12 / 89
第一部
12.疑い 5
しおりを挟む
その日のホームルームで、席替えが行われた。僕たちの席は離れてしまった。貸し切りの予定はかろうじて受け取ることができた。でもそれ以降、僕が果歩にリンクに誘ってもらえる回数は急速に減っていった。
ちょうどその頃、僕たちのクラスは雰囲気が次第に変わりつつあった。男子と女子の仲が取り立てて悪くなったわけではないけれど、男子は男子、女子は女子という集まり方をするのがいつの間にか普通になっていた。そんな中で特別な関係のある奴らだけが、登下校や休みの日に交流を持つようになり始めた。おかげで深い意味などなくても異性と話をするだけで、冷やかされたりするようになった。
そんな空気も相まって、僕は果歩の変化を気にも留めていなかった……。
シルバーの前段階の練習が本格化していくにつれ、パターンダンスをこなすということの難しさを僕は日に日に知ることになった。それはただ覚えたステップの羅列を二人でなぞればいいというものではなかった。
二人で組んだ状態で、定められたコースを正確に辿りながら、且つ、二人ともが正しいエッジに乗るということが、いかに難しいことか。
「ここまでよ、ここまで! そのままここまで流れてきて!」
社交ダンスのように向かい合ってワルツホールドで進む僕たちの少し先に先生が立っている。その場所まで今乗っている足のまま来いという指示だ。
ついほんの先なのに、僕たちはもうそこまでたどり着ける速度を持っていなかった。
右腕を陽向さんの背中に回し左手を宙でつないだ状態で、二人とも片足で立ったまま、極力失速しないように身動きせずに堪える。ほぼ止まりかけで、やっと先生の元にたどり着く。曲からはとうに取り残されている。
「そう。そしてここで、足を変える。いつも早すぎるわよ」
「あの、かなり厳しいんですけど」
「ふらふらしてるからよ。最初からきっちりしたエッジにお乗りなさいよ。」
もちろん僕だってそうしたかった。だけど、一人で滑るのとは事情が違うのだ。最初からいいエッジに乗ろうにも思わぬ所に相手がいて思った場所に足が着けなかったり、お互いの進行方向に微妙なズレがあって思わぬ方向に引っ張られたり。
「この個所はね、制覇君は膝をゆっくり伸ばしてそのまま立ち上がる、背中まっすぐね。で、陽向ちゃんは制覇君の膝と膝の間に入っていくようにターン。こんな感じできちっと乗れば、そんなに速度が落ちるわけないんだけれど?」
そう言われても、簡単に二人の息が合わないから苦労してるんですよ……。
ところが先生と陽向さんが組んでやって見せてくれると、同じステップでも問題が起こらない。先生が言った。
「結局はね、男性側のリードの問題なのよ。お互いが邪魔しない、良い場所に行くように、あなたがリードするの。分かった?」
「……。あんまり分かった気はしませんけど、もう一回やってもいいですか?」
同じ場所で何度やり直しになっても、陽向さんは怒らなかった。僕を責めることなく何度でも「頑張ろうね」と笑った。
パターンダンスは奥深かった。このカーブはこの種類のターン何回で回ること、などという指定があるということは、例えば思うようなターンが決まらなかった場合どういうことになってしまうか。コースを小回りしたり、歪ませたり、足をついてしまったり、とにかく納得のいかない解決方法をとるしかなくなってしまう。一歩失敗すると、次の一歩にも影響が出かねない。リンク一周のコース取りも決まっているわけだから、ぐるっと回ってきた結果、とてつもなく乱れてしまうことにもなりかねない。
好き勝手に助走をつけて跳んでいた、かつての気楽な調子とは深刻さがまるで違った。一歩一歩が油断できない。どの一歩も貴重だった。
僕と陽向さんのパターンダンスはしばらくはコースもエッジもスピードもめちゃくちゃで、これでは点が出ないと散々けなされた。しかしどう評価されようと僕にとってはどうでも良かった。僕はひたすらどうすれば上手くいくのかだけを考えるようになっていた。
