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第三部
75.二人の関係 1
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すごい視線だ。少しも気が抜けない。
帰国して二週間が経った九月の半ばの日曜日。僕たちは理子さんに依頼されたアイスショーの中心にいた。少し前にショー開幕のアナウンスが流れてから次々と寄ってきた人で、リンクは取り囲まれていた。
ショーのために用意されたドラマチックなプログラム。その曲の盛り上がりに合わせ、ロングリフトに入る。僕の上の陽向さんに観客の注目が集まる。みんな輝くものを見るような表情を浮かべている。そこから回転しながら着氷。拍手が湧く。いいものを見た、そんな満足が彼らの拍手から伝わってくる。
なんていう充実感。僕と陽向さんがひとつになって、音と響き合っている。
そんな僕たちを多くの人が一心に見てくれていた。
「恐ろしいわね」
リンクを上がる僕たちにタオルを手渡しながら先生が言った。ショーだということで試合に比べてアクロバティック度の高い技が入っていたのだけれど、肝を冷やすほど出来が悪かったのだろうか。僕としてはかなり気持ちよく滑れたんだけど。
「たった二週間アメリカに行っただけで、ずいぶん変わったわねと言ったのよ。ほら、あちらで観月さんが呼んでるわよ」
厳しい口調で追い立てられる。でも今もしかして……
理子さんの元へと急ぐ僕の横で、「ほめられちゃった」と陽向さんが笑いをこらえて言った。
やっぱり……!
「二人ともこっち来て! 記念撮影お願い!」
演技を見てくれた観客が数人、スマホを手に理子さんの元に列を作っていた。
「全日本ジュニア、出るんですよね。絶対応援に行きます!」
僕と陽向さんは二人組の女の子と握手をすると、ありがとうございますと頭を下げた。
「次で最後の一人よ、お願いね」
「はい」
そう言って顔を上げると、そこには木野がいた。
「(な……お前……)」
驚いている僕をよそに、木野は陽向さんに向かってにこにこして
「いやー。素晴らしかったです。ほんと、もう最高でした! あ、握手してもらっていいですか?」
と言って両手で彼女の手をがっしりと握った。
「氷上に天使が降りたかと思いましたよ。もう心臓鷲掴みにされましたね。はい、じゃ制覇はそっち行ってくれ」
木野は陽向さんの隣に立つと僕に反対側に立つようにと指をさし、僕と彼女を挟む形で写真を撮った。
「ありがとうござーしたー」
木野はご機嫌で理子さんからスマホを返してもらうと、僕の肩に腕を回してきた。そして耳元で言った。
「ちょっとお前、いいか?」
僕は木野に連れ出され、上の階へと上がった。リンクから少し離れた場所にある、あまり入ったことのないファーストフード店に入る。僕の前に座った木野はさっきからは考えられない、怖い顔をしていた。
「お前さあ、なんでこんな常葉木のいる場所に、彼女連れてくんの? ここは常葉木の大事な居場所だよな? どういう神経してるわけ? おかしくない?」
木野は昔から僕よりも進んでいた。木野から見たら僕は男で、陽向さんも果歩も女の子なのだ。
「あのな。変な言い方すんなよ。別に僕たちはお前の思ってるようなもんじゃないよ?」
「嘘つけ。さっきのお前と彼女、あれ何だよ? ピンクのオーラに包まれてたぞ。ピンクの!」
「あ……あれは、ああいうプログラムなんだよ。でもそうか。そう見えたんならよかった」
平静を装ってそう答えたけど。恥ずかしすぎる。このリンクの欠点は家から近いところだ。子どもの頃からの知り合いに、ロマンス系のプログラムを見たと言われるのは結構こたえるぞ。
もしかしてそのうち、家族に見られたりなんかして。うわー、死ぬー。
などと悶えている僕に、木野は厳しく言った。
「何がよかっただよ」
「だからだな……」
説明しようとしても木野は聞く耳を持たず僕を責めた。
「お前本当に最低だぞ。常葉木の気持ちとか考えてやれよ」
「なんだよそれ」
果歩の気持ちって。
「僕と陽向さんがここのオーナーに支援されてることは、果歩も知ってて喜んでるよ。あいつは僕たちのことを応援してくれてる」
未だかつて、果歩が僕と陽向さんに対して嫌な顔をしたことなんてない。しかしふと僕をアメリカに送り出してくれた時の、果歩の顔を思い出した。あれはいったい何だったんだろう。まさか。いや、まさか。
「喜んでるわけないだろう?」
木野はあきれたように言う。
「もう昔の話になってるとしても、あれを見せつけられるのはキツイと思うぞ」
「昔も何も」
僕と果歩は一度として木野の想像するような関係になったことはない。そして、僕と陽向さんの間にあるものだって、やっぱり木野の思うようなものではない。
「あのな、何度も言うけど果歩はただの幼なじみで、陽向さんはただのパートナーだから。そろそろ行くわ。陸トレあるし」
僕はトレーを手に立ち上がった。
木野は何も分かっていない。
そうだよ。
果歩の頭の中にはリンクのことしかないし、これから真剣に戦い続けなきゃならないパートナーに浮ついた気持ちを持ったって、迷惑がられるだけなんだよ。
帰国して二週間が経った九月の半ばの日曜日。僕たちは理子さんに依頼されたアイスショーの中心にいた。少し前にショー開幕のアナウンスが流れてから次々と寄ってきた人で、リンクは取り囲まれていた。
ショーのために用意されたドラマチックなプログラム。その曲の盛り上がりに合わせ、ロングリフトに入る。僕の上の陽向さんに観客の注目が集まる。みんな輝くものを見るような表情を浮かべている。そこから回転しながら着氷。拍手が湧く。いいものを見た、そんな満足が彼らの拍手から伝わってくる。
なんていう充実感。僕と陽向さんがひとつになって、音と響き合っている。
そんな僕たちを多くの人が一心に見てくれていた。
「恐ろしいわね」
リンクを上がる僕たちにタオルを手渡しながら先生が言った。ショーだということで試合に比べてアクロバティック度の高い技が入っていたのだけれど、肝を冷やすほど出来が悪かったのだろうか。僕としてはかなり気持ちよく滑れたんだけど。
「たった二週間アメリカに行っただけで、ずいぶん変わったわねと言ったのよ。ほら、あちらで観月さんが呼んでるわよ」
厳しい口調で追い立てられる。でも今もしかして……
理子さんの元へと急ぐ僕の横で、「ほめられちゃった」と陽向さんが笑いをこらえて言った。
やっぱり……!
