奴隷医の奴隷。

隠岐 旅雨

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「言葉遊び」

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 二月上旬。衛律医科大学、看護学部の入学試験まで、残りあと一週間だ。
 職場には入試翌日まで一週間、有給休暇を申請してある。師長は苦笑しつつも、了承してくれた。
「まあ人員のやりくりは、何とかするわ」
 だから頑張るようにとの口調は優しくて、プレッシャーになるものでもない。
「カツー。今日のうちに物品まとめて用意しといて。一週間分くらい大丈夫っしょ」
 代理の看護助手が一週間、五階病棟を担当してくれるが、物品の場所など細かい配置までは把握していないはずだから。
「了解っス!」
 スピッツやシャーレなどを集めに検査科へ向かうと、理学療法室から遼が出てきた。
「よう、カツ。今日でラストか?」
「おう。一週間は過去問地獄かな」
「うわ。おれ、もう試験はいいわ……」
 遼は勝司の耳元に、口を寄せた。
「受かったらさ、飲みに行こうぜ」
「受かる保証ないけどさ。いいよ」
「平気だろ。オマエ、マジメだし」
 そんなことはないと謙遜するが、傍目はためには誰が見ても模範的な受験生だっただろう。
「そんでさ、泌尿器科ウロの二橋先生も誘おうぜ」
「オマエってホント年上好きなー」
「キレイじゃんか。気ィ強そうだけど」
 わかった、と勝司は手を上げてみせる。
「たぶん三滝先生もくるよ、麻酔科の」
「うお、麻酔科の『女帝』陛下もかよ」
 美人という意味で、令子は院内でも屈指であるという点は、誰にも否定はできない。
 女帝と称される由来は、院長や部長さえも怖れる我の強さと、酒癖さけぐせの悪さにもあるのだが。
「なんか壮絶な集まりになりそうだな」
「ドMのオマエには好都合だろ、リョウ」
 ドMじゃねーわとさけぶ遼と勝司の会話に、リハビリ中の老婆が不思議そうな顔をして聞き耳を立てている。
「やべ。そろそろ戻るわ、おれ」
「うん。じゃあ、また来週な!」
「応援してっぞー!」
 リハビリテーション科に特有の体育会系的気質は、勝司にも馴染みやすかった。
 またひとつ、入試前の気負いが抜けていくようで、勝司は深く息を吸いこむ。

 それから入試の前日まで、勝司は過去問の三度目の制覇に挑むことにした。
 そして、単語帳にまとめた公式と英単語を何度も往復する──正順、逆順。
 高弘は病棟の様子を報告してくれた。看護主任ほかスタッフ一同、令子や美夏も応援してくれているらしい。
「ホレ、差し入れだ」
 渡されたのは、シュークリームだった。勝司は実は甘党である。
「さんきゅ。ちょうど疲れてたんだ」
 ソファーに腰かけ、箱を開ける勝司の前に高弘は、見慣れてしまった感のある封筒を突きつけた。
「郵便。最後の模試だな」
 勝司はシュークリームにかぶりつきながら何度も頷いている。
「ん。俺が開けてもいいのか?」
 勝司は笑ってみせた。どうやら自信があるらしい。
 ハサミで手早く封筒を開封すると、高弘は思わず目をみはった。

 数学、偏差値「71.0」
 英語、偏差値「66.8」
 国語、偏差値「64.5」
 総合。偏差値「67.5」

 A判定だ。それも余裕の。
「なんかこう、感きわまるものがあるな」
「見せてよ」
 模試の結果を掲げて見せる。
 勝司はすぐにガッツポーズをしてみせた。
「数学はかなり手ごたえあったんだよね」
「英語もだいぶ伸びてるな。看護学部ならどこの大学でも、入れるんじゃないか?」
「国立はムリだろ」
 確かに短期決戦だからこそ、私立の衛律医科大学に本命を絞ったわけだが。
 しかし衛律医科大学は私立大の看護学部、最難関のひとつである。
「俺に教えられることはもうないな」
「リスニングだけでも頼むよ、タカ」
 高弘は帰国子女である。小学校時代をロサンゼルスで過ごした。
「わかった、まかせとけ」
 模試の結果に、一喜一憂することもない。
 一年前からは想像もつかないほど磐石ばんじゃくだった。

 変化が、再生がここまで奔騰ほんとうなものになるとは想定してもいなかった。
 その一助となれた自分自身を誇りに思う。
 高弘は他人にここまで尽くしたことなど、これまでの人生でただの一度もなかった。
 ──奴隷、か。
 思えば笑ってしまう。大学病院に隷属れいぞくする高弘と、自身を奴隷と称する勝司と。
 最初から、これはただの「言葉遊び」にすぎなかった。
 思えば一年前、路上で拾ったあのときから運命は決まっていたのかもしれない。

 勝司は飛躍的に変化、成長を遂げた。もう死の影に怯えることもないだろう。
 もう一人でも生きていけるはずだ。だが、きっと約束を忘れはすまい。
『生きてる限り、ずっと一緒にいてやる』
 あのときの誓いは、いまや高弘にとっても唯一無二の、心の支えとなっていたから。
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