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こんな恋、したくなかった

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「ギル、もう君の耳にも入っているかもしれないけれど……レイナ妃殿下とアルガーノン様が、離婚することになった」


 発した声は夜の空気に消えそうなほど細く、情けなく震えていた。

 ギルバートは知っていただろうか。知らなかったとしたら、どんな顔をするだろうか。喜ぶだろうか。悲しむだろうか。……私と別れると言うだろうか。言うだろう。だって私と付き合いだした理由がなくなってしまったのだから。彼の脚に取り縋って泣きわめく自分が頭に浮かんだ。
 
 だが。

「ああ、知っているよ」

 予想に反してギルバートから返って来たのはまるで世間話に対するような相槌だった。

「まぁレイナ妃殿下は野心家だから、もう次のお相手は決めているんじゃないか? そう言えば前に隣国の王子が狙っているとか聞いたな。きっとそちらと上手くやるだろう」
「ギ、ギル?」
「そんなことよりも今はルースの体だ。待っていてくれ、薬湯を持ってこさせよう」

 ベッドに座ったままの私の肩を押して寝かせた彼は、素早く扉の方へと向かおうとしてしまう。何でなんだ。私の体調なんかよりもずっと大事なことがあるだろう。

「待って、待ってくれ」
「どうした? 吐きそう?」

 ギルバートは慌てて声を上げた私のところへ駆け戻ってきてくれる。背中に手を回されそうになって、違うと首を横に振った。

「いや、ギルバート、君はレイナ妃殿下が離婚されるって聞いて、その……彼女に未練とかはないのかい?」
「レイナ妃殿下? あるはずないだろう」

 あっさりと言い切られた言葉にぽかんと口を開けてしまう。あるはずない。あるはずないのか。結婚を考えるほど真面目に付き合っていて、あれほど別れることになって憔悴していたはずなのに。5年という月日が彼を癒したのか。なんでそんなことを聞くのだと言いたげな彼の表情に、私はなにかが決定的におかしいと首を傾げた。

「それは、君の傷心は癒えたということ、かな」

 もともとギルバートは「失恋の痛手を癒すため」「気を紛らわすため」に私と付き合った。だからその傷口が癒えたのならば私と別れてまた別の恋を探しにいくのだと思っていた。それは彼もそのつもりのはずだ。私と付き合おうと言い出したあの夜のことを、私はまだ忘れずに克明に覚えている。

 なのにレイナ妃殿下をすっかり乗り越えた様子の彼。なぜだ。なにか、私は大事なことを見落としているのか。
 なんでだろうと彼をじっと見つめると、しばらく固まった彼は、急にわざとらしく胸を抑えてよろめいた。

「う、胸が……彼女のことを考えると胸が……!」
「ギルバート」

 芝居じみた彼の仕草に冷たく言葉をかける。すると胸に手を当てていたギルバートは、私から視線を逸らすと小さく謝罪の言葉を漏らした。

「………………すまないルース」
「どういうことだ? もうレイナ妃殿下のことは吹っ切れたのか?」
「もう、というか……その、本当にすまない。騙すつもりはなかった……わけじゃないな。騙すつもりだったし、実際に騙した」
「騙した?」
 
 どういうことなんだ。彼の言葉が理解できなくて重ねて聞くと、ギルバートはベッドに腰掛ける私を見上げるように床に跪いた。

「ルース、怒らないでと言うことはできないけど、言い訳をさせてほしい」

 そう呟いた彼が告げたことは、衝撃的だった。

 レイナ妃殿下は最初から王族との結婚を狙っていたこと。二人は恋仲ではなかったこと。彼女と付き合ったふりをしたのは、私を傷つけようと彼が画策してだったということ。そして……ギルバートが私を前から好きだったということ。

 すべてを聞き終わった後は混乱して頭がくらくらしてしまった。額を抑えつつ彼を見やると、床に膝をついたままどこか肩を落としていた。

「……ギルはレイナ妃殿下と付き合っていなかったということ?」
「ああ。俺にとってはルース以外は石ころみたいなものだからな。顔は良いとは思ったけどそれだけだな」

 私が声をかけると彼は当然のように頷いてみせる。

「嘘だろう……」

 本当なのか。すべてのことが信じられなくて思わず呟くと、ギルバートは再び頭を低く下げた。

「……本当にすまなかった。こうして説明すると俺がいかに馬鹿な男か思い知らされる。しかもルースが断らないのをいいことに、今までずっと君を縛り付けてきた。ごめん、ルース。本当に俺は矮小な人間なんだ。貴族学院で君を見つけてから、ずっと君に焦がれてきて……どうにかして君の特別になりたかった。たとえ心の傷でさえルースにつけたかったんだ。間違えた方法だというのは分かっていたけど、どうしても」

 言いながら彼は固く掌を握りしめる。その震える肩を見て、私は思わずベッドから降りて彼の傍に座り込んだ。
 
「待ってくれ。私の話も聞いてほしい」
「ルース?」

 なにから話そうか。私のほうがずっとギルバートのことを好きだったこと。彼を傷つけたいと思っていたこと。この5年間本当に幸せだったこと。色々なことが頭に浮かんでは消えていく。だけどどうしても伝えたい大事な一言だけが胸に残って、なんとかそれを吐き出した。

「愛してるよ、ギルバート」
「ルース、そんな嘘……」
「本当に愛してる」
「5年で俺に絆されてくれた? 片想いの相手よりも?」

 信じようとしないギルバートに首を振る。

「ギルバートがその相手だよ」
「そんな訳ないだろう」
「本当だよ。私は学院でギルに会って、そこで一生に一度の恋をしたんだ。卒業してからもずっと諦められなかった」

 ずっとずっとギルバートが好きだった。誰よりも愛していた。御伽噺から飛び出してきたような彼に憧れて、いつしかそれが恋心に変わっていた。学院を卒業しても続く彼との付き合いに少し期待して、それと同時に絶対に恋を叶えるのなんて無理だと心に蓋をした。彼に恋人ができたと知った時は絶望して……傷つけてしまいたいとも願った。そんなことを言葉を尽くして説明すると、目の前のギルバートの体がゆらりと揺れた。

「だったら俺は、ルースが俺のことを好きだってずっと気が付かなかったのか……!?」
「私もギルの気持ち、全く知らなかった」

 お互いに酷い空回りをしていたみたいだ。間抜けな表情でお互いを見つめ合って、そして少しして笑った。なんで最初から好きだと伝えなかったんだろう。でもそんな勇気なかった。お互いを失うかもしれないと思ったら、とてもその一歩を踏み出すことはできなかったのだ。

「ルース。酷いことしてごめん。本当にルースが好きで、愛していてどうしようもなかったんだ」
「私も謝らないと。私の心に気が付いてくれないギルを、少し恨んでいたんだ。言葉にしないと伝わらないのに」

 ギルバートに抱きしめられて、臆病だったのは彼だけじゃないと伝える。その言葉を聞いたギルバートにぎゅうぎゅうと強く抱えられて思わず笑ってしまう。彼はいつもそばにいてくれたのに、それを素直に受け入れられなかった自分が酷く滑稽だった。

「……ギルはこんな恋、したくなかったと思う? 遠回りして傷ついて、しかもお互いを傷つけようとして。まるで喜劇だ」

 この遠回りの恋愛は、なんでもそつなく熟してきた彼には時間の無駄だった思うだろうか。そんなつもりで聞いたら、体を離したギルバートに優しく見つめられた。

「思わないよ。一度も思ったことない」

 ルースと過ごした全ての時間が俺にとっては大事なものだから。そう呟いた彼に、甘く口づけられた。



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