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第一部
29.ごめんね。そして、それから 2 【第一部最終話】
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戸惑っている僕より先に、果歩が口を開いた。
「――と、制覇を責めても仕方がないよね。制覇と蒼井君の手を繋がせてしまったのは私だもん」
僕の中に、あの日のなんとも言えない感覚が蘇る。
「でもまさか、蒼井君があそこまで上手いとは思わなかった。あんな一発で、制覇をアイスダンスの世界に惹きいれてしまうとは」
いやいや、違うよ。別に惹きいれられたわけじゃないよ……。
あの日。僕の記憶に残っているのは、アイスダンスの魅力というより、焦るような、苦しいような思いばかり。
流斗があの日、あそこに現れなければ。
そうすれば僕たちはあのままモミの木で、楽しく過ごせていたのに。僕は果歩を傷つけずにすんでいたのに。
でも――
ふと、「でも」という言葉が頭を過る。
あのままの日々が続いていたら、僕にとってスケートは、いつまでもただの遊びだったに違いない。苦しむことはなくても、真剣に打ち込むことでしか味わえない喜びを知ることもなかっただろう。
それで、よかったんだろうか――。
僕のそんな気持ちを見通しているかのように、果歩が言った。
「仕方がないよね。誰だって、夢を感じないような場所には留まっていられないよ。だから私もモミの木を、制覇を呼び戻せるくらい夢のある場所にしたいなって思ったの……」
果歩は理子さんに、モミの木は「すそ野」というからには、そこから上に続く山はあるんでしょうねと詰め寄ったのだそうだ。少し登ったらすぐに行き止まりだなんてつまらない、少し先の目標にわくわくしながらどんどん高く登っていける、モミの木はそんな場所でなくちゃだめなんだと言ったのだそうだ。
果歩と理子さんはいつもそうやって話し合い、夢をシンクロさせてきたのだ。大切な居場所にみんなが夢中になるように。
「だからまずは私がもっと上手くなれるところを見せて、制覇にここにもまだまだ夢があるって分かってもらおうと思ったの。そのために知り合いの貸し切りに入れてもらったり、バッジテストを開いてもらったりしたのよ」
貸し切り……?
バッジテスト……?
そんな話を聞くようになったのは、一体いつ頃からだったろうかと僕は記憶を手繰(たぐ)り寄せた。それはずいぶん前だったように思うけど……。
「お前はいつから、僕がアイスダンスを始めたことを知っていたんだ?」
「多分……制覇がダンスを始めた直後からじゃないかな」
「直後から!? なんで!?」
ひそかに上達したいと願っていた僕の思いは、最初から無駄だったということか?
「理子先生から全部聞いてたし」
あいつか……!
「でも、何をやっても制覇はちっとも帰ってきてくれそうになかった。やっぱり制覇はどこかの先生につく方がいいんだとか、私と勝負するよりも蒼井君と勝負することを選んだんだとか、そういう風に考えて眠れない夜もあった」
果歩は、困ったように笑った。僕たちは、いつのまにか歩くのをやめていた。
「どう誘えばいいのか、私に何ができるのか、考えて考えて。でも、何をやっても、上手くいくような気がしなくなってきて。そうするうちに、誘っても応えてくれない人を誘い続けるのも辛くなって、スケジュールなんかも渡せなくなってしまって……」
僕たちは小道の真ん中で、立ちつくした。
申し訳がなかった。
そこまで悩ませていたなんて。
ちょっとだけのつもりだったんだ。すぐに上手くなって帰ってこれると思ってたんだ。
それなのに。どうして僕はモミの木ではない場所に、やりたいことを見つけてしまったんだろう。
僕にスケートの魅力を教えてくれたのは、モミの木だったのに――
目の前の果歩は、僕が思っていたよりもずっと繊細で儚げなことに気がついた。僕よりずっと高かった背も、いつの間にか、僕とそう変わらなくなっていた。
寒さに、時間が凍ったみたいだった。身動きできないまま、時間が過ぎる。
謝りたくて仕方がない気持ちで一杯になっていた僕に、果歩は言った。
「そんなある日、蒼井君が言ってくれたんだ。心配しなくても、制覇はいつか戻って来るって。本物のスケーターになれば、いつか必ずって。
