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終わりない悪夢、変わりつつあるきみと
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九回裏、八十島高校の攻撃。ツーアウト1・3塁という逆転のチャンスであり、最もプレッシャーのかかる場面。打席に立つのは凱だった。
チームは点差わずか1点を追いかける立場にあり、非常に拮抗した試合だった。少なくともここで1点を獲得して、最低でも同点には持ち込まなければ夏はもう終わるのだ。四番打者のプレッシャーが凱の双肩に重くのしかかる。ひどく時間の流れがゆっくりに感じた。ピッチャーマウンドと自分との間のグラウンドに陽炎がたつのが見えるような気さえした。
初球は、はっきりとしたボール。相手バッテリーの定石としてはここでストライクひとつを取りにくる傾向があったが、この場面では定石外しもアリだろう。完全に打ち気を見せつつも、投球を目だけで見送る。ボールだった。
ツーボール・ノーストライク。ベンチのサインは「打て」だった。当然ここが勝負どころだと誰もが考えるだろうし、凱もそうだった。甘めに入ってきたストレート、コースは外ギリギリできわどいがフルスイングする。どこか詰まった当たりの感触があった。凱は打球を目で追いながらも一塁へ向けて疾走する。打球はフェンスギリギリにまでアーチを描くが、後方守備をとっていた中堅手がフェンスまで走り込むとダイブする。フェンスに直撃しながらも彼はグラブからボールを手放さなかった。
スリーアウト。ゲーム・セット──…
そこで凱は目を覚ます。これまでにいったい何度くりかえし見たのかわからない悪夢。しかしそれは現実の忠実なリプレイに過ぎず、この拷問から解放されるのはいつになるのだろうと凱は考える。
あのとき凱と同じくらい、あるいはそれ以上に悔しかったはずの蒼は嗚咽する凱の肩を抱き、かるく背中を叩いて笑ったのだった。結果は1対0、蒼はただの1失点で初戦敗退となったというのに。まだまだ、どこまでだって投げたかったはずだったのに。
このとき凱は蒼を見失い、蒼は未来を見失った。しかし結局はプロを目指すのだという決意は、どこまでも蒼らしい。それ以降の凱は蒼に触れながらも、いつだって自分にその資格などないのだと、本当はそう思っていた。
「いやー、マジでへこんだわ……」
関東の某プロチームの練習に合流したらしい蒼が地元に戻り、凱たち同級生に打ち明けた第一声がこれだった。ちなみに昼休みだが今日は天気が悪く、教室内の人口密度がいつもより高い。
「トレーニングも身体もまだまだ、だと。球速はまだ上がるからがんばれってさ、平均して142キロは出せるように卒業までに持っていけって」
「まあ、でも期待されてるってことだろー?」
前席の神野は、笑いながら言った。教卓前のハズレ席に位置する臨もまた蒼の周りに集まってくる。
「寂しがってたぞ、おまえの女房役が」
桐生にもからかわれて蒼は凱を見るが、いつもの笑顔で、ただ佇んでいる。
「まあうらやましいよ。なんだかんだでそのうち一軍デビューしちまうんだろうな、おまえは」
臨はめずらしく蒼を認めるような言い方をした。
「……臨はさ、大学で野球やんないのか?」
「もうやんねーよ。俺は都会の大学で彼女つくって、この暑苦しい男子校ライフから解放されんだからよ──それに、あんなにキツい思いはもう二度としたくねぇわ」
そのとき、蒼の記憶に当時のことがよみがえってきた。球場を出ても最後の最後まで泣きやめずにいた臨の姿が。
「……それは別にいいんだけど、運動量落ちたんだから弁当以外にカツサンド毎日食うのやめたら? それ食わないと禁断症状でも出んの? 太るよ」
「どうしよ俺、購買パン依存症ってやつか」
そこに、ドアを開けて航が教室に入ってきた。特進科がある別校舎からわざわざ航がくるのは引退後では初めてかもしれない。
「よぅ、ひさしぶりだな蒼!」
「おまえも変わんねーな、航」
そんな蒼を見て、凱だけは気づいていた。大学を飛び越えてプロという大人の世界に足を踏み入れ、どこか今までにない落ち着きを感じさせる姿に。
ふたり、たまたま帰り道は一緒のタイミングとなった。いつもの帰路となる河川敷だ──ただし凱はこのまま塾へと向かうのだが。
「どうだった、チームは?」
「やっぱ怖ぇーけど、やさしい先輩もいるよ。あとスカウトで同期の捕手とちょっと仲良くなった」
凱は、その言葉に頭の中がまっ白になるのを感じた。何もかも覚悟の上のつもりでいたのに、自分自身の露骨に未練がましい感情への動揺。本当にどうしようもないな、オレは……と。
「そうか──。よかったな」
「凱……?」
蒼にもすぐに気取られてしまう、凱の声色の変化。
「おまえやっぱりヘンだよ。文化祭のちょっと前くらいから」
「別にそんなことは……ねえよ」
そう、自分がおかしいのだとしたら、きっとそれはあの夏の終わり。くりかえし苛まれる悪夢の『それ』が現実世界で起きた、あの瞬間からだ。