そんな調子で僕は一日の多くを、アイスダンスのことばかり考えて過ごすようになっていった。
それでもアイスダンスの魅力は正直まったく分からなかった。アイスダンスの持つ効用には魅力を感じていたけれど、アイスダンス自体については誰かに魅力を聞かれても僕には答えることはできなかった。むしろ前にも感じたように、アイスダンスというものは随分つまらないことにまで神経を使う物なんだなくらいにしか思えなかった。
それなのに僕は、いつの間にか練習が面白くなっていた。これまでの遊びで滑るのとは、取り組みの密度が違っていた。どの瞬間も真剣に神経をとがらせて取り組まなくてはならなかった。そうしないと成り立たない競技だった。そこまでやって初めて、細かいことまでが成功した。毎回、新しい進歩と喜びがあった。流斗がこれにはまるのも、無理ないと思った。
僕は魅力も分からないままに、すっかりアイスダンスにはまっていた。
それは、衣替えから間もなくの朝だった。
衣替えと言っても名ばかりで、正門から中に入ると相変わらず半袖で来ている奴もまだまだ目についた。天気も良く、しばらくはまだ暖かい日が続きそうだった。
昇降口に近づいた時だった。後ろから突然女子の金切り声が上がった。
「きゃー! 果歩~! どうしたの?」
振り返ると、果歩と流斗が並んで登校してくるのが目に入った。
「もしかして二人、付き合ってるとか?」
女子が数人、二人を取り囲んでいた。流斗はにっこり笑って「さあ? どうでしょう?」と言った。
さあって何だよ! 他人事みたいに答えやがって! お前当事者だろ! 付き合ってるなら付き合ってる、付き合ってないなら付き合ってない、自分で分かるだろ!
「そっかー。やっぱ姫は王子とひっついたか~」
果歩の友だちの一人がそう冷やかした。
「姫って言うな!」
そう言って繰り出した果歩の猫パンチを、その子は両手で受け止めながら笑った。
「小人と姫がひっつくような展開のお話はないもんね~」
そう言うとその子は、果歩たちを置き去りに小走りで昇降口へ向かってきた。僕の前を横切る瞬間に、僕の存在に気がついたようで、ぱっと合った目に動揺が走った。
「あ……ご……ごめんっ」
そう言って、その子はそのまま僕の前を走り抜けた――――――。
ちょうどその頃、僕たちのクラスは雰囲気が次第に変わりつつあった。男子と女子の仲が取り立てて悪くなったわけではないけれど、男子は男子、女子は女子という集まり方をするのがいつの間にか普通になっていた。そんな中で特別な関係のある奴らだけが、登下校や休みの日に交流を持つようになり始めた。おかげで深い意味などなくても異性と話をするだけで、冷やかされたりするようになった。
そんな空気も相まって、僕は果歩の変化を気にも留めていなかった……。
シルバーの前段階の練習が本格化していくにつれ、パターンダンスをこなすということの難しさを僕は日に日に知ることになった。それはただ覚えたステップの羅列を二人でなぞればいいというものではなかった。
二人で組んだ状態で、定められたコースを正確に辿りながら、且つ、二人ともが正しいエッジに乗るということが、いかに難しいことか。
「ここまでよ、ここまで! そのままここまで流れてきて!」
社交ダンスのように向かい合ってワルツホールドで進む僕たちの少し先に先生が立っている。その場所まで今乗っている足のまま来いという指示だ。
ついほんの先なのに、僕たちはもうそこまでたどり着ける速度を持っていなかった。
右腕を陽向さんの背中に回し左手を宙でつないだ状態で、二人とも片足で立ったまま、極力失速しないように身動きせずに堪える。ほぼ止まりかけで、やっと先生の元にたどり着く。曲からはとうに取り残されている。
「そう。そしてここで、足を変える。いつも早すぎるわよ」