なぜって、スケーターにとって、氷はなくてはならないものだからって。だから私……」
そう言って僕を見た果歩は、すでに悩みからは解放されたのだという顔をしていた。
「待ってた」
小さくて軽やかな雪が、ふわりと舞い降りてきた。
向き合いたいものに、正面から向き合えるようになった日。この日が来るのを待っていたのは、僕だけじゃなかった。
ずっと、待っていてくれたのだ。
僕が真剣にスケートに打ち込む気持ちになれる日を。僕が心から氷を求めてやまなくなる日を。
遠回りしてきた道が、やっとたどり着くべき所にたどり着いた気がした。
「ごめん。泣かすつもりじゃなかった――」
そう言ったのは僕ではなく、果歩だった。
「わ! うわっ! いつの間にっ!」
気がつかないうちに、僕の頬を涙が一筋伝っていた。
通りがかった同級生が「常葉木が制覇のこと泣かせてる」とからかった。果歩はそいつらを蹴散らした。
宙を舞う雪が、少しずつ増えていく。
小学生たちが、楽しげに笑いながら走り始めた。
その子どもたちにも負けない笑顔で、果歩が僕に言った。
「また滑りに来てよ! 制覇の滑りたい時だけで構わないから」
ちらつく雪の中、果歩は「ただこれが言いたかっただけなの。余計な話が長くなってごめんね」と言った。
そして僕の顔を覗きこむと、あきれたようにつぶやいた。
「やだ、まだ泣いてる」
クリスマスも間近な休日。僕は久しぶりにモミの木に向かった。張り切ってガラスの扉を開けると、きれいなオーナメントで飾り付けられた大きな木が僕を出迎えてくれた。
数日前、僕は無事バッジテストに合格することができた。相手は陽向さんが引き受けてくれた。
テストのあと、先生はよくやったわねと優しく声をかけてくれた。続けて「あなたくらいの滑走力があれば、アイスダンスとして成立していなくても通るのよね。このあたりの級は」と相変わらず厳しいことも言ってくれた。
でも、嫌な気はしなかった。
テストに合格したからといってまだまだだということは自分でも分かっていたし、何よりもその後に先生が「頑張りましょうね」と言ったその口調が、僕のことを陽向さんと共に夢を追う一人として扱ってくれていると感じさせてくれたからだ。
帰り際、ジャッジの一人に陽向さんが声をかけられているのを見かけた。陽向さんがアイスダンスを本格的にやっていくと知って、怪我の調子を心配しているようだった。陽向さんがもうすっかり大丈夫ですとにっこりすると、それならシングルも続けた方がいいと彼は言った。せっかくの力がもったいないからと。
そんな彼に、陽向さんは意気揚々と答えた。
「シングルも魅力的ではあるんですけど、私はアイスダンスで大きな挑戦をしてみたいと思っているんです」
それから続けてこうつけ足していた。
「私の期待に応えてくれそうなパートナーにも、巡り会えたことですし」
もっともっと上手くなろう――。
僕はモミの木を見上げた。
飾りつけられたモミの木は、僕が初めて見た時と同じ姿だった。中二になってもまだ胸が躍る。僕がこの姿を見るのは二回目だ。去年は見ることができなかった。僕が理子さんに腹を立てていたからだ。多分――いやきっと、果歩はあの時も理子さんと話し合ってくれていたに違いない。ここ数日、僕はそんなことを考えていた。
子ども用のヘルメットを不器用そうにいくつも抱えた理子さんが、リンクサイドをふらちょろと歩いていた。僕に気がつくと近寄ってきて、「あら制覇君。彼女へのクリスマスプレゼントはもう買った?」といきなり訳の分からない営業をかけてきた。今ショッピングセンター内でクリスマスプレゼントを買うと、金額に応じて滑走料を安くしてくれるのだという。
「ちなみに私は彼氏募集中なので、プレゼントはいつでも受けつけてるよ」
理子さんは自分から言っておきながら自分でショックを受けたようで「でもプレゼントはもういーわ。毎年大量にもらうけど、肝心の彼氏は全然できそうにないし」と、来た時よりもふらふらした足取りで去っていった。
理子さんの後ろ姿を目で追った僕は、リンクの中にダンスの練習しているおばさんを見つけた。僕の受けたバッジテストと同じステップを、一人ぎこちない足取りで滑っている。
「このリンクにも、あんな人いたんだ」
僕は思わず笑ってしまった。
別に馬鹿にしたわけじゃない。
嬉しかったのだ。
その時――
「制覇ー!」
僕を見つけた果歩が、エッジケースをかちゃかちゃと鳴らしながら駆け寄ってきた。
