えられた。そのうち大樹さんまでポロリと涙をこぼす。
二人して鼻をかみ、涙を拭うとキスが降ってくる。温かい唇の感触にまたじんわりと嬉しい涙が出てきて、涙を拭われる。涙を払う指先がそのまま髪をすくい、首筋を撫でる。指先が首筋から背中に伝い、セーターの上から器用にホックを外す。
こんな時に、器用なことするなあと感心し、いつもの手順が始まる。
でも、いつもの流れだったらあっという間もなく、いや、キスで口がふさがっているから無言は当たり前で、気がつくと裸にされベッドに連れて行かれる。でも今日は、今はまだ寒いのでそのままベッドに連れて行かれ、キスが降り注ぎ続きの手順も再開する。泣きながらするからゆっくりゆっくり進む。
「大樹さん」
「ん?」
「私、少しお料理するようになったんですよ。」
「そう? じゃあ、今度一緒に何か作ろうか。」
いつもは言葉を交わすことなくするのに、これくらいゆっくりじっくり進むと言葉を交わす間ができる。その余裕もある。でも、確実に向かうところは同じで、次第に言葉も少なくなる。代わりに私は言葉にならない声を上げる。
気がつくと、二人ともびっしょり汗をかき、真冬なのに全身潤む。暖房を暑いと感じるほど熱気がこもる。
目が覚めると幸せな温もりに包まれていて、幸せな目覚めってこういうことなんだなと思う。ダブルベッドは必要ないのではないかと思うほど、ぴったりくっついている。狭いベッドがありがたい。
ころんと頭を傾けると、大樹さんと目が合う。
「…おはよ」
「おはようございます」
やっぱり今日もまだ布団が恋しい気温で、なかなか布団から抜け出せない。でも北国育ちの、先日まで故郷に帰っていた彼は、東京ってやっぱりあったかいねと言いながらスパッと抜け出て、風呂にお湯を溜めに行ってしまう。冷たい空気が布団の中に入らないよう、慌てて掛け布団を押さえて気がつく。激しさはなくて、でも情熱的であんなにゆっくりと上り詰めてとろけた後は、腰の重さや全身ミシミシいう気配がない。むしろスッキリしている。
「…大樹さん、もしかしてまた私を洗う予定ですか?」
「何、そのつもりだけど?」
「今日は、なんだかすごくスッキリしてます。昨夜すごくゆっくりだったからかな?」
大樹さんが目を丸くする。タレ目がさらにタレ目になる。口元を緩め布団ごと私を抱きしめる。私が慌てて毛布を彼にかける。
「俺もそう思ってた。ああいうゆっくりしたのが好き?」
「…もうっ。明るいところで面と向かってそんなこと言えないです。」
クスクス笑いながら、私を抱きしめてゆらゆら揺らす。
「お風呂入ったら、買い出しに行こうか。何作る?」
「真鯛が美味しい時期だから、真鯛のアクアパッツァ? うーん、でもお店で食べる方が美味しそう。」
「ジャガイモと玉ねぎ残ってる?」
「うん。たくさん頂いたからまだ残ってますよ。」
「スパニッシュオムレツかな…じゃあ、卵買って菜津の部屋行こうね。」
こういう思いつきは、なんとなく女性的だなと思うけど、男性脳の私からすればバランスが取れてちょうどいいのかもしれない。
「玉ねぎスライスはおまかせします。」
「じゃあ、菜津はジャガイモ千切りね。」
「…スライサー使ってもいいですか?」
買い物に商店街を抜け、不動産屋の前を通り過ぎる。ふと思う。
「引越しって、この時期学生さんが去って、物件が増えるけど、同時に新入生新社会人がやって来て、供給も増えるけど需要も増える。じゃ、結局いつが狙い目なのかな?」
「…菜津?」
確かに三月四月は入れ替えが激しい。でも五月になればその時期、連休を使って引越しをする社会人も多い。今回私たちはファミリー用物件なので新入生、新社会人とは条件が異なる。不動産屋さんは、希望条件は人によって違うので無いときは全く無くて、出てくるときはポロポロと出てくる。タイミングですよ、と言い、希望するような物件がなく申し訳なさそうな顔をした。
大樹さんの勤め先の店が新装開店し、彼も職場復帰を果たす。ついでに彼が作った曲がこっそり店内BGMで流れていたり、レジ横でCDを販売していたりした。
私たちはもうしばらく、お互いの部屋を行き来することになる。自宅と職場と彼の働くお店と彼の部屋、たまに喧嘩して足が途絶える。仕事が忙しくて会えない日が続いて、寂しくて彼の部屋に駆け込む。すれ違わないよう、店で出待ちをする。それで、なんの不都合もない。不満もない。会いに行けばいい。
会いにけるところに、会いたい人がいる。会いたい人が会えるところにいる。これってすごく幸せなことなんだと気がついた。
大樹さんの勤めていたお店が改装前最後の営業日、忘年会を兼ねて情シスのメンバーと仲の良い総務メンバーで飲んだ。ようは新旧ランチメンバーと、編集部のマネージャーだ。
年が明け、姉に子供が生まれ暫くして大樹さんから連絡が来た。
『忌明け二月下旬に戻る。』
やっぱり、あのやけに背筋が寒くゾッとした日、私の第六感は何かを感じていたのか。
毎週土曜日、彼の家に郵便物のチェックと、部屋に風を通し掃除をして帰る。もう直ぐ一人でこの部屋を訪れ過ごすことはなくなるだろう。
