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夕方の武道場、もうじき日も落ちる。
うちは人数のそもそも少ない柔道部だったが今日はオレ、滝川篤と五十嵐将矢だけでの稽古になっている。
なぜかというと三年生が引退した後である、というのがひとつ。
それから今年の一年がアホばっかりで、赤点を取りまくり補習地獄となっているからだった。ちなみにオレと同じ二年生でも補習を受けている連中がいる。
まぁ、普段から練習熱心で実力のあるヤツはともかくとして──たいして真剣に練習しているわけでもないのに学業も壊滅的、となるとさすがの新主将であるマサヤもかなりキレ気味で機嫌も悪かった。
「なあアツシ、おまえ試験前に勉強会やるとか言ってただろ。あれ、どうなったんだよ──?」
「ああ。なんていうかさ、オレも赤点は取らないけど普段からちゃんと勉強してるワケでもないからあんま教えられなかったんだわ。おまえが教えに来てくれりゃまだマシだっただろーが……」
「うちの場合、顧問もあんまアテになんねーからなぁ、ていうか自然な流れでおれのせいにすんな!」
ふたり並んでため息をついた。顧問は体育教師ということもあり、あまり教科の面倒を見れるわけでもない。
むしろ新主将であるマサヤは、授業中にも寝ないしちゃんとノートも取っている優等生だった。しかも県大会の軽中量級、個人戦で優勝という成績まで残している。
オレもいちおうはベスト8までは進んだけど、マサヤほど突出した実力はない──というか、マサヤに言わせるとオレは性格的に「格闘技向きじゃない」とか、ビビリだとかさんざんなことを言われていた。いちおう副キャプテンはオレなんだけどな。
「まぁ、いーよ。ちょっとトイレ休憩な。あとは寝技の乱取りで今日はラストにしようぜ」
マサヤは体育館裏に向かい歩きながら、黒帯をほどき道着をくつろげている。オレはさっきの模擬戦でさんざんに投げられて、まだ整わない息をなんとか落ち着かせようと、その場であぐらをかいた。
すると不意に、強烈な眠気に襲われて一瞬だけ意識が飛んだのを感じる。それを「一瞬」だったと判断したのは、時計の針が進んだようには見えなかったからなんだけど──オレの目の前には、見知らぬトレンチコートに帽子を目深に被った長身の男が立っていた。
畳の上に黒の革靴という時点で異様さを漂わせているが、コートも帽子もすべてがまるで艶のない黒い素材で不気味だった。表情も見えず、これは不審者だろうと脳内ではとっくに判断している。
ただ、声が出せない。立ち上がろうとしてもムダだった──身体が重い。
「失礼、突然すまないね。しばらく見ていたが──まるで『光と影』みたいだね、彼と君とは」
「ひかりと、かげ──?」
ようやく声が出せた。身体のほうはまだ動かせていないが。
「マサヤと言ったかな。意志が強く覇気もあり、おそらくこの先、その実力で世界まで進出していくんだろう。対して君のほうは、そもそも『そういう想像力すら』働かせない。副主将として彼の負担を軽減させることばかりを考えているんだろう、自身の実力の天井をすでに勝手に決めつけているんじゃないのかな」
「いえ、そういうんじゃないと思いますけど……」
「そうかな。そして君は心の底では『彼の上を行こうとは思えない』理由があるのだろう」
「なんのことですか」
男は低く笑う。あいかわらずその口許だけしか見えなかったけど。
「彼のことを愛しているのだろう、だけど恋人だとかそういう関係性の望みは捨ててしまった。それでも一度でいいから『犯されたい』のだと、そんな思いがあるのだね──?」
オレは即座に否定しようとした、だけど目の前の不審者は言葉をつなぐ。
「提案しよう。君に私の能力の『一部を貸し与える』──それは彼のことを好きなように、思うままに扱うチカラだ。ただそれはキッカケに過ぎないのだよ、君の能力に『蓋をしている要因』を取り払ってあげるというだけさ。代償としては、そうだな──君たちがこの先で高め合い求め合う、そこで溢れる活力の『ほんの一部』を私のものとさせていただこうか」
「あの、どういう話なんだかまるで。あんた、いったい誰なんですか……?」
「私のことは、そうだな『旧きもの』とでも呼んでくれ。そう、これから授けるチカラについてはべつに理解できなくてもいい。ただ少なくともこれは『君にとって』は悪い話ではないはずだよ」
一瞬だけど、道場内に砂嵐が吹き荒れたような錯覚があった。それと同時に男は消えていたし、畳の上に砂はおろか革靴の足跡など、すべての痕跡がない。まるでただの幻だったかのようで──、いや。実際にオレの見たものはすべて幻覚だったんだと考えるほうがよほど現実的で合理的だった。
そうして立ち上がると道着を正し、帯を手慣れた様子で締めながらマサヤが戻ってくる。
