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「足下が不安定なまま何も見ないようにして、ただ結果だけを見て走ってたような気がします。そうしたら故障した。……あたりまえの結果でした」
闇雲に走る向晴を当時の誰も止められなかったことを、責められるとは俺にも思えなかった──だってそんな時、むしろ止めてしまったほうが危ういんじゃないか。
「先輩とか後輩の視線も、ずいぶん前に変わってたみたいっす。オレは最初のころ、いじりやすいキャラの主将だったらしいんですけど、もうそんなんじゃなくなってて、近寄りがたい印象の『選手』になってたって。だから故障したオレに、真っ先に近づいてきたのも『部のみんな』じゃなくって、スカウトとかマスコミのひとたちでした……」
それはきっと、向晴を思いのほか傷つけたに違いない。
「完全な悪循環だったんだと思います。スランプと、周囲に対する不信感とで。そんな状態で、全盛期のタイムは遠かったし、実際に無理でした。自分がそのペースで走れてたこと自体が信じられなくなって──走っててキツかった……」
ほんとうに痛切そうな表情で、俺も胸が苦しくて。
「大学からのスカウトは、それでもあったんです。そういうスランプを味わったことのある先輩からも言葉をかけてもらって、当時のオレにはそれがすごくやさしかった。その言葉に任せてしまいたくなることがたくさんあったし、監督とか仲間とか親とか、みんながオレの選択を尊重してくれてたみたいです……待っていてくれたというか」
そこで向晴は言葉を切ると、俺を正面から見つめた。決然とした、どこか悲愴にも見える目だった。
「それでも……舜さん。オレが最後に選んだのは結局、逃げることだったんです」
どこまでもまっすぐな向晴の目は何よりも雄弁で、俺は言葉を失ってしまう。
「スカウトは全部なかったことにしました。進学を理由にして主将も引退した。だけど受験勉強に走るわけでもなく、オレは指定校の推薦枠で、とある大学の内定をもらった。ちゃんとした陸上部があって、箱根駅伝にもたまに出場している大学です」
それだけが志望理由でした、とつぶやく向晴はうつむいて顔を見せない。
「すごい未練がましいっすよね……。ずっと黙って見てくれてた父親にまで最後は殴られましたよ。進路は支持する。だけどその態度は何なんだ、って」
自虐的に笑う向晴の姿は痛ましいが、それがとても哀しい。
「……親父さんは」
「親は警察官なんすけど、オレが活躍するのをただ喜んでくれてたんで……。ただ古臭い人間だから、オレの未練がましい行動が許せなかったんだと思います。それから、まともに口もきいてくれませんから」
それは違うんだろう、と俺は思った。親父さんはきっと後悔しているのだと思う。息子の真情を理解する前に手を上げてしまったことを。
「ああ、──すんません。オレ……」
誰に対してか、向晴は頭を下げる。
「こんなことまで話すつもりじゃなかったんですけど。本当は、オレ……」
下を向いて左手で頭を抱える向晴の肩を、俺は思いきって、雑に抱き寄せた。
「あのさ……大丈夫だよ。おまえはさ、なんかさ、誰に対しても気の使いすぎだ──だって、ちゃんと頑張ってきただろ?」
そうして後ろ髪を乱暴にかきまわす。身体は無抵抗なままだった。
「俺には陸上の知識なんてないんだし、おまえにとって別に頼りになる相手でもないだろうけどさ。でも、だからこそ何も気にせず俺には言っていいよ。今みたいにさ」
腕のなかにある、大きな肩がかすかに震えた。
「おまえはたぶん、自分に厳しすぎんだ。実はプライドも高い。たまには誰かに甘えればいいんだし、すくなくとも甘えられたところで誰も迷惑だとかは思わねーと思うぞ?」
「そう、思いますか……」
声が震えている。鼻をすするような音がする──やっぱりガキだなあ、と俺は安心した。安心したというのも、本当は正確な表現ではないんだろうけど。
「心配すんなよ」
表情は見えないが、俺はその耳元に、静かに伝える。
「すくなくとも俺は、おまえの選択が、結局は一番よかったんだっていうことになるんだって信じてるからさ」
