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ふたりの、これから
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「よー、凱」
昼休み。臨や航といっしょに屋上へ向かったように見せかけて蒼が教室へ戻ると、英単語帳を片手にサンドイッチを頬張る凱の姿があった。ただし、食べているのはヤバいと噂の例の購買パンではなく、親の手作りのものらしい。
「さいきん屋上に来ないよな、おまえ。そこまで余裕ないんか?」
「……そりゃねーよ、あるわけないだろ。対策は最近はじめたばっかなんだし、もうすぐ模試だし、志望校の難易度も高い」
凱は視線を上げようとせず、蒼はそれが気に入らない。
「まぁ、それはそっか。ひさしぶりにキャッチボールでもつきあってもらおうと思ったんだけどなぁ」
「今のおまえに、気晴らしのキャッチボールなんて必要あるのか? 現役世代の練習に顔だしてやったほうが、あいつらも喜ぶんじゃないのか──?」
「そういうこと言うかね。たまにはつきあってくれてもいいだろ?」
沈黙──凱は、やはり蒼を見ようとしなかった。
「まあいいや。帰り道くらいはつきあえよ、塾まで少しくらいは時間あんだろ」
「わかった。じゃあ帰りに……、な」
凱の態度に不満がある蒼ではあるが、蒼自身のアプローチもうまくない。凱に距離を置かれる状況というものが、そもそもこれまでになかったからだった。幼いころから凱は柔軟で冷静なほうで、蒼は気分屋ではあるが面倒なことはすぐに忘れられる性格だった。
微妙な距離感というものに、蒼がまず慣れていない。
いつもの帰り道となる河川敷、日の暮れていくまでの時間はすこしずつ短くなっている。
河原のすぐそばで野球をする小学生の姿が微笑ほほえましかった。カラーボールにカラーバットで、空振りも多いし、まず当たってもあまり飛ばない。それでもひどく楽しそうで、こういう思い出は蒼の記憶深くにもある。
おおむねあのころの少年たちにとっては打者のほうが人気があり、投手はまっすぐ投げられるヤツの持ち回り。残念ながら捕手はあまり人気のあるポジションではなかった。守備もなにもなく、ただ飛距離でヒットだホームランだと騒いでいたころの思い出。
ただし今の凱には、それすらも目に入っていない様子だった。ただ黙って自転車を押し、視線は道へと落ちている。いくらなんでもこのままではマズいと思い、蒼も話題を考えていた。
「おまえさ、気分転換とかどうしてんの──?」
ヘタクソな愛想笑いで蒼が言う。もちろん蒼には悪気など1ミリもないのだが、勉強に行き詰まったときに蒼をズリネタにした経験という後ろめたさのある凱にとっては、さらに気を落ち込ませた。
「……そういうおまえは、どうなんだよ蒼」
「おれか? そーだな野球選手育成ゲームとかな、パワプロみてえな。今やると懐かしいけど、やっぱおもしれーわ」
「そうか……」
暗い、はてしなく暗い──さすがの蒼もやや引き気味である。
「おまえさ、どこの大学が本命なの? やっぱ優勝回数の多い大学なんか?」
「ああ。早稲田が本命になるかな、偏差値的には法政のほうが目指しやすいけど」
「そうか。うん、おまえなら大丈夫だよ、おれなんかよりずっと頭いいし」
言いながら、ああ、おれいま地雷ふんだな──、と蒼は自身でも思っていた。
「あんまり、気楽に言うなよな。蒼……」
浪人が許されるほどうちは裕福じゃねーんだ、と凱は言う。
「臨みたいに、やんなくても成績がいいってわけでもない、オレは現役んときからある程度は勉強してたんだからさ。伸びしろはたぶんそんなにねーよ……」
「そうか? おれにはそうは見えないけどな」
そこでようやく凱は蒼を見たが、その視線には呆れ、あるいは諦めのような色があって蒼を動揺させた。