うちは人数のそもそも少ない柔道部だったが今日はオレ、滝川篤と五十嵐将矢だけでの稽古になっている。
なぜかというと三年生が引退した後である、というのがひとつ。
それから今年の一年がアホばっかりで、赤点を取りまくり補習地獄となっているからだった。ちなみにオレと同じ二年生でも補習を受けている連中がいる。
まぁ、普段から練習熱心で実力のあるヤツはともかくとして──たいして真剣に練習しているわけでもないのに学業も壊滅的、となるとさすがの新主将であるマサヤもかなりキレ気味で機嫌も悪かった。
「なあアツシ、おまえ試験前に勉強会やるとか言ってただろ。あれ、どうなったんだよ──?」
「ああ。なんていうかさ、オレも赤点は取らないけど普段からちゃんと勉強してるワケでもないからあんま教えられなかったんだわ。おまえが教えに来てくれりゃまだマシだっただろーが……」
「うちの場合、顧問もあんまアテになんねーからなぁ、ていうか自然な流れでおれのせいにすんな!」
ふたり並んでため息をついた。顧問は体育教師ということもあり、あまり教科の面倒を見れるわけでもない。
むしろ新主将であるマサヤは、授業中にも寝ないしちゃんとノートも取っている優等生だった。しかも県大会の軽中量級、個人戦で優勝という成績まで残している。
オレもいちおうはベスト8までは進んだけど、マサヤほど突出した実力はない──というか、マサヤに言わせるとオレは性格的に「格闘技向きじゃない」とか、ビビリだとかさんざんなことを言われていた。いちおう副キャプテンはオレなんだけどな。
「まぁ、いーよ。ちょっとトイレ休憩な。あとは寝技の乱取りで今日はラストにしようぜ」
マサヤは体育館裏に向かい歩きながら、黒帯をほどき道着をくつろげている。オレはさっきの模擬戦でさんざんに投げられて、まだ整わない息をなんとか落ち着かせようと、その場であぐらをかいた。
すると不意に、強烈な眠気に襲われて一瞬だけ意識が飛んだのを感じる。それを「一瞬」だったと判断したのは、時計の針が進んだようには見えなかったからなんだけど──オレの目の前には、見知らぬトレンチコートに帽子を目深に被った長身の男が立っていた。
畳の上に黒の革靴という時点で異様さを漂わせているが、コートも帽子もすべてがまるで艶のない黒い素材で不気味だった。表情も見えず、これは不審者だろうと脳内ではとっくに判断している。
ただ、声が出せない。立ち上がろうとしてもムダだった──身体が重い。
「失礼、突然すまないね。しばらく見ていたが──まるで『光と影』みたいだね、彼と君とは」
「ひかりと、かげ──?」
ようやく声が出せた。身体のほうはまだ動かせていないが。
「マサヤと言ったかな。意志が強く覇気もあり、おそらくこの先、その実力で世界まで進出していくんだろう。対して君のほうは、そもそも『そういう想像力すら』働かせない。副主将として彼の負担を軽減させることばかりを考えているんだろう、自身の実力の天井をすでに勝手に決めつけているんじゃないのかな」
「いえ、そういうんじゃないと思いますけど……」
「そうかな。そして君は心の底では『彼の上を行こうとは思えない』理由があるのだろう」
「なんのことですか」
男は低く笑う。あいかわらずその口許だけしか見えなかったけど。
「彼のことを愛しているのだろう、だけど恋人だとかそういう関係性の望みは捨ててしまった。それでも一度でいいから『犯されたい』のだと、そんな思いがあるのだね──?」
オレは即座に否定しようとした、だけど目の前の不審者は言葉をつなぐ。
「提案しよう。君に私の能力の『一部を貸し与える』──それは彼のことを好きなように、思うままに扱うチカラだ。ただそれはキッカケに過ぎないのだよ、君の能力に『蓋をしている要因』を取り払ってあげるというだけさ。代償としては、そうだな──君たちがこの先で高め合い求め合う、そこで溢れる活力の『ほんの一部』を私のものとさせていただこうか」
「あの、どういう話なんだかまるで。あんた、いったい誰なんですか……?」
「私のことは、そうだな『旧きもの』とでも呼んでくれ。そう、これから授けるチカラについてはべつに理解できなくてもいい。ただ少なくともこれは『君にとって』は悪い話ではないはずだよ」
一瞬だけど、道場内に砂嵐が吹き荒れたような錯覚があった。それと同時に男は消えていたし、畳の上に砂はおろか革靴の足跡など、すべての痕跡がない。まるでただの幻だったかのようで──、いや。実際にオレの見たものはすべて幻覚だったんだと考えるほうがよほど現実的で合理的だった。
そうして立ち上がると道着を正し、帯を手慣れた様子で締めながらマサヤが戻ってくる。
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