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そして冬も終わり、これからオレらは。
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「よーっす大智、受験も終わったぞ、合格だ──!」
3-Cの教室へと高いテンションそのままに乗り込んだオレを、その場に居合わせた生徒一同は目を丸くして注視していた。まあ最近、オレのテンションも低かったからかな。
「おお! 二次試験も、もう結果出たのかよ──?」
「ああ、一次試験の全教科満点って時点でもう結果なんて決まってたようなもんだったってさー」
「……やっぱおまえってどっか怖ぇよな、秋介。でも一応おまえ、国立のほうも受けてるんじゃなかったか──?」
「行く気がねーんだから続けるだけ時間のムダだな、ははッ」
周囲の、まだこれからが本番ってヤツらの怨念の込められた視線が向けられているようだったが、そんなんお構いなしだ。べつにおまえらと同じ大学、学部受けて勝負するわけでもねーからな、仮にそうだったとしても棄権、辞退するヤツが増えるほうが好都合なのは間違いねーんだからさ。まぁ許してくれってことで。
結局のところやっぱりオレは傲慢だった。そのへんは今後も変わらないんだろうか。
「まぁ……おめでとな、秋介」
「待たせちまったけど、ちゃんと結果は出したぜ──?」
「待ちはしたけどさ、信じてたからな。なんも心配してなかったし」
もう卒業も間近ってことで、オレらはあんまり会話にいちいち気を遣うこともなくなっていた。
実は付き合ってるんじゃないか、みたいなウワサもあったみたいだが、事実なんだしマジでどうでもいい。
「そんでさ。今日でも明日でも別の日でもいいんだけど。おまえ、オレん家に来てくんねえかな……」
「おぅ……なんかわかったぞ、綾子さんがいる日中に、って意味だろ?」
「うん。一応は学費は奨学金だとか、生活費はバイトだとかで考えてはいたんだけどさ、母さんがオレひとりの説得じゃ絶対に納得なんかしないからとか、めんどくせーこと言い出してんだよ……」
「まあ、ひとり暮らしならともかくおれとのルームシェア前提で話してんだろ、そんならそうなるわなぁ……」
「大学合格とかよりヘタすりゃかなりの難関だからさ、あのひと説得すんのはな」
「……ああ、わかった。綾子さんとの話ならおれのほうがうまくつけられるような気もすっからな、まかせとけ」
お互いの進路も確定的なものになり、オレらはもうただ突き進むだけだ。
まあ、それはそれで各方面には迷惑かもしんねーけど、卒業まであと残り1ヶ月。何とか許して欲しい。
リビングのテーブルを前に、オレと大智は並んで立ち尽くしている。
オレのオカン、綾子はなんか深々とイスに腰かけタバコをふかしては天井に向かい紫煙を吐いた。何というかこの人は、職業もお固い国立大学病院勤務の麻酔科医のはずなんだが、昔っからヤンキー気質なところがある。そして愛煙家だった。
「なぁ秋介。あんたさ、私立の医大に勝手に進路決めて出願した挙句にさ、学費は全額奨学金っていう名の『借金』で何とかするんだとか言ってたよなァ──?」
「ああ、進路を勝手に決めたのがオレなんだから、そのコストを何とかすんのもオレの役目だって……そうだろ?」
「ほざくな、ガキが舐めたこと言ってんじゃねーよ!」
マジでどこの元ヤンっつーかレディースっつーか。時代錯誤なんだよ、あんたのそれは……オレの実の母ながら。
「あたしも医者で、あの人も医者だろ。あんたみたいな捻くれモンが医術の道を継つぐなんてあんま思ってなかったのさ、昔はね」
「なんだよ、オレそんな反抗的だったこともべつになかったろ──?」
「あえて『弁護士』とか『政治家』とか、そういう道に進むんかもな、とは思ってたね」
「うぇ。オレ、政治とかマジ勘弁なんだけどな……」
「その割には生徒会執行委員とか立候補してたじゃない。しかもキッチリ勤め上げたわけでしょ?」
「それは……蒼生のヤツがさ、どうしてもって頼むからで」