「蒼。もういいよ、あんまりオレに構うな。おまえにとっても大事な時期なんだろ──?」
それはそうなのだが、逆光になったその暗い表情には不吉な予感すら漂っている。
「でも、なんかヘンだよ。やっぱり今のおまえはさ」
蒼はなんとなく思い出していた。これと逆の立場だったときが、自分たちにはなかったか。
そう、中学リトルシニアの大会、準決勝だっただろうか。まだまだ制球力もなければ度胸もない蒼が、マウンドに立つのすら怖くなったとき。チームメイトや監督、そして凱にどう声をかけられても心は落ち着かず。焦れば焦るほどボールは思うようには投げられず。凱の言葉も届かない。
今はそれと似たシチュエーションなのかもしれない、と蒼は勝手に理解した。『マウンドに立つ凱』に、まるで立場の違う、今の蒼の言葉では届いていない。
そういえば、あのとき確かに蒼はこう思ってた。
おまえに何がわかるんだよ、──と。
だけどそれから、すぐに蒼は立ち直った。結局は言葉じゃなかった。いきなりの凱の行動と、それによる痛みと──それから、その一連の行動のバカらしさ加減に、緊張なんてどこかに行ってしまったのだ。
「……なあ、凱」
蒼は真正面から凱を見上げると、そこに立つ。
意図を汲みかねて不審そうな表情になった凱は、いきなり蒼の利き手で股間、しかも睾丸あたりを強く握られて悶絶する。
「が、くそ、痛ってェ──!」
凱はうずくまり、手放され倒れそうになった自転車を蒼は支えた。スタンドを立てて自転車を停める蒼を見上げる凱は脂汗を流しながら歯を食い縛り、こめかみに青筋を浮かべている。もしかすると、ここまで凱を怒らせたのは初めてかもしれない。
話が通じなければ二、三発ぶん殴ってでも──と臨や航には話したが、あれ、これぶん殴られんのおれのほうじゃねえ──? と蒼は覚悟した。
「なあ、あのさ、憶えてるか? 中学シニアの準決勝んとき、おまえがおれにやったんだぞ、これ」
ようやくにして立ち上がった怒気あふれる凱と、蒼との身長差、体格差はなかなかの絶望感を蒼に突きつけた。
「おれ、おまえにも誰に何いわれてもぜんぜん調子が戻せなくてさ。でもおまえにこれやられたらなんか、バカバカしくなって笑って、結局はそのあとで負けちまったけどいい投球はできたんだ」
言い訳めいた早口でまくしたてる蒼を、凱は無言で見下ろす。
「……あのさ。おれ、待ってるから。これってまだ、おまえにはちゃんと言ったことなかったかもしれないけどさ、プロで待ってるとかってそんだけの意味じゃねえぞ──? どこだろうと、どういう意味でも、おれはおまえを待つって決めた。だからおまえも、おまえらしくしててくれよ」
いろんな意味で覚悟を決めた蒼の視線はまっすぐに凱を貫いた。その不器用な言葉を聞いて、まだ痛みを堪えるような表情で硬直していた凱は、やがて肩を震わせ始めて、それからようやく表情を緩めた。
「──はは、くはは、あぁバカくせぇ!!」
ひさしぶりに見る凱の遠慮ない爆笑に蒼はすこしほっとしたが、油断したところで凱の大きくて分厚い右手で、後頭部を思いっきり引っぱたかれた。
「あだ──っ!」
「バっカやろー、中学時代といまを同じにすんじゃねーよ! いまのおまえの握力じゃ、あやうく再起不能になるとこだっただろーが、オレ自身が!」
「……てことは一応無事だったんだな。よかったな」
ほんとバカだよおまえは、と低くつぶやいて、凱は蒼の双肩を片腕に抱く。
「わりーな、いじけて拗ねて、──気ぃ遣わせて。もう大丈夫そうだわ、オレも」
「そうか? それならよかったけど。あらためて考えるとホント、アホだよなおれ」
「そのアホさに救われることもあるんだな──だってさ、待っててくれんだろ、蒼」
自転車のスタンドを倒して、凱はふたたび歩きだす。
「ああ。待つよ──? ちゃんと」
「わかったよ、絶対に追いついてみせるから。安心して待っててくれ……」