「あの、かなり厳しいんですけど」
「ふらふらしてるからよ。最初からきっちりしたエッジにお乗りなさいよ。」
もちろん僕だってそうしたかった。だけど、一人で滑るのとは事情が違うのだ。最初からいいエッジに乗ろうにも思わぬ所に相手がいて思った場所に足が着けなかったり、お互いの進行方向に微妙なズレがあって思わぬ方向に引っ張られたり。
「この個所はね、制覇君は膝をゆっくり伸ばしてそのまま立ち上がる、背中まっすぐね。で、陽向ちゃんは制覇君の膝と膝の間に入っていくようにターン。こんな感じできちっと乗れば、そんなに速度が落ちるわけないんだけれど?」
そう言われても、簡単に二人の息が合わないから苦労してるんですよ……。
ところが先生と陽向さんが組んでやって見せてくれると、同じステップでも問題が起こらない。先生が言った。
「結局はね、男性側のリードの問題なのよ。お互いが邪魔しない、良い場所に行くように、あなたがリードするの。分かった?」
「……。あんまり分かった気はしませんけど、もう一回やってもいいですか?」
同じ場所で何度やり直しになっても、陽向さんは怒らなかった。僕を責めることなく何度でも「頑張ろうね」と笑った。
パターンダンスは奥深かった。このカーブはこの種類のターン何回で回ること、などという指定があるということは、例えば思うようなターンが決まらなかった場合どういうことになってしまうか。コースを小回りしたり、歪ませたり、足をついてしまったり、とにかく納得のいかない解決方法をとるしかなくなってしまう。一歩失敗すると、次の一歩にも影響が出かねない。リンク一周のコース取りも決まっているわけだから、ぐるっと回ってきた結果、とてつもなく乱れてしまうことにもなりかねない。
好き勝手に助走をつけて跳んでいた、かつての気楽な調子とは深刻さがまるで違った。一歩一歩が油断できない。どの一歩も貴重だった。
僕と陽向さんのパターンダンスはしばらくはコースもエッジもスピードもめちゃくちゃで、これでは点が出ないと散々けなされた。しかしどう評価されようと僕にとってはどうでも良かった。僕はひたすらどうすれば上手くいくのかだけを考えるようになっていた。
そんな調子で僕は一日の多くを、アイスダンスのことばかり考えて過ごすようになっていった。
それでもアイスダンスの魅力は正直まったく分からなかった。アイスダンスの持つ効用には魅力を感じていたけれど、アイスダンス自体については誰かに魅力を聞かれても僕には答えることはできなかった。むしろ前にも感じたように、アイスダンスというものは随分つまらないことにまで神経を使う物なんだなくらいにしか思えなかった。
それなのに僕は、いつの間にか練習が面白くなっていた。これまでの遊びで滑るのとは、取り組みの密度が違っていた。どの瞬間も真剣に神経をとがらせて取り組まなくてはならなかった。そうしないと成り立たない競技だった。そこまでやって初めて、細かいことまでが成功した。毎回、新しい進歩と喜びがあった。流斗がこれにはまるのも、無理ないと思った。
僕は魅力も分からないままに、すっかりアイスダンスにはまっていた。
それは、衣替えから間もなくの朝だった。
衣替えと言っても名ばかりで、正門から中に入ると相変わらず半袖で来ている奴もまだまだ目についた。天気も良く、しばらくはまだ暖かい日が続きそうだった。
昇降口に近づいた時だった。後ろから突然女子の金切り声が上がった。
「きゃー! 果歩~! どうしたの?」
振り返ると、果歩と流斗が並んで登校してくるのが目に入った。
「もしかして二人、付き合ってるとか?」
女子が数人、二人を取り囲んでいた。流斗はにっこり笑って「さあ? どうでしょう?」と言った。
さあって何だよ! 他人事みたいに答えやがって! お前当事者だろ! 付き合ってるなら付き合ってる、付き合ってないなら付き合ってない、自分で分かるだろ!