「あんたはそうやって、周りに流されやすいとこもあるから……だから心配だったのよ」
母さん──綾子は、立ち尽くしたままの大智を見上げてようやく気づいたように言った。
「あ。ごめんなさい大智くん、そこのバカ息子のとなりの席に座ってもらってもいいかしら」
「あ、はい」
「……実はね、過去にうちのクソ旦那があなたたちの関係に余計な横槍いれてたこと、知ってたのよ本当は。ごめんなさいね」
それでもうちのバカ息子はなにも察する様子もなかったから、と綾子は続ける。
「あなたに対してはとんだ失礼だと思ってはいたんだけど、秋介が自分で気づかないとダメだと思ったのよ。あのときは」
「はい、おれもそう思いますよ──こいつはマジで何にも気づいてなかったみたいで、正直おれビビりましたもん」
「そうよねぇ……秋介、あんた勉強とかどうでもいいからまず人間としてもう少しマトモになりなさいよ──?」
なんとなく予想はしていたが、母親は大智とタッグを組んでオレをボコボコにする算段だったらしい。くそ。
「うっせーよ、その文句はあのクソ親父に言えよな……」
「ああ、それはもう済んでるわ。これ以上ないくらいメタクソに言ってやったから今後は大丈夫だと思うの」
「さすがです、綾子さん……」
「それで。べつに遠くもない都内の大学に通うのに、さらに大智くん巻き込んで同棲までするっていうんでしょ、あんたは──?」
「いや、同棲つーか、ルームシェア的な……そういうヤツで」
「言葉遊びは要らないのよバカ息子。あなたたちの関係性なんて、半年くらい前から気づいてたんだから」
それは、タイミングでいえばほぼ最初に大智が「セックスしよう」とかほざいてきたころに一致する。
「あんたの進学、進路がどうなろうと対応できるように、あたしら夫婦が学資保険に加入してたこととか、何も知らないわけ──? それを無視される親のキモチとか考えたこと、あんたにはあるのかな。ねえ?」
正直なところ知らなかった。なんか単純にうちはわりと裕福な家庭で、親の支援とかを甘んじて受けることこそがダセーと思ってたからな。
「べつに学費を奨学金で賄うっていう、あんたの強い意志があるんならそれを否定するつもりもない。だけど大智くん巻き込んでルームシェアとか、簡単に言うけどあんた同棲の苦労とかそういうの、ちゃんと考えて言ってるのか?」
「あ、いや。そこまでは──、どうだろ」
「あんたみたいに勉強とか課題だけに邁進してればいいわけじゃないのよ、彼は。国内でも随一のバスケ選手、若手ホープとして期待もされてるし、当然マスコミなんかも注目するし、食事とか普段の生活だって本当に大事なのよ──そこをあんたがサポートできるわけ? 実はたいして何も考えてなかったんでしょ?」
「う、ッく……」
さすがオレの母親だけある。何もかも筒抜け、っつーか見抜かれてんじゃねえか。
「どうしても同棲するっていうなら、大智くんの負担にならないような広い物件を選びなさい。あんたひとりじゃどうしようもないっていうんなら、近所に腕利きのスポーツドクターがいるような場所がいいわね。あたしの知り合いにも何人か紹介できる人がいるから、とにかく『彼』のことを第一に考えてあげなさいよ──そのくらいできないようじゃ、今回の件について、あたしはあなたたちに同意も賛成もできないから。それだけは言っておくからね、これが絶対条件」
さすがに現役の臨床医だ、大智のことをオレなんかよりよほどよく分かってやがる。
「それにかかる費用については、あんたたちバイトとか『ムリに入れて何とかしよう』と思ってたんでしょ──それも許せないんだわ。学費を自己負担で、その部分ではあたしたち親とのつながりを断ちたいとか考えてるんなら。せめて生活費とそのサポートに、あたしらが貯めてきたお金を使いなさい。つまづいて後悔するような、そんな結末なんて。あたしは絶対に許さないからね」
母さんのセリフは止まらなかった。大智は、うつむいてただ沈黙している。たしかにオレの考えは相当、甘かったんだと思う。
大学デビューして同棲して、それで何もかもうまく進むとでも思ってたのか──?