「二人ともこっち来て! 記念撮影お願い!」
演技を見てくれた観客が数人、スマホを手に理子さんの元に列を作っていた。
「全日本ジュニア、出るんですよね。絶対応援に行きます!」
僕と陽向さんは二人組の女の子と握手をすると、ありがとうございますと頭を下げた。
「次で最後の一人よ、お願いね」
「はい」
そう言って顔を上げると、そこには木野がいた。
「(な……お前……)」
驚いている僕をよそに、木野は陽向さんに向かってにこにこして
「いやー。素晴らしかったです。ほんと、もう最高でした! あ、握手してもらっていいですか?」
と言って両手で彼女の手をがっしりと握った。
「氷上に天使が降りたかと思いましたよ。もう心臓鷲掴みにされましたね。はい、じゃ制覇はそっち行ってくれ」
木野は陽向さんの隣に立つと僕に反対側に立つようにと指をさし、僕と彼女を挟む形で写真を撮った。
「ありがとうござーしたー」
木野はご機嫌で理子さんからスマホを返してもらうと、僕の肩に腕を回してきた。そして耳元で言った。
「ちょっとお前、いいか?」
僕は木野に連れ出され、上の階へと上がった。リンクから少し離れた場所にある、あまり入ったことのないファーストフード店に入る。僕の前に座った木野はさっきからは考えられない、怖い顔をしていた。
「お前さあ、なんでこんな常葉木のいる場所に、彼女連れてくんの? ここは常葉木の大事な居場所だよな? どういう神経してるわけ? おかしくない?」
木野は昔から僕よりも進んでいた。木野から見たら僕は男で、陽向さんも果歩も女の子なのだ。
「あのな。変な言い方すんなよ。別に僕たちはお前の思ってるようなもんじゃないよ?」
「嘘つけ。さっきのお前と彼女、あれ何だよ? ピンクのオーラに包まれてたぞ。ピンクの!」
「あ……あれは、ああいうプログラムなんだよ。でもそうか。そう見えたんならよかった」
平静を装ってそう答えたけど。恥ずかしすぎる。このリンクの欠点は家から近いところだ。子どもの頃からの知り合いに、ロマンス系のプログラムを見たと言われるのは結構こたえるぞ。
もしかしてそのうち、家族に見られたりなんかして。うわー、死ぬー。
などと悶えている僕に、木野は厳しく言った。
「何がよかっただよ」
「だからだな……」
説明しようとしても木野は聞く耳を持たず僕を責めた。
「お前本当に最低だぞ。常葉木の気持ちとか考えてやれよ」
「なんだよそれ」
果歩の気持ちって。
「僕と陽向さんがここのオーナーに支援されてることは、果歩も知ってて喜んでるよ。あいつは僕たちのことを応援してくれてる」
未だかつて、果歩が僕と陽向さんに対して嫌な顔をしたことなんてない。しかしふと僕をアメリカに送り出してくれた時の、果歩の顔を思い出した。あれはいったい何だったんだろう。まさか。いや、まさか。
「喜んでるわけないだろう?」
木野はあきれたように言う。
「もう昔の話になってるとしても、あれを見せつけられるのはキツイと思うぞ」
「昔も何も」
僕と果歩は一度として木野の想像するような関係になったことはない。そして、僕と陽向さんの間にあるものだって、やっぱり木野の思うようなものではない。
「あのな、何度も言うけど果歩はただの幼なじみで、陽向さんはただのパートナーだから。そろそろ行くわ。陸トレあるし」
僕はトレーを手に立ち上がった。
木野は何も分かっていない。
そうだよ。
果歩の頭の中にはリンクのことしかないし、これから真剣に戦い続けなきゃならないパートナーに浮ついた気持ちを持ったって、迷惑がられるだけなんだよ。
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