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土曜日
PM 15:40
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ようやく到着した目的の電車の席に腰を落とすと、今度は勝手に閉じていこうとする瞼との戦いが始まった。これはもう、運命の皮肉とでも言うしかない。
月曜の朝、ひとり孤独に睡魔と戦う向晴の姿を笑っていた自分が憎かった。すでに拷問のようだが、いま意識を手離せばきっと、終点で駅員に叩き起こされるという未来が待っている。というか、何で俺はタクシーを降りてしまったんだろう。多少の出費は構わないから、そのまま池袋まで運んでもらえばよかったのに──バカだ、アホすぎる。
ターミナル駅で乗り換える。今度は、終点である池袋に向かう電車には、まったく空席がなかった。つり革に体重を預けて、眠気というよりも吐き気と戦う俺を、あからさまに不審そうに見る複数の視線が痛い。
時計を見ると、午後四時を回っていた。これほどまでに時間のプレッシャーを感じたのは、いつ以来だろう。入社試験の最終面接に遅れそうになったときだろうか──何だかつまらない人生を送っているなぁ、とは自分でも思うが。
次は終点、というアナウンスにも油断ならなかった。土曜日のこの時間の副都心の混雑は、半端ではない。
駅から目的地まで簡単に走れると思ったら大間違いである。もし全力で走りでもすれば、確実に誰かとぶつかることになるだろう。
案の定、ドアが開いてもまず、池袋駅から脱出することが困難だった。時計は四時二十分──念のため向晴にコールを入れてみるが、つながらない。
なんとか誰とも接触しないよう、最短の経路を走る。信号のタイミングがなかなかシビアだったが、ギリギリでクリアしていく。しかし目的地付近は歩行者天国で、もはや走行は不可能だった。
食いしばった歯に力を入れて、吐き気をこらえ、宙を睨みながら歩く。ガラの悪い男たちと目が合いそうになったが、結局どこにも焦点の合っていない俺と視線が衝突するはずもない。
すでに映画は終わった後のようだった。親子連れ、カップル、学生あたりが映画館から流れ出ていく。その映画館の正面入口が見えたころには、行列も途切れつつあった。俺は携帯を取り出した。
荒い息で肩を上下させながら携帯を耳にあてるサラリーマン。たぶん微妙に注目を浴びているのだろうが、極限の神経は聴覚のみに集中していた。
数秒が十数秒にも感じられるなか、ようやく聞こえたのは圏外のアナウンスだった。あまりの虚脱感に、通話を切ることもなく地面を、マンホールを見つめている。
すると、視界に暗褐色のブーツが見えた。
映画館から最後に出てきたのは、やけにゆっくり歩く男だった。その男は俺の正面あたりに立つと、ジーンズのポケットから手を出したようだ──ようやく、俺は視線を上げた。
別人のような雰囲気に戸惑ったが、向晴だった。服装は褪せた黒のPコートで、髪もワックスで仕上げてある。私服姿を見たのは初めてだったが、予想していた方向よりも野性味が強かった。
呆気にとられたような表情をしていた向晴は、俺の全身を見回したあとで携帯を後ろのポケットから取り出し、どうやら電源を入れたようだ。こうして無言でいられると、けっこう迫力のある男前だと思った。背も高く体格もいいし。
しかし憮然とした無表情のままで、沈黙が怖い──よく考えたら、俺は着信は入れたもののメールは一通も送っていない。失敗だった。
「ごめん。向晴」
するとようやく、視線が見て取れた。表情はないが、とりあえず怒っているわけでもないように見えた。
「いったい……どうしたんすか?」
「ごめん。悪いんだけど」
限界──、だった。
「まずトイレに行かせてくれ──ッ!」
背を向けて、すぐ正面にある大型ゲームセンターのトイレに直行する。今度は、同じような状況だった杉田を見捨ててきたことへの罰だろうか。因果応報としか言いようがない。
月曜の朝、ひとり孤独に睡魔と戦う向晴の姿を笑っていた自分が憎かった。すでに拷問のようだが、いま意識を手離せばきっと、終点で駅員に叩き起こされるという未来が待っている。というか、何で俺はタクシーを降りてしまったんだろう。多少の出費は構わないから、そのまま池袋まで運んでもらえばよかったのに──バカだ、アホすぎる。
ターミナル駅で乗り換える。今度は、終点である池袋に向かう電車には、まったく空席がなかった。つり革に体重を預けて、眠気というよりも吐き気と戦う俺を、あからさまに不審そうに見る複数の視線が痛い。
時計を見ると、午後四時を回っていた。これほどまでに時間のプレッシャーを感じたのは、いつ以来だろう。入社試験の最終面接に遅れそうになったときだろうか──何だかつまらない人生を送っているなぁ、とは自分でも思うが。
次は終点、というアナウンスにも油断ならなかった。土曜日のこの時間の副都心の混雑は、半端ではない。
駅から目的地まで簡単に走れると思ったら大間違いである。もし全力で走りでもすれば、確実に誰かとぶつかることになるだろう。
案の定、ドアが開いてもまず、池袋駅から脱出することが困難だった。時計は四時二十分──念のため向晴にコールを入れてみるが、つながらない。
なんとか誰とも接触しないよう、最短の経路を走る。信号のタイミングがなかなかシビアだったが、ギリギリでクリアしていく。しかし目的地付近は歩行者天国で、もはや走行は不可能だった。
食いしばった歯に力を入れて、吐き気をこらえ、宙を睨みながら歩く。ガラの悪い男たちと目が合いそうになったが、結局どこにも焦点の合っていない俺と視線が衝突するはずもない。
すでに映画は終わった後のようだった。親子連れ、カップル、学生あたりが映画館から流れ出ていく。その映画館の正面入口が見えたころには、行列も途切れつつあった。俺は携帯を取り出した。
荒い息で肩を上下させながら携帯を耳にあてるサラリーマン。たぶん微妙に注目を浴びているのだろうが、極限の神経は聴覚のみに集中していた。
数秒が十数秒にも感じられるなか、ようやく聞こえたのは圏外のアナウンスだった。あまりの虚脱感に、通話を切ることもなく地面を、マンホールを見つめている。
すると、視界に暗褐色のブーツが見えた。
映画館から最後に出てきたのは、やけにゆっくり歩く男だった。その男は俺の正面あたりに立つと、ジーンズのポケットから手を出したようだ──ようやく、俺は視線を上げた。
別人のような雰囲気に戸惑ったが、向晴だった。服装は褪せた黒のPコートで、髪もワックスで仕上げてある。私服姿を見たのは初めてだったが、予想していた方向よりも野性味が強かった。
呆気にとられたような表情をしていた向晴は、俺の全身を見回したあとで携帯を後ろのポケットから取り出し、どうやら電源を入れたようだ。こうして無言でいられると、けっこう迫力のある男前だと思った。背も高く体格もいいし。
しかし憮然とした無表情のままで、沈黙が怖い──よく考えたら、俺は着信は入れたもののメールは一通も送っていない。失敗だった。
「ごめん。向晴」
するとようやく、視線が見て取れた。表情はないが、とりあえず怒っているわけでもないように見えた。
「いったい……どうしたんすか?」
「ごめん。悪いんだけど」
限界──、だった。
「まずトイレに行かせてくれ──ッ!」
背を向けて、すぐ正面にある大型ゲームセンターのトイレに直行する。今度は、同じような状況だった杉田を見捨ててきたことへの罰だろうか。因果応報としか言いようがない。
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