浮かれすぎてたんだな、きっと。
「悪かった、大智──ぜんぶ母さんの言う通りだと思うよ、オレも」
「え、秋介……?」
「そもそもオレの覚悟が足んなかったし、見通しもなにもかも甘かったな。親のヘルプを受けたとしても『最後には返せばいい』だけだ、ここはもうオレらにとって、っていうよりも『おまえにとって』一番いい環境を探そうぜ──?」
大智は、思いがけず驚いたような顔をしていた。それはそうだろう、これは門司家からの公式なサポート宣言でもあるわけだから。
「うん。そうしなさい、それが間違いないわ。秋介はなんだかんだいってリスクの少ない道を行ってる、けど大智くんは大変な道を進もうとしてるんだから。うちのバカ息子があなたの助けになるのなら、それ以上に幸せなこともないと思うしね」
「綾子さん……すんません」
「まあ──、そんなわけで。常識もないバカ息子だけど、あなたの助けになるようあたしもいろいろ助言してくようにするから。少なくともあなたの足を引っ張るようなマネしたらドツキ回してやるから、どうかよろしくお願いします──」
綾子はそういって頭を下げた。
それから少し時間をおいて、大智はうつむいたままでひとことだけ、ゆっくりと言葉を返した。
「こちらこそ、本当に──ありがとうございます。絶対に息子さんのことは幸せにしてみせますんで──!」
「ちょっと! あんたらにそういう覚悟はまだ早いのよ……だけど、ありがとうね」
なんだか置き去りにされた感のあるオレだったが、まぁ話の結論は出たっぽいんで黙っていた。
「──どうですかね? 新築ですし、一般物件に比べれば間取りも天井もかなり大きめの造りです。ほぼ完全防音だから音大生なんかにも人気の物件なんですよ」
1LDKの新築マンション、3階建ての3階の角部屋301号室。不動産屋の若手社員も、かなり自信を持った笑顔で内見させてくれている。
「実はですね、この部屋の内見予約はもう立て込んでまして。もしお気に召しましたらできるだけ早めにご連絡を……」
「ここでいーよな、大智」
「え。なんかめちゃくちゃ高そうだけどいいのか──?」
ぶっちゃけ不動産屋のおにーさんも、オレらを何となく不思議そうな目で見ているのを知っている。
そりゃそうだろ、つい最近まで高校生だったようなヤツらが野郎ふたりで新築マンションを物色してるわけだから。ちなみに家賃は16万円くらいだそうだ。オレらの大学の中間地点あたりといえば聞こえはいいが、駅からはわりと離れている。ただし、うちのオカンの古い知り合いだというスポーツドクターの医院が、わりと近くにあった。
「いいんだって、これに関しては出世払いって話だったろ──?」
「そうだな、まあネガティブに考えてもしょーがねーよな!」
こいつら何者だ、っていう不動産屋のひとの視線が痛い。
「ここにします。契約は今日すぐにでも」
「あ、はいありがとうございます。それではいったん店舗のほうに戻りますが、ご準備は──」
「連帯保証人なら、今日は休日なんで呼べばすぐに来てもらえますよ」
母、綾子のオフをあえて狙っていたわけで。そもそもこの物件に最初からほぼ決めていたオレは、近くにあるカフェにオカンを待機させていた。いや、待機していただいていた。
こうして部屋もあっさりと決まり。まあ「保証人」には、勝手に親父の名前あたりが使われているんだろう。
一連の手続きが済んだあと、綾子も参加する夕食の席には大智の祖母、明石逢花が姿を見せた。なんだかやたらと恐縮しきりだったが、この人ともオレや綾子は古い知り合いだ。
もともとはプロのバスケ選手を目指す、などという孫の発言が心臓に悪いとしきりに言っていたそうだが、祖母とはいえさすが大智の家系だけあって身長は170cm以上あり、年齢以上に若く見える。長崎に残った祖父は市議会議員で、矍鑠とした偉丈夫だった。つまり元来、明石の家系は全員大柄なのである。うちとは正反対だな。
しかし、男子2名のルームシェアとはいえ間取りが「1LDK」な点に特にツッコミもないあたり、肝が座っているというか何というか。まあ大智が一緒に暮らしてきた祖母なんだし、そういうものかもしれない。