「どうしたの? 滑るの?」
果歩は高ぶった声でそう言った。
僕は混雑したリンクを指差しながら言った。
「いや、これはどう見ても無理でしょ。向こうのリンクもこの時期一般営業はかなり厳しいからさ、念のためこっちも見に寄ったんだけど。やっぱ、どこも同じだね」
本当のことを言ってから、しまったと思った。こんなことを口にして、大丈夫だっただろうか。
「贅沢だなあ。私なんかこのくらいの隙間、縫って滑れるよ」
リンクを見つめながらそう言った果歩は、怒ったふうでもなければ傷ついたふうでもなかった。
「あのさ……」
言葉を選びながら、僕は続けた。
「今日は滑らないけど、だけどまたそのうち必ず滑りに来るよ。遠くに行くよりもここに来た方が効率がいい時もあると思うから。上手くなるにはもっと氷に乗らなくちゃならないし。そんなんで、いいかな……?」
うかがうように聞く僕に、果歩は意志の強そうな瞳を輝かせながらにっこりした。
「どうしてそんなこと私に聞くの? 制覇の役に立てることを、きっとこのリンクも喜んでるよ」
僕は思った。
果歩はバカなことを言っている。リンクに感情なんてあるわけがない。喜んでるのはお前だろ。僕にまた来いって言ったのはお前だろ……。
「あ、制覇。ちょっと待ってて。この前、理子先生が曜日とか時間帯の混み具合を分析してたから、データ見てきてあげる。空いてるところがあったら教えてあげるから」
そう言うと果歩は事務室へ向かって駆け出した。その果歩の後ろ姿に、僕はどうしても問いかけずにはいられなかった。
「果歩! どうしてお前は、そんなに一生懸命なんだ!?」
どうしてそんなに、いつもいつも一生懸命になってくれるんだ……!
振り返った果歩は、笑顔で僕に叫んだ。
「それはね、私がこのリンクを、世界で一番夢のあるリンクにしたいと思っているからよ!」
それが僕の求めていた答えだったのかは、よく分からなかった。
だけど、その聞きなれた言葉をまた間近で聞ける場所に戻ってこれたことが、僕は最高に嬉しかった。
――――――――――
※2000年頃、日本各地でスケートリンクが相次いで閉鎖されるという事実がありました。
※作中のアイスダンスのルールは2012年からのものに基づいています。
※この物語はフィクションです。もし同一の名称があった場合も、実在する人物、団体等とは一切関係ありません。
「――と、制覇を責めても仕方がないよね。制覇と蒼井君の手を繋がせてしまったのは私だもん」
僕の中に、あの日のなんとも言えない感覚が蘇る。
「でもまさか、蒼井君があそこまで上手いとは思わなかった。あんな一発で、制覇をアイスダンスの世界に惹きいれてしまうとは」
いやいや、違うよ。別に惹きいれられたわけじゃないよ……。
あの日。僕の記憶に残っているのは、アイスダンスの魅力というより、焦るような、苦しいような思いばかり。
流斗があの日、あそこに現れなければ。
そうすれば僕たちはあのままモミの木で、楽しく過ごせていたのに。僕は果歩を傷つけずにすんでいたのに。
でも――
ふと、「でも」という言葉が頭を過る。
あのままの日々が続いていたら、僕にとってスケートは、いつまでもただの遊びだったに違いない。苦しむことはなくても、真剣に打ち込むことでしか味わえない喜びを知ることもなかっただろう。
それで、よかったんだろうか――。
僕のそんな気持ちを見通しているかのように、果歩が言った。
「仕方がないよね。誰だって、夢を感じないような場所には留まっていられないよ。だから私もモミの木を、制覇を呼び戻せるくらい夢のある場所にしたいなって思ったの……」
果歩は理子さんに、モミの木は「すそ野」というからには、そこから上に続く山はあるんでしょうねと詰め寄ったのだそうだ。少し登ったらすぐに行き止まりだなんてつまらない、少し先の目標にわくわくしながらどんどん高く登っていける、モミの木はそんな場所でなくちゃだめなんだと言ったのだそうだ。
果歩と理子さんはいつもそうやって話し合い、夢をシンクロさせてきたのだ。大切な居場所にみんなが夢中になるように。
「だからまずは私がもっと上手くなれるところを見せて、制覇にここにもまだまだ夢があるって分かってもらおうと思ったの。そのために知り合いの貸し切りに入れてもらったり、バッジテストを開いてもらったりしたのよ」
貸し切り……?
バッジテスト……?
