幸か不幸か

のらねことすていぬ

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退助の場合 1

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 __ラッキースケベというものをご存じだろうか。それは悪気のない少年が偶然、本当にただ偶然に少しエッチな状況に陥ってしまうこと。たとえば道の角を曲がったら急に巨乳の美女にぶつかり胸に顔をうずめてしまったり、廊下を走ったらスレンダーな少女とぶつかりスカートに頭を突っ込んでしまったり。上から美少女の尻が降ってくるなんてこともある。
 それらは全て普通の少年なら喜ぶことだろう。たとえその後、少女らに叫ばれようとも多少叩かれることがあろうとも。
 そう。普通の少年なら。



「どう……? 誰かいる?」

 とっくに授業が終わって、人気(ひとけ)のない昇降口。下駄箱の陰にかくれた僕__加治野 退助(かじの たいすけ)は、そっと声をだした。

「……いや、誰もいないぞ。今ならいける」

 ひょこ、と学校の玄関から顔をだし辺りを伺った親友、秋伊 涼(あきい りょう)が同じようにひっそりと返事をする。その言葉を受けて、僕はようやく玄関口へと一歩踏み出した。

「ありがとう。涼くん、いつも迷惑かけてごめんね」
「気にしなくていいって。それより本当に気を付けて帰れよ」

 ふわりと涼くんが僕に微笑んでくれた。いつも優しい言葉を投げかけてくれる彼は、男の僕が見てもどきりとするくらいに綺麗な顔立ちをしている。色素の薄い髪に同じ色の瞳、白い肌。身長は僕よりもずっと高くて体つきもしっかりしているけど、どこか優美な雰囲気がある。子供のころよく誘拐されかけたって聞いたけど、きっと今でも気を抜いたら危ないと思う。
 普通なら、彼みたいな人こそ登下校を気を付けないといけない。なにしろ僕は平凡を絵にかいたような男だ。やや低い身長に平坦な顔立ち。黒髪は家族共有のシャンプーで洗っているからちょっとゴワゴワしてる。クラスに一人はいそうで、かついなくなっても分からないようなタイプ。だけど……僕はとにかく外を出歩く時は細心の注意を払わないといけない。

「じゃ、また明日ね」

 涼くんに手を振って正門を出る。慎重に慎重に。絶対に走らない。角を曲がるときは一度立ち止まる。特に今日はトラブルには巻き込まれたくない。だって今日は『彼』と待ち合わせているから……。
 そう思ってそろりそろりと足を進めていると、後ろから人の言い争うような声。何やら嫌な予感がする。走って逃げる?いやでもそれも危ないし……。そう思っている間に、その喧騒は僕の真後ろまで来てしまった。

「そこの人、どいてどいて!!! 危な~い!!!」

 アニメでしか聞いたことのないような甲高い声と、それからブレーキの音。あ、ヤバいと思った時には、僕の体は吹っ飛んでいた。

「ひぎぃ!」
「きゃぁああ!」

 僕の潰れたカエルのような叫び声と、女の子の悲鳴。体を襲う衝撃。痛い。痛いけど死ぬほどじゃない。そして体の上にあるこれは……柔らかい?
 なんだろうか。起き上がろうとすると僕の上に乗っかっているものが小さく呻く。確認したいのに、何か柔らかいものに塞がれて視界が悪い。その何かを押しのけようと手を突っ張りながら、恐る恐る辺りの様子を伺う。派手に転んだ自転車。辺りに散乱している鞄の中身。片方脱げた靴。そして甘い匂い。

「マズい……!」

 これはマズい。僕が今必死に押しのけようとしているのは、もしかして……。いや、もしかしなくても女の子だ。しかも、女の子の胸だ。

「ど、どいてください!」
「え? なに……?」

 自転車から転んだ衝撃でぼんやりしていたらしい女の子が、体の下の僕に気が付く。当然、おっぱいを押し返している僕の手も。

「~~~~っ!!!! きゃあぁああああ!!!」
「痛ぁ!!」

 べちん、という派手な音とともに、僕の頬っぺたがはたかれる。平手だけどひりひりする痛さだ。酷い。勝手に自転車で後ろから突っ込んできて僕の上に不時着して僕をクッション代わりにしたのに。あまりの理不尽さに涙がでそうになるけど、もはやこれは僕にとっては慣れたことだ。

 そう、僕はラッキースケベ体質だ。
 僕がそれに気が付いたのは、思春期を迎えて男女の差を理解し始めた頃だっただろうか。なぜか歩いているとよく女の子が僕の周りで転ぶ。そしてパンツが見える。最初は偶然だろうと思っていたけれど、少なくとも1日一回はなにかしらのハプニングに見舞われる。最初は少し嬉しかったけれど、今はもう全く嬉しくもなんともない。
 特に今は、嬉しくないどころか、どうしても回避したい理由があった。
 
「あ、あなた! なにしてるのよ!!!」
「ち、ちが、そっちが勝手に、いや、おねが、お願い! 静かに……!!!」

 急に胸を触られて混乱している女の子を宥めようとする。が、それよりも先に彼女の来た方から物騒な怒鳴り声が聞こえてきた。

「おい! いたぞ!」
「このアマ、なに逃げてんだ!」

 こちらに向かって走ってくるのは、明らかに不良と分かるガラの悪いヤンキーたち。どこかも分からない制服を着崩した男たちが瞳を吊り上げて怒声をあげている。

「あ、あなた! 助けて頂戴!! あの人たちに急に絡まれて……!」
「そんな無茶な……! 逃げよう!」

 どう見てもひょろひょろ貧弱もやしボーイの僕にそんな不良の相手ができるわけもない。慌てて立ち上がって彼女の腕を掴もうとすると、間違えてぽよんとした胸を掴んでしまった。