食事も進むと大智の祖母も、本来の明るさを見せ始めて場にも笑い声が満ち始める──しかし、こういう息子の大事なときにも一度も帰国する気配すらないうちの親父はどうなんだろう。まあ、別にどうでもいいか。
季節は進む。マンションの部屋も、今は暮らすのに充分な状態で、次第に互いの私物なんかも増え始めている。リビングにはデカい本棚を設置し、大部分はオレの大学の教科書とか医学辞典みたいなスペースを取る書籍が詰まり始めていた。もちろん大智のスペースもあるが、さすがに医学部とは量が違う。とはいえ大智がスポーツ推薦で入った学部は「教育学部」なんで、べつに少ないってわけでもないと思うが。
まあ、こいつが本気で教職を目指しているわけではないと思うけど。なんか体育教師とかやたら似合いそうだよな、と妄想するとちょっとだけ興奮した──アホかオレは。
入学式は、偶然だが同じ日だった。
スーツにネクタイという、まぁ高校までは学ランだったこともあってすべて新調したわけなんだけど。あたりまえだが大智の体格ではオーダーメイドで作るしかない。そしてこういう恰好をすると、この身長差と体格差がよけいに強調されているようでいて腹も立つが、ダークグレーのスーツにネイビーのネクタイ姿を素直にかっこいいよなぁとも思った。
「じゃあな、こっから先は別の路線だったな」
「ああ。おまえは入学式の新入生総代だったよな、階段でコケたりすんなよ秋介」
「……おまえさ、なんでそういう不吉な予言みたいなこというわけ──?」
「いや、おまえってそういうヘンなとこでやらかすじゃん。いっつも」
「いつもじゃねーわ!」
地下鉄の出口を出ると、桜が舞っているのが目に心地良い。
いきなりの下ネタで恐縮だけど、オレと大智は毎晩、同じベッドで寝ていた。
相変わらずいろいろと試してはいるんだけど、あいつが最初に言った意味での「セックス」はまだ先の話だろうな。
まあ焦ることもないだろ、たぶん。オレらはまだ入学したばっかりだし、いつかあいつが本当にプロのバスケ選手になったり海外でプレイするようになったりする未来もあるかもしれないけど、まだまだ先の話だ。
とりあえず今は、これでいい。いつかはきっと何とかなるって!
3-Cの教室へと高いテンションそのままに乗り込んだオレを、その場に居合わせた生徒一同は目を丸くして注視していた。まあ最近、オレのテンションも低かったからかな。
「おお! 二次試験も、もう結果出たのかよ──?」
「ああ、一次試験の全教科満点って時点でもう結果なんて決まってたようなもんだったってさー」
「……やっぱおまえってどっか怖ぇよな、秋介。でも一応おまえ、国立のほうも受けてるんじゃなかったか──?」
「行く気がねーんだから続けるだけ時間のムダだな、ははッ」
周囲の、まだこれからが本番ってヤツらの怨念の込められた視線が向けられているようだったが、そんなんお構いなしだ。べつにおまえらと同じ大学、学部受けて勝負するわけでもねーからな、仮にそうだったとしても棄権、辞退するヤツが増えるほうが好都合なのは間違いねーんだからさ。まぁ許してくれってことで。
結局のところやっぱりオレは傲慢だった。そのへんは今後も変わらないんだろうか。
「まぁ……おめでとな、秋介」
「待たせちまったけど、ちゃんと結果は出したぜ──?」
「待ちはしたけどさ、信じてたからな。なんも心配してなかったし」
もう卒業も間近ってことで、オレらはあんまり会話にいちいち気を遣うこともなくなっていた。
実は付き合ってるんじゃないか、みたいなウワサもあったみたいだが、事実なんだしマジでどうでもいい。
「そんでさ。今日でも明日でも別の日でもいいんだけど。おまえ、オレん家に来てくんねえかな……」
「おぅ……なんかわかったぞ、綾子さんがいる日中に、って意味だろ?」
「うん。一応は学費は奨学金だとか、生活費はバイトだとかで考えてはいたんだけどさ、母さんがオレひとりの説得じゃ絶対に納得なんかしないからとか、めんどくせーこと言い出してんだよ……」
「まあ、ひとり暮らしならともかくおれとのルームシェア前提で話してんだろ、そんならそうなるわなぁ……」
