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プレゼント
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たまらなくクスリが欲しかった。
眠れない。睡眠不足での仕事はツラかった。
だが、高弘はまだ院内で闘っているはず。その思いだけが勝司の唯一の頼りだった。
背中の疵痕を初めて見たときの高弘の表情が、勝司には忘れられない。
同情や憐憫だけは欲しくなかった。
だけど高弘は本気で激怒していた。
それは理不尽に対しての怒り。
──そう、勝司には怒る権利があったはず。
高弘のその姿を目の前に、勝司はようやくそのことに思い至ったのだった。
十二月二十五日──年内最後の手術日だ。
この日の手術数は、もう残り少ない。そして高瀬の厳戒態勢は解除された。
意識は回復して、気管内挿管もたったいま令子の立会いのもと抜管された。
疲労の濃い顔で薄く笑ってみせた高弘を、ナースステーションは静かな拍手で迎えた。
勝司もまた、どこか誇らしい気持ちで拍手する。高弘はその肩に手を置くと、医局のある棟へと姿を消した。
おそらく、このまま仮眠をとるのだろう。
「さて。アタシらはあとひとふんばりだ」
看護主任は、太い腕を曲げてみせる。
そして勝司の胸を、どついてみせた。
「オラ、アンタも動くんだよ」
「ごふっ。了解ッス」
師長、武藤はその光景に満足そうだった。
例年になく慌しかった年の瀬も、なんとかこれで乗り切れそうだ。
そして勝司には受験シーズンが到来する。直前には一週間の有給休暇を許可してあった。
ぜひとも衛律医科大学に合格して欲しい。
看護は女社会とはいえ、ひたむきで素直な勝司のような看護師は貴重な財産となる。
それは建前で──この先も彼の未来を見守っていきたいというのが本音だった。
業務を終えて勝司が帰宅すると、しばらく見なかった革靴が玄関にある。
やや期待しながら「ただいま」というと、リビングにゆったりとくつろいでいた高弘が「おかえり」と気負いなく返した。
勝司は、高弘に背後から抱きついた。
「おう。ひさしぶりだな、少年。ひとりで泣いたりしてなかっただろうな」
「バッカ。泣くわけねーっての」
何度も泣きそうになったけどな、と内心で勝司はつぶやく。
「三週間──か。さすがに俺も初めてだ」
高弘は感慨深そうにカレンダーを眺めた。
「手術日にしては早かったんだ」
「ああ。部長が『今日はもう帰れ』ってな」
いまのおまえにオペは任せられないと言われたらしい。何だか今さらという感じだが。
「それにしても新発見だな。自分でも俺がこんなに忍耐強いとは、思わなかったぜ」
「どういう意味──?」
「ジョーだよ。何度ぶっとばしてやろうと思ったか、覚えてないし数え切れないな」
勝司は、声を上げて笑った。
「オレも。一度だけ、殴ったろうかと思った」
高弘もまた、声を上げて笑う。
「まあ、ヤツの天下もそう長くはない」
何しろこの俺がいるからな、と高弘は言い切った。
「あのさ、これ。クリスマスプレゼントなんだけど……」
勝司は寝室に姿を消し、ラッピングされた平たい箱を持ち出した。
「おまえはまた余計な出費を。といいたいところだが、ありがたく受け取っておく」
高弘は器用に包装を解いていくと、現れたアーガイルのマフラーに目を細めた。柄はモノトーンで、高弘のジャケットにもよく似合いそうだった。
「わるいな。俺の方は知っての通りの状況だったから、なにも用意はできていない」
勝司は、首を横に振る。
「わかってる。喜んでもらえたら嬉しい」
「なんていうか──健気だよな、オマエ」
誕生日は三月だったな、と高弘はいう。
「合格祝いにあわせ盛大に祝ってやろう」
「そうやってまた、プレッシャーを……」
「そういえば年内、最後の模試は──?」
「うん。なんか上の空だったけど。たぶん数学だけは、ちゃんとできてると思うよ」
そうか、と高弘は目を細める。
「だいたい数学で差がつくからな。まあ、これから直前までは英語も見てやるよ」
そうして高弘は、勝司に口づける。
「カツ。会いたかったぜ」
「そんなの、オレの方が」
この三週間が、どれほど長かったか。
「おかえり、タカ」