そんな話を聞くようになったのは、一体いつ頃からだったろうかと僕は記憶を手繰(たぐ)り寄せた。それはずいぶん前だったように思うけど……。
「お前はいつから、僕がアイスダンスを始めたことを知っていたんだ?」
「多分……制覇がダンスを始めた直後からじゃないかな」
「直後から!? なんで!?」
ひそかに上達したいと願っていた僕の思いは、最初から無駄だったということか?
「理子先生から全部聞いてたし」
あいつか……!
「でも、何をやっても制覇はちっとも帰ってきてくれそうになかった。やっぱり制覇はどこかの先生につく方がいいんだとか、私と勝負するよりも蒼井君と勝負することを選んだんだとか、そういう風に考えて眠れない夜もあった」
果歩は、困ったように笑った。僕たちは、いつのまにか歩くのをやめていた。
「どう誘えばいいのか、私に何ができるのか、考えて考えて。でも、何をやっても、上手くいくような気がしなくなってきて。そうするうちに、誘っても応えてくれない人を誘い続けるのも辛くなって、スケジュールなんかも渡せなくなってしまって……」
僕たちは小道の真ん中で、立ちつくした。
申し訳がなかった。
そこまで悩ませていたなんて。
ちょっとだけのつもりだったんだ。すぐに上手くなって帰ってこれると思ってたんだ。
それなのに。どうして僕はモミの木ではない場所に、やりたいことを見つけてしまったんだろう。
僕にスケートの魅力を教えてくれたのは、モミの木だったのに――
目の前の果歩は、僕が思っていたよりもずっと繊細で儚げなことに気がついた。僕よりずっと高かった背も、いつの間にか、僕とそう変わらなくなっていた。
寒さに、時間が凍ったみたいだった。身動きできないまま、時間が過ぎる。
謝りたくて仕方がない気持ちで一杯になっていた僕に、果歩は言った。
「そんなある日、蒼井君が言ってくれたんだ。心配しなくても、制覇はいつか戻って来るって。本物のスケーターになれば、いつか必ずって。
なぜって、スケーターにとって、氷はなくてはならないものだからって。だから私……」
そう言って僕を見た果歩は、すでに悩みからは解放されたのだという顔をしていた。
「待ってた」
小さくて軽やかな雪が、ふわりと舞い降りてきた。
向き合いたいものに、正面から向き合えるようになった日。この日が来るのを待っていたのは、僕だけじゃなかった。
ずっと、待っていてくれたのだ。
僕が真剣にスケートに打ち込む気持ちになれる日を。僕が心から氷を求めてやまなくなる日を。
遠回りしてきた道が、やっとたどり着くべき所にたどり着いた気がした。
「ごめん。泣かすつもりじゃなかった――」
そう言ったのは僕ではなく、果歩だった。
「わ! うわっ! いつの間にっ!」
気がつかないうちに、僕の頬を涙が一筋伝っていた。
通りがかった同級生が「常葉木が制覇のこと泣かせてる」とからかった。果歩はそいつらを蹴散らした。
宙を舞う雪が、少しずつ増えていく。
小学生たちが、楽しげに笑いながら走り始めた。
その子どもたちにも負けない笑顔で、果歩が僕に言った。
「また滑りに来てよ! 制覇の滑りたい時だけで構わないから」
ちらつく雪の中、果歩は「ただこれが言いたかっただけなの。余計な話が長くなってごめんね」と言った。
そして僕の顔を覗きこむと、あきれたようにつぶやいた。
「やだ、まだ泣いてる」
クリスマスも間近な休日。僕は久しぶりにモミの木に向かった。張り切ってガラスの扉を開けると、きれいなオーナメントで飾り付けられた大きな木が僕を出迎えてくれた。
数日前、僕は無事バッジテストに合格することができた。相手は陽向さんが引き受けてくれた。
テストのあと、先生はよくやったわねと優しく声をかけてくれた。続けて「あなたくらいの滑走力があれば、アイスダンスとして成立していなくても通るのよね。このあたりの級は」と相変わらず厳しいことも言ってくれた。
でも、嫌な気はしなかった。
テストに合格したからといってまだまだだということは自分でも分かっていたし、何よりもその後に先生が「頑張りましょうね」と言ったその口調が、僕のことを陽向さんと共に夢を追う一人として扱ってくれていると感じさせてくれたからだ。
帰り際、ジャッジの一人に陽向さんが声をかけられているのを見かけた。陽向さんがアイスダンスを本格的にやっていくと知って、怪我の調子を心配しているようだった。陽向さんがもうすっかり大丈夫ですとにっこりすると、それならシングルも続けた方がいいと彼は言った。せっかくの力がもったいないからと。