「大学合格とかよりヘタすりゃかなりの難関だからさ、あのひと説得すんのはな」
「……ああ、わかった。綾子さんとの話ならおれのほうがうまくつけられるような気もすっからな、まかせとけ」
お互いの進路も確定的なものになり、オレらはもうただ突き進むだけだ。
まあ、それはそれで各方面には迷惑かもしんねーけど、卒業まであと残り1ヶ月。何とか許して欲しい。
リビングのテーブルを前に、オレと大智は並んで立ち尽くしている。
オレのオカン、綾子はなんか深々とイスに腰かけタバコをふかしては天井に向かい紫煙を吐いた。何というかこの人は、職業もお固い国立大学病院勤務の麻酔科医のはずなんだが、昔っからヤンキー気質なところがある。そして愛煙家だった。
「なぁ秋介。あんたさ、私立の医大に勝手に進路決めて出願した挙句にさ、学費は全額奨学金っていう名の『借金』で何とかするんだとか言ってたよなァ──?」
「ああ、進路を勝手に決めたのがオレなんだから、そのコストを何とかすんのもオレの役目だって……そうだろ?」
「ほざくな、ガキが舐めたこと言ってんじゃねーよ!」
マジでどこの元ヤンっつーかレディースっつーか。時代錯誤なんだよ、あんたのそれは……オレの実の母ながら。
「あたしも医者で、あの人も医者だろ。あんたみたいな捻くれモンが医術の道を継つぐなんてあんま思ってなかったのさ、昔はね」
「なんだよ、オレそんな反抗的だったこともべつになかったろ──?」
「あえて『弁護士』とか『政治家』とか、そういう道に進むんかもな、とは思ってたね」
「うぇ。オレ、政治とかマジ勘弁なんだけどな……」
「その割には生徒会執行委員とか立候補してたじゃない。しかもキッチリ勤め上げたわけでしょ?」
「それは……蒼生のヤツがさ、どうしてもって頼むからで」
「あんたはそうやって、周りに流されやすいとこもあるから……だから心配だったのよ」
母さん──綾子は、立ち尽くしたままの大智を見上げてようやく気づいたように言った。
「あ。ごめんなさい大智くん、そこのバカ息子のとなりの席に座ってもらってもいいかしら」
「あ、はい」
「……実はね、過去にうちのクソ旦那があなたたちの関係に余計な横槍いれてたこと、知ってたのよ本当は。ごめんなさいね」
それでもうちのバカ息子はなにも察する様子もなかったから、と綾子は続ける。
「あなたに対してはとんだ失礼だと思ってはいたんだけど、秋介が自分で気づかないとダメだと思ったのよ。あのときは」
「はい、おれもそう思いますよ──こいつはマジで何にも気づいてなかったみたいで、正直おれビビりましたもん」
「そうよねぇ……秋介、あんた勉強とかどうでもいいからまず人間としてもう少しマトモになりなさいよ──?」
なんとなく予想はしていたが、母親は大智とタッグを組んでオレをボコボコにする算段だったらしい。くそ。
「うっせーよ、その文句はあのクソ親父に言えよな……」
「ああ、それはもう済んでるわ。これ以上ないくらいメタクソに言ってやったから今後は大丈夫だと思うの」
「さすがです、綾子さん……」
「それで。べつに遠くもない都内の大学に通うのに、さらに大智くん巻き込んで同棲までするっていうんでしょ、あんたは──?」
「いや、同棲つーか、ルームシェア的な……そういうヤツで」
「言葉遊びは要らないのよバカ息子。あなたたちの関係性なんて、半年くらい前から気づいてたんだから」
それは、タイミングでいえばほぼ最初に大智が「セックスしよう」とかほざいてきたころに一致する。
「あんたの進学、進路がどうなろうと対応できるように、あたしら夫婦が学資保険に加入してたこととか、何も知らないわけ──? それを無視される親のキモチとか考えたこと、あんたにはあるのかな。ねえ?」
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「べつに学費を奨学金で賄うっていう、あんたの強い意志があるんならそれを否定するつもりもない。だけど大智くん巻き込んでルームシェアとか、簡単に言うけどあんた同棲の苦労とかそういうの、ちゃんと考えて言ってるのか?」