思わず凱は手を伸ばしていて、蒼の手を引くと唇を合わせていた。
「やめろよ──、おい、さすがに……」
蒼は凱の胸を突き飛ばし、そう言った。それは単に『場所を考えろ』という意味なのだろうけれど、思いのほか凱の胸を打った。
チームは点差わずか1点を追いかける立場にあり、非常に拮抗した試合だった。少なくともここで1点を獲得して、最低でも同点には持ち込まなければ夏はもう終わるのだ。四番打者のプレッシャーが凱の双肩に重くのしかかる。ひどく時間の流れがゆっくりに感じた。ピッチャーマウンドと自分との間のグラウンドに陽炎がたつのが見えるような気さえした。
初球は、はっきりとしたボール。相手バッテリーの定石としてはここでストライクひとつを取りにくる傾向があったが、この場面では定石外しもアリだろう。完全に打ち気を見せつつも、投球を目だけで見送る。ボールだった。
ツーボール・ノーストライク。ベンチのサインは「打て」だった。当然ここが勝負どころだと誰もが考えるだろうし、凱もそうだった。甘めに入ってきたストレート、コースは外ギリギリできわどいがフルスイングする。どこか詰まった当たりの感触があった。凱は打球を目で追いながらも一塁へ向けて疾走する。打球はフェンスギリギリにまでアーチを描くが、後方守備をとっていた中堅手がフェンスまで走り込むとダイブする。フェンスに直撃しながらも彼はグラブからボールを手放さなかった。
スリーアウト。ゲーム・セット──…
そこで凱は目を覚ます。これまでにいったい何度くりかえし見たのかわからない悪夢。しかしそれは現実の忠実なリプレイに過ぎず、この拷問から解放されるのはいつになるのだろうと凱は考える。
あのとき凱と同じくらい、あるいはそれ以上に悔しかったはずの蒼は嗚咽する凱の肩を抱き、かるく背中を叩いて笑ったのだった。結果は1対0、蒼はただの1失点で初戦敗退となったというのに。まだまだ、どこまでだって投げたかったはずだったのに。
このとき凱は蒼を見失い、蒼は未来を見失った。しかし結局はプロを目指すのだという決意は、どこまでも蒼らしい。それ以降の凱は蒼に触れながらも、いつだって自分にその資格などないのだと、本当はそう思っていた。
「いやー、マジでへこんだわ……」
関東の某プロチームの練習に合流したらしい蒼が地元に戻り、凱たち同級生に打ち明けた第一声がこれだった。ちなみに昼休みだが今日は天気が悪く、教室内の人口密度がいつもより高い。
「トレーニングも身体もまだまだ、だと。球速はまだ上がるからがんばれってさ、平均して142キロは出せるように卒業までに持っていけって」
「まあ、でも期待されてるってことだろー?」
前席の神野は、笑いながら言った。教卓前のハズレ席に位置する臨もまた蒼の周りに集まってくる。
「寂しがってたぞ、おまえの女房役が」
桐生にもからかわれて蒼は凱を見るが、いつもの笑顔で、ただ佇んでいる。
「まあうらやましいよ。なんだかんだでそのうち一軍デビューしちまうんだろうな、おまえは」
臨はめずらしく蒼を認めるような言い方をした。
「……臨はさ、大学で野球やんないのか?」
「もうやんねーよ。俺は都会の大学で彼女つくって、この暑苦しい男子校ライフから解放されんだからよ──それに、あんなにキツい思いはもう二度としたくねぇわ」
そのとき、蒼の記憶に当時のことがよみがえってきた。球場を出ても最後の最後まで泣きやめずにいた臨の姿が。
「……それは別にいいんだけど、運動量落ちたんだから弁当以外にカツサンド毎日食うのやめたら? それ食わないと禁断症状でも出んの? 太るよ」
「どうしよ俺、購買パン依存症ってやつか」
そこに、ドアを開けて航が教室に入ってきた。特進科がある別校舎からわざわざ航がくるのは引退後では初めてかもしれない。
「よぅ、ひさしぶりだな蒼!」
「おまえも変わんねーな、航」
そんな蒼を見て、凱だけは気づいていた。大学を飛び越えてプロという大人の世界に足を踏み入れ、どこか今までにない落ち着きを感じさせる姿に。
ふたり、たまたま帰り道は一緒のタイミングとなった。いつもの帰路となる河川敷だ──ただし凱はこのまま塾へと向かうのだが。
「どうだった、チームは?」
「やっぱ怖ぇーけど、やさしい先輩もいるよ。あとスカウトで同期の捕手とちょっと仲良くなった」
凱は、その言葉に頭の中がまっ白になるのを感じた。何もかも覚悟の上のつもりでいたのに、自分自身の露骨に未練がましい感情への動揺。本当にどうしようもないな、オレは……と。
「そうか──。よかったな」
「凱……?」
蒼にもすぐに気取られてしまう、凱の声色の変化。
「おまえやっぱりヘンだよ。文化祭のちょっと前くらいから」
「別にそんなことは……ねえよ」
そう、自分がおかしいのだとしたら、きっとそれはあの夏の終わり。くりかえし苛まれる悪夢の『それ』が現実世界で起きた、あの瞬間からだ。
思わず凱は手を伸ばしていて、蒼の手を引くと唇を合わせていた。
「やめろよ──、おい、さすがに……」
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