「ああ。ただいま」
ふたりはそうして長い時間、互いの感触を確かめあっていた。
眠れない。睡眠不足での仕事はツラかった。
だが、高弘はまだ院内で闘っているはず。その思いだけが勝司の唯一の頼りだった。
背中の疵痕を初めて見たときの高弘の表情が、勝司には忘れられない。
同情や憐憫だけは欲しくなかった。
だけど高弘は本気で激怒していた。
それは理不尽に対しての怒り。
──そう、勝司には怒る権利があったはず。
高弘のその姿を目の前に、勝司はようやくそのことに思い至ったのだった。
十二月二十五日──年内最後の手術日だ。
この日の手術数は、もう残り少ない。そして高瀬の厳戒態勢は解除された。
意識は回復して、気管内挿管もたったいま令子の立会いのもと抜管された。
疲労の濃い顔で薄く笑ってみせた高弘を、ナースステーションは静かな拍手で迎えた。
勝司もまた、どこか誇らしい気持ちで拍手する。高弘はその肩に手を置くと、医局のある棟へと姿を消した。
おそらく、このまま仮眠をとるのだろう。
「さて。アタシらはあとひとふんばりだ」
看護主任は、太い腕を曲げてみせる。
そして勝司の胸を、どついてみせた。
「オラ、アンタも動くんだよ」
「ごふっ。了解ッス」
師長、武藤はその光景に満足そうだった。
例年になく慌しかった年の瀬も、なんとかこれで乗り切れそうだ。
そして勝司には受験シーズンが到来する。直前には一週間の有給休暇を許可してあった。
ぜひとも衛律医科大学に合格して欲しい。
看護は女社会とはいえ、ひたむきで素直な勝司のような看護師は貴重な財産となる。
それは建前で──この先も彼の未来を見守っていきたいというのが本音だった。
業務を終えて勝司が帰宅すると、しばらく見なかった革靴が玄関にある。
やや期待しながら「ただいま」というと、リビングにゆったりとくつろいでいた高弘が「おかえり」と気負いなく返した。
勝司は、高弘に背後から抱きついた。
「おう。ひさしぶりだな、少年。ひとりで泣いたりしてなかっただろうな」
「バッカ。泣くわけねーっての」
何度も泣きそうになったけどな、と内心で勝司はつぶやく。
「三週間──か。さすがに俺も初めてだ」
高弘は感慨深そうにカレンダーを眺めた。
「手術日にしては早かったんだ」
「ああ。部長が『今日はもう帰れ』ってな」
いまのおまえにオペは任せられないと言われたらしい。何だか今さらという感じだが。
「それにしても新発見だな。自分でも俺がこんなに忍耐強いとは、思わなかったぜ」
「どういう意味──?」
「ジョーだよ。何度ぶっとばしてやろうと思ったか、覚えてないし数え切れないな」
勝司は、声を上げて笑った。
「オレも。一度だけ、殴ったろうかと思った」
高弘もまた、声を上げて笑う。
「まあ、ヤツの天下もそう長くはない」
何しろこの俺がいるからな、と高弘は言い切った。
「あのさ、これ。クリスマスプレゼントなんだけど……」
勝司は寝室に姿を消し、ラッピングされた平たい箱を持ち出した。
「おまえはまた余計な出費を。といいたいところだが、ありがたく受け取っておく」
高弘は器用に包装を解いていくと、現れたアーガイルのマフラーに目を細めた。柄はモノトーンで、高弘のジャケットにもよく似合いそうだった。
「わるいな。俺の方は知っての通りの状況だったから、なにも用意はできていない」
勝司は、首を横に振る。
「わかってる。喜んでもらえたら嬉しい」
「なんていうか──健気だよな、オマエ」
誕生日は三月だったな、と高弘はいう。
「合格祝いにあわせ盛大に祝ってやろう」
「そうやってまた、プレッシャーを……」
「そういえば年内、最後の模試は──?」
「うん。なんか上の空だったけど。たぶん数学だけは、ちゃんとできてると思うよ」
そうか、と高弘は目を細める。
「だいたい数学で差がつくからな。まあ、これから直前までは英語も見てやるよ」
そうして高弘は、勝司に口づける。
「カツ。会いたかったぜ」
「そんなの、オレの方が」
この三週間が、どれほど長かったか。
「おかえり、タカ」
「ああ。ただいま」
ふたりはそうして長い時間、互いの感触を確かめあっていた。
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