大樹さんは実家にいる間、延々と曲を作っていた。と言っても、スマホのボイスメモにハミングを吹き込んでいただけの簡単な作曲作業だ。都内に戻ってくると、私そっちのけで一週間スタジオに篭りレコーディングをした。
仕上がった完パケを彼の部屋で聴かせてもらった。インストゥルメンタルのじんわりくるいい曲だった。彼がどんな心境でその曲を書いたのか、どんな気持ちでその曲を演奏したのか思うと泣けてきた。最近よく泣く。
「菜津ー、何泣いてんの~」
鼻をズルズルすすっていると、ボックスティッシュを持ってきて鼻を抑えられた。そのうち大樹さんまでポロリと涙をこぼす。
二人して鼻をかみ、涙を拭うとキスが降ってくる。温かい唇の感触にまたじんわりと嬉しい涙が出てきて、涙を拭われる。涙を払う指先がそのまま髪をすくい、首筋を撫でる。指先が首筋から背中に伝い、セーターの上から器用にホックを外す。
こんな時に、器用なことするなあと感心し、いつもの手順が始まる。
でも、いつもの流れだったらあっという間もなく、いや、キスで口がふさがっているから無言は当たり前で、気がつくと裸にされベッドに連れて行かれる。でも今日は、今はまだ寒いのでそのままベッドに連れて行かれ、キスが降り注ぎ続きの手順も再開する。泣きながらするからゆっくりゆっくり進む。
「大樹さん」
「ん?」
「私、少しお料理するようになったんですよ。」
「そう? じゃあ、今度一緒に何か作ろうか。」
いつもは言葉を交わすことなくするのに、これくらいゆっくりじっくり進むと言葉を交わす間ができる。その余裕もある。でも、確実に向かうところは同じで、次第に言葉も少なくなる。代わりに私は言葉にならない声を上げる。
気がつくと、二人ともびっしょり汗をかき、真冬なのに全身潤む。暖房を暑いと感じるほど熱気がこもる。
目が覚めると幸せな温もりに包まれていて、幸せな目覚めってこういうことなんだなと思う。ダブルベッドは必要ないのではないかと思うほど、ぴったりくっついている。狭いベッドがありがたい。
ころんと頭を傾けると、大樹さんと目が合う。
「…おはよ」
「おはようございます」
やっぱり今日もまだ布団が恋しい気温で、なかなか布団から抜け出せない。でも北国育ちの、先日まで故郷に帰っていた彼は、東京ってやっぱりあったかいねと言いながらスパッと抜け出て、風呂にお湯を溜めに行ってしまう。冷たい空気が布団の中に入らないよう、慌てて掛け布団を押さえて気がつく。激しさはなくて、でも情熱的であんなにゆっくりと上り詰めてとろけた後は、腰の重さや全身ミシミシいう気配がない。むしろスッキリしている。
「…大樹さん、もしかしてまた私を洗う予定ですか?」
「何、そのつもりだけど?」
「今日は、なんだかすごくスッキリしてます。昨夜すごくゆっくりだったからかな?」
大樹さんが目を丸くする。タレ目がさらにタレ目になる。口元を緩め布団ごと私を抱きしめる。私が慌てて毛布を彼にかける。
「俺もそう思ってた。ああいうゆっくりしたのが好き?」
「…もうっ。明るいところで面と向かってそんなこと言えないです。」
クスクス笑いながら、私を抱きしめてゆらゆら揺らす。
「お風呂入ったら、買い出しに行こうか。何作る?」
「真鯛が美味しい時期だから、真鯛のアクアパッツァ? うーん、でもお店で食べる方が美味しそう。」
「ジャガイモと玉ねぎ残ってる?」
「うん。たくさん頂いたからまだ残ってますよ。」
「スパニッシュオムレツかな…じゃあ、卵買って菜津の部屋行こうね。」
こういう思いつきは、なんとなく女性的だなと思うけど、男性脳の私からすればバランスが取れてちょうどいいのかもしれない。
「玉ねぎスライスはおまかせします。」
「じゃあ、菜津はジャガイモ千切りね。」
「…スライサー使ってもいいですか?」
買い物に商店街を抜け、不動産屋の前を通り過ぎる。ふと思う。
「引越しって、この時期学生さんが去って、物件が増えるけど、同時に新入生新社会人がやって来て、供給も増えるけど需要も増える。じゃ、結局いつが狙い目なのかな?」
「…菜津?」
確かに三月四月は入れ替えが激しい。でも五月になればその時期、連休を使って引越しをする社会人も多い。今回私たちはファミリー用物件なので新入生、新社会人とは条件が異なる。不動産屋さんは、希望条件は人によって違うので無いときは全く無くて、出てくるときはポロポロと出てくる。タイミングですよ、と言い、希望するような物件がなく申し訳なさそうな顔をした。
大樹さんの勤め先の店が新装開店し、彼も職場復帰を果たす。ついでに彼が作った曲がこっそり店内BGMで流れていたり、レジ横でCDを販売していたりした。
私たちはもうしばらく、お互いの部屋を行き来することになる。自宅と職場と彼の働くお店と彼の部屋、たまに喧嘩して足が途絶える。仕事が忙しくて会えない日が続いて、寂しくて彼の部屋に駆け込む。すれ違わないよう、店で出待ちをする。それで、なんの不都合もない。不満もない。会いに行けばいい。
会いにけるところに、会いたい人がいる。会いたい人が会えるところにいる。これってすごく幸せなことなんだと気がついた。
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