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 それまでも、屋敷には代わる代わる家庭教師が訪れ、フェリシアは貴族令嬢として必要な知識、礼節を学んでいた。けれど、未来の王妃ともなれば、学ぶ量や質はその比ではない。

 クライブの婚約者となったフェリシアに、王宮での、王妃教育がはじまった。

 対してクライブも、未来の国王として、忙しい日々を送っている。同じ王宮にいるとはいえ、そう顔を合わすこともないだろう。そう思っていたのだが──。

「お疲れ、フェリシア」

 夕刻。一日に予定する王妃教育が終わるころ、クライブは度々、フェリシアを訪ねてきていた。そして、菓子などを持ってきては、その頑張りを労ってくれた。

(……優しい)

 ぽつりと、胸中で呟く。顔も声も良くて、優しくて、気遣いができて。なるほど。これではゲーム内のフェリシアが、クライブに執着し、異常なほど嫉妬していたわけも、理解できるような気がした。

 しかし。

 だからこそ、残酷とも思えた。



「明日の王妃教育は、休みなんだってね」

 フェリシアに与えられた王宮内にある一室でお茶をしていると、クライブが菓子をつまみながら訊ねてきた。

「はい。王妃教育がはじまってから、はじめてのお休みです」

「そうだね。わたしも明日は暇をもらったんだ。だから、一緒に街に出掛けにいかないか?」

 どきり。フェリシアのカップを持つ手が止まった。これは、所謂デートの誘いと考えていいのだろうか。いやいや。目を伏せ、一旦心を落ち着かせる。

「申し訳ありません。明日は、剣術を教えてもらう予定がありまして」

 クライブは初耳というように「剣術?」と、目を丸くした。

「はい」

「それは、小さいころからやっていたの?」

「いえ。クライブ殿下の婚約者に決まってから、はじめました」

「なぜ? 王妃教育だけでも大変なのに」

 なぜ。
 それは、この身一つで生きていかなければならなくなったとき、武器は多い方がいい。そう考えた結果だ──とは言えず。

「……ただ守られるだけの存在には、なりたくなかったので」

 クライブが驚いたように、僅かに目を見張る。その様子にフェリシアは「淑女らしからぬこととは思いますが」と、カップを両手でぎゅっと握った。

「お父様もわたしの思いを尊重してくださったので、期待に応えるべく、精進しております。もちろん、王妃教育も、手を抜くつもりは一切ございません」

「いや、それは心配してないよ。しかし、そうか。女性は守るべき存在と教えられてきたから……驚いたな」

「クライブ殿下は、女性が剣を持つことに反対されますか?」

「ん? あまり前例がないので、驚いただけだよ。でもそういうことなら、わたしも、明日は剣の修行をしようかな」

「せっかくのお休みに、無理にわたしに合わせずとも」

「無理に、じゃないよ。それに、邪魔もしないから安心して。わたしはイアンと手合わせしてるから」

「イアン、とですか?」

「そう。悔しいけど、あいつの剣の腕はわたしより数段上なんだ。剣において、わたしの当面の目標は、あいつに勝つことだよ」

 フェリシアの脳裏に、ヒロインを賊から剣で守る、イアンのスチルが浮かんだ。

「……イアンは、クライブ殿下をお守りすることがなによりの役目ですから」

 はは。
 クライブが、朗らかに笑う。

「励ましてくれてるの? 嬉しいな」

 なんで。どうしてそんな顔をするんだろう。最初から嫌ってくれていれば、あんなに嫉妬に狂わずにすんだのに。

(……違う。わたしはフェリシアだけど、あのフェリシアじゃない。クライブ殿下を愛し、嫉妬に狂い、破滅へと進む悪役令嬢には絶対にならない)

 改めて、誓う。こう思ってしまうことじたい、クライブに惹かれはじめていることなのかもしれない。男慣れしてない自分に、嫌気がさす。

 でも、大丈夫。

『オレは見かけじゃなく、彩香という女性を、まるごと好きになったんだ』

 こう言ってくれた真二だって。

『佳奈が可愛いからって、嫉妬して、泣かせて。最低だな』

 汚物を見るような双眸で、そう吐き捨てた。

 知ってるよ。だから、大丈夫。



「……もうすぐ日が暮れますね。わたし、そろそろ」

 フェリシアが窓の外を見ながら呟くと、クライブは、そうだね、と立ち上がった。

「馬車まで送るよ」

「いつも、ありがとうございます」

「わたしが勝手にしていることだから、礼は不要だよ」

 スマートに部屋の扉を開ける仕草すら絵になるから、嫌になる。扉前で待機していたイアンも加わり、イケメンに挟まれ廊下を歩くフェリシア。

「そうだ、イアン。明日の予定は変更だ。久しぶりに、剣の手合わせしよう」

 明日はデートだと聞かされていたイアンが「は?」と、クライブの台詞に、僅かに眉を動かした。いつも無に近い表情のため、フェリシアは思わず、動いた、と胸中で呟いた。

「フェリシアが、剣術をはじめたと聞いてね。これを機に、わたしも、もっと剣の腕を磨こうと思って」

「……フェリシア様が、ですか?」

「そうだ。守られるだけの存在にはなりたくない、とね」

 イアンが、クライブからフェリシアに視線を移す。じっと見詰められ、責められているような気分になったフェリシアは、逃げるように目を左下に向けた。

「……あの。決して、剣術を甘くみているわけではありませんので」

 無意識だったのだろう。イアンは、はたと我に返ったように、申し訳ありません、と頭を下げた。

「そのようなつもりは、まったく……ただ、驚いてしまっただけです」

 クライブは「わたしも似たような反応をしてしまったよ」と笑い、ところで、とフェリシアに向き直った。

「剣術は、どこで習っているのかな」

「お父様が、お屋敷に先生をお呼びしてくれていますので」

「なるほど、ハウエルズ公爵の屋敷か。それじゃあ、明日の行き先は決まったね」

 イアンが「流石に、お邪魔では」と声を挟むが、クライブは「邪魔はしないよ」と即座に答えた。

「気が散るだろうから、わたしとお前の手合わせはどこか別のところを借りてやろう。そして、フェリシア。きみの剣術の時間が終わったら、少しでいい。話をしよう」

「話、ですか」

「そう」

「どのような内容でしょう。いまでは駄目なのですか?」

「わたしがしたいのは、必要な話じゃなくて、他愛ないものだよ。きみのこと、もっと知りたいんだ」

「……でも、今しがた」

「毎日ではないし、互いの用事が終わってからだと、数十分がやっとだ。それでは、足りないと思わないか?」

「…………」

 知ったところで──という考えが過りつつ、心のどこかで、喜んでしまう自分がいる。

 ゲームの登場人物としてではなく、現実に生きるクライブに、馬鹿みたいに惹かれていく自分が。

(……でも、もし)

 もしも。悪役令嬢にならず、目の前の相手に愛され、共に生きていく未来があるのなら。

 愚かにも、クライブたちに優しくされ、そんな希望が徐々に芽生えはじめるフェリシア。



 ──けれど。

 王立学園の入学式の日。

 フェリシアのそんな幻想は、見事に打ち砕かれることになる。


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