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10. 戦士
しおりを挟む脚が重い。
体が、脚が、なによりも心が重い。
ギルドに寄って荷物を引き取らなければと分かっているのに、踏みしめる足が地面に沈んで行ってしまいそうだ。
こんな自分なんてこのまま土の中に引きずり込まれて戻ってこなければいいのに。
じわじわと心に悲しみが染み渡っていく。
ウォーレンが好きだった。
いつの間にか好きになっていた。
俺を守ってくれる優しいところも、俺のシーフとしての腕前を信じてくれたところも。
だけどこんなにあっさり捨てられるなんて。
なんで俺は役立たずなんだ。
もっと強ければ。
もっと腕が良ければ。
体が大きければ。
何度考えたって無駄だって分かってるのに頭の中でぐるぐるそんなことばかりが浮かぶ。
じわりと目に涙を浮かべていたら、暫く聞いていなかった、だけど聞き覚えのある声に呼び止められた。
「……こんなところで会うとはな、ロルド」
「え…………?」
誰だ。
こんなところに俺の知り合いなんていない筈、と顔を上げた先に立っていたのは。
……前のパーティーに居た戦士だった。
にやにやと薄気味悪い笑いを浮かべた男は、道の真ん中で立ち止まった俺を舐めるような視線を向けている。
旅の間中、俺を見下していた男。
嫌がる俺に圧し掛かって、俺にはそれしか価値がないと言い放った男。
顔を見るだけで吐き気がする。
俺が顔をしかめると、男はますます楽しそうに瞳を歪めて俺に腕を伸ばした。
「お前がここまで来れるなんて、相当良いパーティーに混ぜて貰ったのか?」
「……触るな」
ぱしりと腕を振り払うと、大げさに男は叩かれたところを擦る。
「おっと、怖ぇなぁ」
ねっとりと粘つくような視線。
無視して先へ進もうと、男を避けるように足を動かすが、通さないとばかりに大きく手を広げられて立ち止まる。
「待てよ。なぁロルド、お前みたいな弱っちいチビが、この短期間でここまで無傷で来れるわけないよな。見ろよ、俺だってお前をクビにした後、他のもっと強い奴と組んだがこのザマだ」
戦士がボロボロの防具を見せつけてくる。
たしかに、そこには今までに見たことのないような獣の爪痕が残されていた。
よく見ると男の顔や腕にもそこかしこに傷が散らばっている。
近道として使った山道は、それほどに厳しいものだったのだ。
だがそこを辿って来れたのは、俺の実力じゃない。
たしかに強いパーティーに入って大分腕が上がったと思うけど、まだまだ二流だろう。
俺をここまで連れて来てくれたのは……と、そこまで考えて、もう二度と会うことのないだろうハーフオークが脳裏に浮かび、首を振る。
「……俺と一緒にいた奴がやたら強かったんだよ」
「へー。でもなんの取りえもないお前が、一流のパーティーなんかに普通に入れるわけないよな」
一人で暗く落ち込んだ俺に、薄暗い、どこか侮蔑したような男の声が覆いかぶさってくる。
『普通に入れるわけがない』
どういう意味だろうかと考えるよりも前に、下卑た笑いを浮かべた男が言葉を重ねた。
「つまり、そういうことなんだろ? そこの男を誑かして入れてもらったんだろう?」
「は……なに、言って、」
「俺のことはあんなに嫌がったってのに、それは平等じゃないよなぁ?」
驚くほどの素早さで腕が伸びてきて、避けることも弾き飛ばすこともできずに二の腕を掴まれる。
「や、……っ、やめ、」
「何だよ、俺の相手は嫌だってのか? あんな落ち込んだ顔して歩いてたってことは、またクビになったんだろ?だったら今度は俺が使ってやるよ」
そのまま引き摺るように引っ張られて足がもつれた。
だが男は気にする風もなく速足で俺を路地裏へ連れ込もうとする。
ざり、と足元で砂がなる。
踏みとどまろうとしても戦士の腕力には敵わずに、俺はあっという間に薄暗い路地裏の汚い壁に押し付けられた。
「安心しろよ、また旅には連れてってやる。お前でも、肉の盾としては役に立つだろ」
「やめろ……! 俺は、お前とは行かない!」
俺を壁に押さえつける腕を振り払おうと、体を大きく揺さぶった。
次の瞬間、至近距離から男の拳が俺の腹にめりこんだ。
「……! っ、ぐ、……ぅ、っ、」
それほど力は込められていなかっただろうに、それでもしっかりとみぞおちを狙って叩きこまれた拳に体が曲がる。
鋭い痛みに呼吸が一瞬止まり、続いて呻き声と共に唾液が口から垂れた。
その場にうずくまりそうになる俺の前髪を掴んで、男が顔を上げさせる。
「あーあ、大人しくしておけば優しくしてやったのになぁ」
何が可笑しいのかせせら笑う男の息が頬に当たる。
「可愛く喘げば、今日の宿くらいは恵んでやるよ」
間近まで迫った脂下がった顔。
だが男は脅すように俺の頬を平手で軽く叩いた。
俺はただ体が硬直して、同時に心がどこか遠くへ飛んで行ってしまったようだった。
なんで俺はこんな目にばっかり遭うんだ。
一度は仲間になった男には殴られ、襲われて今にも犯されそうで。
生まれて初めて惚れた男とはもう会うこともできない。
なら、もうどうでもいい。
この町で再び仲間を探して、努力して役に立って……ということが途方もなく遠い彼方のような気がした。
体は疲れ果てていて心も凍って動けない。
こんな俺には故郷を作るなんて、夢のまた夢だったみたいだ。
俺にはそんなものは得られない。
きっと身の丈に合わない願いだったのだ。
叶わない願いだったらいっそここで潰してしまえ。
ならばこの男に犯されようがどうでもいいような気がして。
俺は全てを諦めて目を閉じた。
もうこれで、期待することは終わりにしよう。
誰かを、どこかを求めて旅することも終わりにしよう。
知らない町、嫌いな男のもとだけれどもうここでいい気がする。
苦しいものを飲みこんで、期待を手放そうと決めた、その瞬間。
「……ぐぁっ!」
「貴様、何していやがる……!」
派手な音を立てて、男の体が目の前から吹っ飛んだ。
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