合わせて蒼も歩きだして、ふたりの歩調はようやくにして揃う。
「うん。楽しみにしてる」
昼休み。臨や航といっしょに屋上へ向かったように見せかけて蒼が教室へ戻ると、英単語帳を片手にサンドイッチを頬張る凱の姿があった。ただし、食べているのはヤバいと噂の例の購買パンではなく、親の手作りのものらしい。
「さいきん屋上に来ないよな、おまえ。そこまで余裕ないんか?」
「……そりゃねーよ、あるわけないだろ。対策は最近はじめたばっかなんだし、もうすぐ模試だし、志望校の難易度も高い」
凱は視線を上げようとせず、蒼はそれが気に入らない。
「まぁ、それはそっか。ひさしぶりにキャッチボールでもつきあってもらおうと思ったんだけどなぁ」
「今のおまえに、気晴らしのキャッチボールなんて必要あるのか? 現役世代の練習に顔だしてやったほうが、あいつらも喜ぶんじゃないのか──?」
「そういうこと言うかね。たまにはつきあってくれてもいいだろ?」
沈黙──凱は、やはり蒼を見ようとしなかった。
「まあいいや。帰り道くらいはつきあえよ、塾まで少しくらいは時間あんだろ」
「わかった。じゃあ帰りに……、な」
凱の態度に不満がある蒼ではあるが、蒼自身のアプローチもうまくない。凱に距離を置かれる状況というものが、そもそもこれまでになかったからだった。幼いころから凱は柔軟で冷静なほうで、蒼は気分屋ではあるが面倒なことはすぐに忘れられる性格だった。
微妙な距離感というものに、蒼がまず慣れていない。
いつもの帰り道となる河川敷、日の暮れていくまでの時間はすこしずつ短くなっている。
河原のすぐそばで野球をする小学生の姿が微笑ほほえましかった。カラーボールにカラーバットで、空振りも多いし、まず当たってもあまり飛ばない。それでもひどく楽しそうで、こういう思い出は蒼の記憶深くにもある。
おおむねあのころの少年たちにとっては打者のほうが人気があり、投手はまっすぐ投げられるヤツの持ち回り。残念ながら捕手はあまり人気のあるポジションではなかった。守備もなにもなく、ただ飛距離でヒットだホームランだと騒いでいたころの思い出。
ただし今の凱には、それすらも目に入っていない様子だった。ただ黙って自転車を押し、視線は道へと落ちている。いくらなんでもこのままではマズいと思い、蒼も話題を考えていた。
「おまえさ、気分転換とかどうしてんの──?」
ヘタクソな愛想笑いで蒼が言う。もちろん蒼には悪気など1ミリもないのだが、勉強に行き詰まったときに蒼をズリネタにした経験という後ろめたさのある凱にとっては、さらに気を落ち込ませた。
「……そういうおまえは、どうなんだよ蒼」
「おれか? そーだな野球選手育成ゲームとかな、パワプロみてえな。今やると懐かしいけど、やっぱおもしれーわ」
「そうか……」
暗い、はてしなく暗い──さすがの蒼もやや引き気味である。
「おまえさ、どこの大学が本命なの? やっぱ優勝回数の多い大学なんか?」
「ああ。早稲田が本命になるかな、偏差値的には法政のほうが目指しやすいけど」
「そうか。うん、おまえなら大丈夫だよ、おれなんかよりずっと頭いいし」
言いながら、ああ、おれいま地雷ふんだな──、と蒼は自身でも思っていた。
「あんまり、気楽に言うなよな。蒼……」
浪人が許されるほどうちは裕福じゃねーんだ、と凱は言う。
「臨みたいに、やんなくても成績がいいってわけでもない、オレは現役んときからある程度は勉強してたんだからさ。伸びしろはたぶんそんなにねーよ……」
「そうか? おれにはそうは見えないけどな」
そこでようやく凱は蒼を見たが、その視線には呆れ、あるいは諦めのような色があって蒼を動揺させた。
「蒼。もういいよ、あんまりオレに構うな。おまえにとっても大事な時期なんだろ──?」
それはそうなのだが、逆光になったその暗い表情には不吉な予感すら漂っている。
「でも、なんかヘンだよ。やっぱり今のおまえはさ」