「あ、あなた……!!」
「違うんです! 今のは……!」

 本当に違うんだ。そんなつもりは欠片もなかったんです。ただこのラッキースケベ体質が……!言い訳をあわあわと並べるけれど、彼女の顔が怒りに真っ赤に染まっていく。僕たちがそんなことをしている間に、不良たちは僕たちに追いついてしまった。

「は……手間かけさせやがって」
「ほんとだよなぁ。ちょっと遊ぼうって言っただけなのに馬鹿にしやがって」

 古典的なほど悪党な台詞を一人が吐く。追従するようにあれこれ他の男も言いながら、僕らの周りをにやにやと仲間らしき男たちが取り囲んだ。
 彼女は急に絡まれたって言ったけど、どうやらナンパを躱されて逆上したみたいだった。
 相手は3人。怖い。めちゃくちゃ怖いけど、僕が殴られている間に彼女を逃がしてあげないと。

 そんなことを考えて、そっと彼女に目配せしようとすると……突如として強い力で後ろに引っ張られた。

「おい」
「うわぁ!」

 痛いほどの強い力で、首根っこを引っ張られた。よろめいて二、三歩後ろに下がると、今度はがっしりとした太い腕が首に絡まってくる。
 なんだ。急に、まさか後ろにも不良の仲間がいたんだろうか。必死で腕を外そうともがくけど、びくりともしない。どうしようどうしようと焦っていると、すっと耳元に唇が寄せられた。

「退助」

 ゾクリとする低い声。聞き覚えのあるその声に、僕の体は抵抗をぴたりとやめる。するといい子だと言わんばかりに、みっちりと筋肉のついた力強い腕がゆるむ。もう一方の手で頭をぽんぽんと撫でられた。これは間違いない……彼だ。これは彼だ。そろりと後ろを向くと、そこには僕よりも頭一つ分ほど大きな男が立っていた。
 短く刈られた金の髪、尖りすぎてる眉、派手なピアスは耳だけじゃなくて眉にまで空いている。高校生のはずなのに首元にちらりとタトゥーが覗く。顔立ちはとても整っているけれど、鋭すぎる目元と恐ろしい雰囲気にかき消されてしまっている。目の前の女の子を追いかけていた不良よりもずっとヤバそうな見た目の男が、僕を見下ろしていた。

「遅いと思ったら、……こんなところで何やってんだ、あァ?」
「しゅうや、くん」

 地獄から響いてくるような声が僕の脚をすくませる。口元は笑みの形を作っているし声音も優しそうだけれど瞳が笑っていない。

「なっ、なな……なにも、」
「へぇ」

 僕が首をぶるぶると横に振ると、つり上がった眉毛をさらに跳ね上げる。ぐ、と首に回された腕に力が入って、抱きこまれるような形になった。 

「女の胸、鷲掴みにするくらい、何でもねぇって?」
「そ、そこから見てたの?」
「退助ぇ、覚悟はできてるんだろうな」

 ぎりぎりと首に回った腕が絞められる。あまり苦しくないけどめちゃくちゃ重たい。あと彼の怒気が恐ろしくて僕は体を縮こまらせた。そのまま彼が僕を連れ去ろうとすると……当然だけれど、まるで忘れ去られていたかのように突っ立っていた不良が怒鳴った。

「おい、誰だよてめぇ!」
「あ、やめた方が、……」

 やめた方がいいと思いますよ。そう続けたかった僕の声は、最後までは紡げなかった。なぜなら片手で僕を拘束したまま、僕の後ろの彼が不良をぶん殴ったからだ。バキィ、というやばい音と共に、黒髪の男が吹っ飛んでいく。続いてその仲間たちも。突然のことに棒立ちになっている間に伸されてしまった。

「雑魚が。黙ってろ」

 片手一本で3人を吹き飛ばした大男は、不愉快さを露わにしながらそう吐き捨てた。

「か、格好いい……♡」

 ぴくぴくと小刻みに動く不良たちを見て、僕の隣の少女がそう呟いた。それはそうだろう。絶体絶命のピンチに颯爽とヒーローが現れたのだ。目だってハートになる。ヒーローというには、すこし柄が悪すぎると思うけど。

「ありがとうございます! あの、私……」

 先ほど僕を平手打ちにした時と打って変わって、可愛らしく瞳を潤ませた少女。彼女は一生懸命に背の高い彼を見上げて言葉を続けようとするが……。そんな少女の方をチラリとも見ない。華麗なまでのスルーだ。そして彼女を無視したまま、大男は僕の掌にがぶりと噛みついた。

「え! 痛っ! なんで!?」
「うるさい。行くぞ」

 本気で痛めつけようとしたわけじゃないとは思うけれど、チリリと手が痛む。なんでそんなことをするんだと抗議の声を上げるけれど、彼の額に浮かぶ青筋にそれ以上の言葉を重ねるのをやめた。

「退助……おまえ、分かってるんだろうなァ?」
「ひゃい……」

 僕の首に腕をまわしたまま彼が歩き出すから、必然的に僕は引きずられていく。そうだ。僕は彼との待ち合わせに遅刻して、しかも他の女の子といちゃついてしまっていたのだ。たとえそれが、不幸な僕の体質のためだとしても。

 僕はラッキースケベ体質だ。だけど今は、嬉しくないどころか、どうしても回避したい理由があった。それは……今は僕には彼氏がいるからだ。しかもとても強面の。


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