向晴は一瞬だけ呼吸を止めて、それから両腕で俺を、抱くようにして縋ってくると──しばらく静かに、声を殺して泣いた。
闇雲に走る向晴を当時の誰も止められなかったことを、責められるとは俺にも思えなかった──だってそんな時、むしろ止めてしまったほうが危ういんじゃないか。
「先輩とか後輩の視線も、ずいぶん前に変わってたみたいっす。オレは最初のころ、いじりやすいキャラの主将だったらしいんですけど、もうそんなんじゃなくなってて、近寄りがたい印象の『選手』になってたって。だから故障したオレに、真っ先に近づいてきたのも『部のみんな』じゃなくって、スカウトとかマスコミのひとたちでした……」
それはきっと、向晴を思いのほか傷つけたに違いない。
「完全な悪循環だったんだと思います。スランプと、周囲に対する不信感とで。そんな状態で、全盛期のタイムは遠かったし、実際に無理でした。自分がそのペースで走れてたこと自体が信じられなくなって──走っててキツかった……」
ほんとうに痛切そうな表情で、俺も胸が苦しくて。
「大学からのスカウトは、それでもあったんです。そういうスランプを味わったことのある先輩からも言葉をかけてもらって、当時のオレにはそれがすごくやさしかった。その言葉に任せてしまいたくなることがたくさんあったし、監督とか仲間とか親とか、みんながオレの選択を尊重してくれてたみたいです……待っていてくれたというか」
そこで向晴は言葉を切ると、俺を正面から見つめた。決然とした、どこか悲愴にも見える目だった。
「それでも……舜さん。オレが最後に選んだのは結局、逃げることだったんです」
どこまでもまっすぐな向晴の目は何よりも雄弁で、俺は言葉を失ってしまう。
「スカウトは全部なかったことにしました。進学を理由にして主将も引退した。だけど受験勉強に走るわけでもなく、オレは指定校の推薦枠で、とある大学の内定をもらった。ちゃんとした陸上部があって、箱根駅伝にもたまに出場している大学です」
それだけが志望理由でした、とつぶやく向晴はうつむいて顔を見せない。
「すごい未練がましいっすよね……。ずっと黙って見てくれてた父親にまで最後は殴られましたよ。進路は支持する。だけどその態度は何なんだ、って」
自虐的に笑う向晴の姿は痛ましいが、それがとても哀しい。
「……親父さんは」
「親は警察官なんすけど、オレが活躍するのをただ喜んでくれてたんで……。ただ古臭い人間だから、オレの未練がましい行動が許せなかったんだと思います。それから、まともに口もきいてくれませんから」
それは違うんだろう、と俺は思った。親父さんはきっと後悔しているのだと思う。息子の真情を理解する前に手を上げてしまったことを。
「ああ、──すんません。オレ……」
誰に対してか、向晴は頭を下げる。
「こんなことまで話すつもりじゃなかったんですけど。本当は、オレ……」
下を向いて左手で頭を抱える向晴の肩を、俺は思いきって、雑に抱き寄せた。
「あのさ……大丈夫だよ。おまえはさ、なんかさ、誰に対しても気の使いすぎだ──だって、ちゃんと頑張ってきただろ?」
そうして後ろ髪を乱暴にかきまわす。身体は無抵抗なままだった。
「俺には陸上の知識なんてないんだし、おまえにとって別に頼りになる相手でもないだろうけどさ。でも、だからこそ何も気にせず俺には言っていいよ。今みたいにさ」
腕のなかにある、大きな肩がかすかに震えた。
「おまえはたぶん、自分に厳しすぎんだ。実はプライドも高い。たまには誰かに甘えればいいんだし、すくなくとも甘えられたところで誰も迷惑だとかは思わねーと思うぞ?」
「そう、思いますか……」
声が震えている。鼻をすするような音がする──やっぱりガキだなあ、と俺は安心した。安心したというのも、本当は正確な表現ではないんだろうけど。
「心配すんなよ」
表情は見えないが、俺はその耳元に、静かに伝える。
「すくなくとも俺は、おまえの選択が、結局は一番よかったんだっていうことになるんだって信じてるからさ」
向晴は一瞬だけ呼吸を止めて、それから両腕で俺を、抱くようにして縋ってくると──しばらく静かに、声を殺して泣いた。
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