そんな彼に、陽向さんは意気揚々と答えた。
「シングルも魅力的ではあるんですけど、私はアイスダンスで大きな挑戦をしてみたいと思っているんです」
それから続けてこうつけ足していた。
「私の期待に応えてくれそうなパートナーにも、巡り会えたことですし」
もっともっと上手くなろう――。
僕はモミの木を見上げた。
飾りつけられたモミの木は、僕が初めて見た時と同じ姿だった。中二になってもまだ胸が躍る。僕がこの姿を見るのは二回目だ。去年は見ることができなかった。僕が理子さんに腹を立てていたからだ。多分――いやきっと、果歩はあの時も理子さんと話し合ってくれていたに違いない。ここ数日、僕はそんなことを考えていた。
子ども用のヘルメットを不器用そうにいくつも抱えた理子さんが、リンクサイドをふらちょろと歩いていた。僕に気がつくと近寄ってきて、「あら制覇君。彼女へのクリスマスプレゼントはもう買った?」といきなり訳の分からない営業をかけてきた。今ショッピングセンター内でクリスマスプレゼントを買うと、金額に応じて滑走料を安くしてくれるのだという。
「ちなみに私は彼氏募集中なので、プレゼントはいつでも受けつけてるよ」
理子さんは自分から言っておきながら自分でショックを受けたようで「でもプレゼントはもういーわ。毎年大量にもらうけど、肝心の彼氏は全然できそうにないし」と、来た時よりもふらふらした足取りで去っていった。
理子さんの後ろ姿を目で追った僕は、リンクの中にダンスの練習しているおばさんを見つけた。僕の受けたバッジテストと同じステップを、一人ぎこちない足取りで滑っている。
「このリンクにも、あんな人いたんだ」
僕は思わず笑ってしまった。
別に馬鹿にしたわけじゃない。
嬉しかったのだ。
その時――
「制覇ー!」
僕を見つけた果歩が、エッジケースをかちゃかちゃと鳴らしながら駆け寄ってきた。
「どうしたの? 滑るの?」
果歩は高ぶった声でそう言った。
僕は混雑したリンクを指差しながら言った。
「いや、これはどう見ても無理でしょ。向こうのリンクもこの時期一般営業はかなり厳しいからさ、念のためこっちも見に寄ったんだけど。やっぱ、どこも同じだね」
本当のことを言ってから、しまったと思った。こんなことを口にして、大丈夫だっただろうか。
「贅沢だなあ。私なんかこのくらいの隙間、縫って滑れるよ」
リンクを見つめながらそう言った果歩は、怒ったふうでもなければ傷ついたふうでもなかった。
「あのさ……」
言葉を選びながら、僕は続けた。
「今日は滑らないけど、だけどまたそのうち必ず滑りに来るよ。遠くに行くよりもここに来た方が効率がいい時もあると思うから。上手くなるにはもっと氷に乗らなくちゃならないし。そんなんで、いいかな……?」
うかがうように聞く僕に、果歩は意志の強そうな瞳を輝かせながらにっこりした。
「どうしてそんなこと私に聞くの? 制覇の役に立てることを、きっとこのリンクも喜んでるよ」
僕は思った。
果歩はバカなことを言っている。リンクに感情なんてあるわけがない。喜んでるのはお前だろ。僕にまた来いって言ったのはお前だろ……。
「あ、制覇。ちょっと待ってて。この前、理子先生が曜日とか時間帯の混み具合を分析してたから、データ見てきてあげる。空いてるところがあったら教えてあげるから」
そう言うと果歩は事務室へ向かって駆け出した。その果歩の後ろ姿に、僕はどうしても問いかけずにはいられなかった。
「果歩! どうしてお前は、そんなに一生懸命なんだ!?」
どうしてそんなに、いつもいつも一生懸命になってくれるんだ……!
振り返った果歩は、笑顔で僕に叫んだ。
「それはね、私がこのリンクを、世界で一番夢のあるリンクにしたいと思っているからよ!」
それが僕の求めていた答えだったのかは、よく分からなかった。
だけど、その聞きなれた言葉をまた間近で聞ける場所に戻ってこれたことが、僕は最高に嬉しかった。
――――――――――
※2000年頃、日本各地でスケートリンクが相次いで閉鎖されるという事実がありました。
※作中のアイスダンスのルールは2012年からのものに基づいています。
※この物語はフィクションです。もし同一の名称があった場合も、実在する人物、団体等とは一切関係ありません。
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