「あ、いや。そこまでは──、どうだろ」
「あんたみたいに勉強とか課題だけに邁進してればいいわけじゃないのよ、彼は。国内でも随一のバスケ選手、若手ホープとして期待もされてるし、当然マスコミなんかも注目するし、食事とか普段の生活だって本当に大事なのよ──そこをあんたがサポートできるわけ? 実はたいして何も考えてなかったんでしょ?」
「う、ッく……」
さすがオレの母親だけある。何もかも筒抜け、っつーか見抜かれてんじゃねえか。
「どうしても同棲するっていうなら、大智くんの負担にならないような広い物件を選びなさい。あんたひとりじゃどうしようもないっていうんなら、近所に腕利きのスポーツドクターがいるような場所がいいわね。あたしの知り合いにも何人か紹介できる人がいるから、とにかく『彼』のことを第一に考えてあげなさいよ──そのくらいできないようじゃ、今回の件について、あたしはあなたたちに同意も賛成もできないから。それだけは言っておくからね、これが絶対条件」
さすがに現役の臨床医だ、大智のことをオレなんかよりよほどよく分かってやがる。
「それにかかる費用については、あんたたちバイトとか『ムリに入れて何とかしよう』と思ってたんでしょ──それも許せないんだわ。学費を自己負担で、その部分ではあたしたち親とのつながりを断ちたいとか考えてるんなら。せめて生活費とそのサポートに、あたしらが貯めてきたお金を使いなさい。つまづいて後悔するような、そんな結末なんて。あたしは絶対に許さないからね」
母さんのセリフは止まらなかった。大智は、うつむいてただ沈黙している。たしかにオレの考えは相当、甘かったんだと思う。
大学デビューして同棲して、それで何もかもうまく進むとでも思ってたのか──?
浮かれすぎてたんだな、きっと。
「悪かった、大智──ぜんぶ母さんの言う通りだと思うよ、オレも」
「え、秋介……?」
「そもそもオレの覚悟が足んなかったし、見通しもなにもかも甘かったな。親のヘルプを受けたとしても『最後には返せばいい』だけだ、ここはもうオレらにとって、っていうよりも『おまえにとって』一番いい環境を探そうぜ──?」
大智は、思いがけず驚いたような顔をしていた。それはそうだろう、これは門司家からの公式なサポート宣言でもあるわけだから。
「うん。そうしなさい、それが間違いないわ。秋介はなんだかんだいってリスクの少ない道を行ってる、けど大智くんは大変な道を進もうとしてるんだから。うちのバカ息子があなたの助けになるのなら、それ以上に幸せなこともないと思うしね」
「綾子さん……すんません」
「まあ──、そんなわけで。常識もないバカ息子だけど、あなたの助けになるようあたしもいろいろ助言してくようにするから。少なくともあなたの足を引っ張るようなマネしたらドツキ回してやるから、どうかよろしくお願いします──」
綾子はそういって頭を下げた。
それから少し時間をおいて、大智はうつむいたままでひとことだけ、ゆっくりと言葉を返した。
「こちらこそ、本当に──ありがとうございます。絶対に息子さんのことは幸せにしてみせますんで──!」
「ちょっと! あんたらにそういう覚悟はまだ早いのよ……だけど、ありがとうね」
なんだか置き去りにされた感のあるオレだったが、まぁ話の結論は出たっぽいんで黙っていた。
「──どうですかね? 新築ですし、一般物件に比べれば間取りも天井もかなり大きめの造りです。ほぼ完全防音だから音大生なんかにも人気の物件なんですよ」
1LDKの新築マンション、3階建ての3階の角部屋301号室。不動産屋の若手社員も、かなり自信を持った笑顔で内見させてくれている。
「実はですね、この部屋の内見予約はもう立て込んでまして。もしお気に召しましたらできるだけ早めにご連絡を……」
「ここでいーよな、大智」
「え。なんかめちゃくちゃ高そうだけどいいのか──?」
ぶっちゃけ不動産屋のおにーさんも、オレらを何となく不思議そうな目で見ているのを知っている。