「そっかー。やっぱ姫は王子とひっついたか~」
果歩の友だちの一人がそう冷やかした。
「姫って言うな!」
そう言って繰り出した果歩の猫パンチを、その子は両手で受け止めながら笑った。
「小人と姫がひっつくような展開のお話はないもんね~」
そう言うとその子は、果歩たちを置き去りに小走りで昇降口へ向かってきた。僕の前を横切る瞬間に、僕の存在に気がついたようで、ぱっと合った目に動揺が走った。
「あ……ご……ごめんっ」
そう言って、その子はそのまま僕の前を走り抜けた――――――。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
不良な彼らと小さなお姫様
綾崎オトイ
青春
別サイトにて過去に書いていた携帯小説より
よくある不良グループとそのお姫様
だけど少しだけ変わっている彼らの関係
不良少年たちと小さな少女の書きたいとこだけ
作者の趣味を詰め込んでいるだけの話です
暖かい目で読んでくださると嬉しいです
陰キャの陰キャによる陽に限りなく近い陰キャのための救済措置〜俺の3年間が青くなってしまった件〜
136君
青春
俺に青春など必要ない。
新高校1年生の俺、由良久志はたまたま隣の席になった有田さんと、なんだかんだで同居することに!?
絶対に他には言えない俺の秘密を知ってしまった彼女は、勿論秘密にすることはなく…
本当の思いは自分の奥底に隠して繰り広げる青春ラブコメ!
なろう、カクヨムでも連載中!
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330647702492601
なろう→https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n5319hy/
理科準備室のお狐様
石澄 藍
ホラー
高校1年生の駒井竜次はある日、友だちと夜の学校で肝試しをする計画を立てていた。しかし、それを同級生の孤塚灼に止められる。
「夜の学校には近寄らないほうがいい。この学校、本当に出るから」
嫌な予感がしつつも、竜次はその忠告を無視して肝試しを決行してしまう。そこで出会ったのは、不気味な同級生と可愛らしい真っ白な少女のふたり組。
この出会いは、果たして何をもたらすのかーー。
行くゼ! 音弧野高校声優部
涼紀龍太朗
ライト文芸
流介と太一の通う私立音弧野高校は勝利と男気を志向するという、時代を三周程遅れたマッチョな男子校。
そんな音弧野高で声優部を作ろうとする流介だったが、基本的にはスポーツ以外の部活は認められていない。しかし流介は、校長に声優部発足を直談判した!
同じ一年生にしてフィギュアスケートの国民的スター・氷堂を巻き込みつつ、果たして太一と流介は声優部を作ることができるのか否か?!
いまさらですが、中二病で世の中は回っている!!
丸ニカタバミ
青春
僕こと小谷中仁(こたになかひと)は中学二年生になる姪をあずかることに。
一緒に住み始めたある日、姪の中二病化が始まった
日常系ショートギャグコメディーです
次の話から週一に変わります。(4/23現在)
光のもとで1
葉野りるは
青春
一年間の療養期間を経て、新たに高校へ通いだした翠葉。
小さいころから学校を休みがちだった翠葉は人と話すことが苦手。
自分の身体にコンプレックスを抱え、人に迷惑をかけることを恐れ、人の中に踏み込んでいくことができない。
そんな翠葉が、一歩一歩ゆっくりと歩きだす。
初めて心から信頼できる友達に出逢い、初めての恋をする――
(全15章の長編小説(挿絵あり)。恋愛風味は第三章から出てきます)
10万文字を1冊として、文庫本40冊ほどの長さです。
いじめ物語 美花学園
よう
青春
とあるセレブ学園でのいじめ物語。
未熟なところなどもあるかもしれませんが暖かい目で見てやってください。コメント待ってます。
登場人物
宮原ちさと
金沢ゆめ
神川ゆうすけ
金本さな
榊原あこ
愛森みう
美城れいか
篠崎めい
遠藤美咲
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる