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エピローグ
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新宿三丁目にある、シティホテル。ホテルとしてのランクは中の下だ。
「どうしてここを選ぶかな──オマエは」
「もう一度さ。確かめたかったんだよね」
どこに行きたいかと問われて、勝司が指定したホテルの一室。部屋番号までを覚えている、その記憶力に高弘は驚いた。
初対面のとき、なかば取調べのようにして所持している睡眠薬を検分され──高弘がシャワーを使う、わずかな時間で深い眠りへと落ちたことを、勝司は思い出す。
部屋は、何も変わっていなかった。
勝司が確かめたかったものとは何だろうと高弘は、思いを馳せる。
「懐かしいな」
ベッドに大の字に身を投げ出して、勝司は満足そうに笑った。
「あのとき、オレさ。逃げちまおうかとも思ってたんだ──本当は」
高弘は頷いてみせた。その可能性は、想定していた記憶がある。
「医者か警察かわからなかったけど、関われば面倒なことになると思って。あのとき逃げてたらって考えると、凄く怖くなる」
だから嬉しいんだ、と勝司はいう。
「間違わなくてよかった。タカを信じて」
ひさしぶりに泥のように眠った、あの夜。高弘は何もせず、ただ一緒に居てくれた。
行き場を失くしていた。
職場でも居場所がなくて、あらゆる仕事は長続きしなかった。
当時、同居していた男がいた。相手は普通の恋愛を望んでいたのだろう。
だが勝司は気を許さず、裸さえ見せない。
だから口論の末に追い出された。
逃げ出した、といったほうが近いだろう。
もう無理だと思った。人が怖い。怖くて、一緒に居られない。
ひどい疎外感があった──まるで、世界中の誰もに拒絶されているかのようだった。
それでも、人を拒み続けているのは自分であるという事実──疲れ切っていた。
破綻はもう、すぐ目の前にあったのだ。
高弘は上着をハンガーにかけると、勝司のとなりに身を寄せた。
そうして、やさしく口づける。勝司はくすぐったそうに目を細めた。
「やっぱり、ここに来ておいてよかった。一年前とは何もかも、違って見えるんだ」
そうか、と呟いて高弘は勝司の耳を食む。こうして人に触れられていることが怖くない、ということがやけに感慨が深かった。
高弘は、多くを語らない。
勝司が余韻に浸るのを邪魔しないためか、頭部のあちこちに唇で触れるだけだった。
「タカは、何も変わらないよな」
「いや──俺も変わったさ」
他人に期待などしていなかった。
孤独という意味では、勝司のそれと大差はないのではないかと、高弘は思っている。
だけどいまは期待ばかりだった。
自身と、勝司の未来への。
「カツ。春になる前に、旅行にいこうか」
「オレはいいけど。休み、大丈夫なの?」
「未消化の季節休と有給がだいぶある。平気だろ」
誕生日プレゼントだ、と高弘は笑う。
「三泊四日──たまには贅沢しようか?」
「オレは、あったかいところがいいかな」
「ずいぶん曖昧だな……」
何しろ旅行など、初めてのことだった。
それを察知した高弘は顔を上げる。
「なら沖縄にしよう。離島にでも行って、キレイな海、見て。思う存分ノンビリだな!」
いいね、と勝司は笑う。
「四月からは、また忙しくなるからなー」
「ああ。お互いに、な」
高弘は、勝司の手を掴むと立ち上がって、身を起こさせた。そうして、抱きしめる。
「カツ──そろそろ風呂に行くぞ」
高弘の勃ち上がりを腰部に感じる。
了解、と勝司の返答は明快だった。
「ひとまず、ご褒美を用意してみた」
「うん。そんな気はしてたよ、タカ」
勝司は辟易したようでも、楽しそうだ。そして躊躇いもなく着衣を脱ぎ捨てる。
その無防備さが、構えのなさが眩しい。
高弘もまた裸になり浴室に姿を消した。
二人の影が重なり、口付ける音はやがて、シャワーの水の音に掻き消されていく。
この夜が二人にとっては、ひとつの終わりとなり、同時にひとつの始まりともなる。
それは旧い隷属の、終わり。
そして、永い自由の始まり。
「どうしてここを選ぶかな──オマエは」
「もう一度さ。確かめたかったんだよね」
どこに行きたいかと問われて、勝司が指定したホテルの一室。部屋番号までを覚えている、その記憶力に高弘は驚いた。
初対面のとき、なかば取調べのようにして所持している睡眠薬を検分され──高弘がシャワーを使う、わずかな時間で深い眠りへと落ちたことを、勝司は思い出す。
部屋は、何も変わっていなかった。
勝司が確かめたかったものとは何だろうと高弘は、思いを馳せる。
「懐かしいな」
ベッドに大の字に身を投げ出して、勝司は満足そうに笑った。
「あのとき、オレさ。逃げちまおうかとも思ってたんだ──本当は」
高弘は頷いてみせた。その可能性は、想定していた記憶がある。
「医者か警察かわからなかったけど、関われば面倒なことになると思って。あのとき逃げてたらって考えると、凄く怖くなる」
だから嬉しいんだ、と勝司はいう。
「間違わなくてよかった。タカを信じて」
ひさしぶりに泥のように眠った、あの夜。高弘は何もせず、ただ一緒に居てくれた。
行き場を失くしていた。
職場でも居場所がなくて、あらゆる仕事は長続きしなかった。
当時、同居していた男がいた。相手は普通の恋愛を望んでいたのだろう。
だが勝司は気を許さず、裸さえ見せない。
だから口論の末に追い出された。
逃げ出した、といったほうが近いだろう。
もう無理だと思った。人が怖い。怖くて、一緒に居られない。
ひどい疎外感があった──まるで、世界中の誰もに拒絶されているかのようだった。
それでも、人を拒み続けているのは自分であるという事実──疲れ切っていた。
破綻はもう、すぐ目の前にあったのだ。
高弘は上着をハンガーにかけると、勝司のとなりに身を寄せた。
そうして、やさしく口づける。勝司はくすぐったそうに目を細めた。
「やっぱり、ここに来ておいてよかった。一年前とは何もかも、違って見えるんだ」
そうか、と呟いて高弘は勝司の耳を食む。こうして人に触れられていることが怖くない、ということがやけに感慨が深かった。
高弘は、多くを語らない。
勝司が余韻に浸るのを邪魔しないためか、頭部のあちこちに唇で触れるだけだった。
「タカは、何も変わらないよな」
「いや──俺も変わったさ」
他人に期待などしていなかった。
孤独という意味では、勝司のそれと大差はないのではないかと、高弘は思っている。
だけどいまは期待ばかりだった。
自身と、勝司の未来への。
「カツ。春になる前に、旅行にいこうか」
「オレはいいけど。休み、大丈夫なの?」
「未消化の季節休と有給がだいぶある。平気だろ」
誕生日プレゼントだ、と高弘は笑う。
「三泊四日──たまには贅沢しようか?」
「オレは、あったかいところがいいかな」
「ずいぶん曖昧だな……」
何しろ旅行など、初めてのことだった。
それを察知した高弘は顔を上げる。
「なら沖縄にしよう。離島にでも行って、キレイな海、見て。思う存分ノンビリだな!」
いいね、と勝司は笑う。
「四月からは、また忙しくなるからなー」
「ああ。お互いに、な」
高弘は、勝司の手を掴むと立ち上がって、身を起こさせた。そうして、抱きしめる。
「カツ──そろそろ風呂に行くぞ」
高弘の勃ち上がりを腰部に感じる。
了解、と勝司の返答は明快だった。
「ひとまず、ご褒美を用意してみた」
「うん。そんな気はしてたよ、タカ」
勝司は辟易したようでも、楽しそうだ。そして躊躇いもなく着衣を脱ぎ捨てる。
その無防備さが、構えのなさが眩しい。
高弘もまた裸になり浴室に姿を消した。
二人の影が重なり、口付ける音はやがて、シャワーの水の音に掻き消されていく。
この夜が二人にとっては、ひとつの終わりとなり、同時にひとつの始まりともなる。
それは旧い隷属の、終わり。
そして、永い自由の始まり。
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