そりゃそうだろ、つい最近まで高校生だったようなヤツらが野郎ふたりで新築マンションを物色してるわけだから。ちなみに家賃は16万円くらいだそうだ。オレらの大学の中間地点あたりといえば聞こえはいいが、駅からはわりと離れている。ただし、うちのオカンの古い知り合いだというスポーツドクターの医院が、わりと近くにあった。
「いいんだって、これに関しては出世払いって話だったろ──?」
「そうだな、まあネガティブに考えてもしょーがねーよな!」
こいつら何者だ、っていう不動産屋のひとの視線が痛い。
「ここにします。契約は今日すぐにでも」
「あ、はいありがとうございます。それではいったん店舗のほうに戻りますが、ご準備は──」
「連帯保証人なら、今日は休日なんで呼べばすぐに来てもらえますよ」
母、綾子のオフをあえて狙っていたわけで。そもそもこの物件に最初からほぼ決めていたオレは、近くにあるカフェにオカンを待機させていた。いや、待機していただいていた。
こうして部屋もあっさりと決まり。まあ「保証人」には、勝手に親父の名前あたりが使われているんだろう。
一連の手続きが済んだあと、綾子も参加する夕食の席には大智の祖母、明石逢花が姿を見せた。なんだかやたらと恐縮しきりだったが、この人ともオレや綾子は古い知り合いだ。
もともとはプロのバスケ選手を目指す、などという孫の発言が心臓に悪いとしきりに言っていたそうだが、祖母とはいえさすが大智の家系だけあって身長は170cm以上あり、年齢以上に若く見える。長崎に残った祖父は市議会議員で、矍鑠とした偉丈夫だった。つまり元来、明石の家系は全員大柄なのである。うちとは正反対だな。
しかし、男子2名のルームシェアとはいえ間取りが「1LDK」な点に特にツッコミもないあたり、肝が座っているというか何というか。まあ大智が一緒に暮らしてきた祖母なんだし、そういうものかもしれない。
食事も進むと大智の祖母も、本来の明るさを見せ始めて場にも笑い声が満ち始める──しかし、こういう息子の大事なときにも一度も帰国する気配すらないうちの親父はどうなんだろう。まあ、別にどうでもいいか。
季節は進む。マンションの部屋も、今は暮らすのに充分な状態で、次第に互いの私物なんかも増え始めている。リビングにはデカい本棚を設置し、大部分はオレの大学の教科書とか医学辞典みたいなスペースを取る書籍が詰まり始めていた。もちろん大智のスペースもあるが、さすがに医学部とは量が違う。とはいえ大智がスポーツ推薦で入った学部は「教育学部」なんで、べつに少ないってわけでもないと思うが。
まあ、こいつが本気で教職を目指しているわけではないと思うけど。なんか体育教師とかやたら似合いそうだよな、と妄想するとちょっとだけ興奮した──アホかオレは。
入学式は、偶然だが同じ日だった。
スーツにネクタイという、まぁ高校までは学ランだったこともあってすべて新調したわけなんだけど。あたりまえだが大智の体格ではオーダーメイドで作るしかない。そしてこういう恰好をすると、この身長差と体格差がよけいに強調されているようでいて腹も立つが、ダークグレーのスーツにネイビーのネクタイ姿を素直にかっこいいよなぁとも思った。
「じゃあな、こっから先は別の路線だったな」
「ああ。おまえは入学式の新入生総代だったよな、階段でコケたりすんなよ秋介」
「……おまえさ、なんでそういう不吉な予言みたいなこというわけ──?」
「いや、おまえってそういうヘンなとこでやらかすじゃん。いっつも」
「いつもじゃねーわ!」
地下鉄の出口を出ると、桜が舞っているのが目に心地良い。
いきなりの下ネタで恐縮だけど、オレと大智は毎晩、同じベッドで寝ていた。
相変わらずいろいろと試してはいるんだけど、あいつが最初に言った意味での「セックス」はまだ先の話だろうな。
まあ焦ることもないだろ、たぶん。オレらはまだ入学したばっかりだし、いつかあいつが本当にプロのバスケ選手になったり海外でプレイするようになったりする未来もあるかもしれないけど、まだまだ先の話だ。
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