蒼はなんとなく思い出していた。これと逆の立場だったときが、自分たちにはなかったか。
そう、中学リトルシニアの大会、準決勝だっただろうか。まだまだ制球力もなければ度胸もない蒼が、マウンドに立つのすら怖くなったとき。チームメイトや監督、そして凱にどう声をかけられても心は落ち着かず。焦れば焦るほどボールは思うようには投げられず。凱の言葉も届かない。
今はそれと似たシチュエーションなのかもしれない、と蒼は勝手に理解した。『マウンドに立つ凱』に、まるで立場の違う、今の蒼の言葉では届いていない。
そういえば、あのとき確かに蒼はこう思ってた。
おまえに何がわかるんだよ、──と。
だけどそれから、すぐに蒼は立ち直った。結局は言葉じゃなかった。いきなりの凱の行動と、それによる痛みと──それから、その一連の行動のバカらしさ加減に、緊張なんてどこかに行ってしまったのだ。
「……なあ、凱」
蒼は真正面から凱を見上げると、そこに立つ。
意図を汲みかねて不審そうな表情になった凱は、いきなり蒼の利き手で股間、しかも睾丸あたりを強く握られて悶絶する。
「が、くそ、痛ってェ──!」
凱はうずくまり、手放され倒れそうになった自転車を蒼は支えた。スタンドを立てて自転車を停める蒼を見上げる凱は脂汗を流しながら歯を食い縛り、こめかみに青筋を浮かべている。もしかすると、ここまで凱を怒らせたのは初めてかもしれない。
話が通じなければ二、三発ぶん殴ってでも──と臨や航には話したが、あれ、これぶん殴られんのおれのほうじゃねえ──? と蒼は覚悟した。
「なあ、あのさ、憶えてるか? 中学シニアの準決勝んとき、おまえがおれにやったんだぞ、これ」
ようやくにして立ち上がった怒気あふれる凱と、蒼との身長差、体格差はなかなかの絶望感を蒼に突きつけた。
「おれ、おまえにも誰に何いわれてもぜんぜん調子が戻せなくてさ。でもおまえにこれやられたらなんか、バカバカしくなって笑って、結局はそのあとで負けちまったけどいい投球はできたんだ」
言い訳めいた早口でまくしたてる蒼を、凱は無言で見下ろす。
「……あのさ。おれ、待ってるから。これってまだ、おまえにはちゃんと言ったことなかったかもしれないけどさ、プロで待ってるとかってそんだけの意味じゃねえぞ──? どこだろうと、どういう意味でも、おれはおまえを待つって決めた。だからおまえも、おまえらしくしててくれよ」
いろんな意味で覚悟を決めた蒼の視線はまっすぐに凱を貫いた。その不器用な言葉を聞いて、まだ痛みを堪えるような表情で硬直していた凱は、やがて肩を震わせ始めて、それからようやく表情を緩めた。
「──はは、くはは、あぁバカくせぇ!!」
ひさしぶりに見る凱の遠慮ない爆笑に蒼はすこしほっとしたが、油断したところで凱の大きくて分厚い右手で、後頭部を思いっきり引っぱたかれた。
「あだ──っ!」
「バっカやろー、中学時代といまを同じにすんじゃねーよ! いまのおまえの握力じゃ、あやうく再起不能になるとこだっただろーが、オレ自身が!」
「……てことは一応無事だったんだな。よかったな」
ほんとバカだよおまえは、と低くつぶやいて、凱は蒼の双肩を片腕に抱く。
「わりーな、いじけて拗ねて、──気ぃ遣わせて。もう大丈夫そうだわ、オレも」
「そうか? それならよかったけど。あらためて考えるとホント、アホだよなおれ」
「そのアホさに救われることもあるんだな──だってさ、待っててくれんだろ、蒼」
自転車のスタンドを倒して、凱はふたたび歩きだす。
「ああ。待つよ──? ちゃんと」
「わかったよ、絶対に追いついてみせるから。安心して待っててくれ……」
合わせて蒼も歩きだして、ふたりの歩調はようやくにして揃う。
「うん。楽しみにしてる」
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