上 下
5 / 17

5

しおりを挟む
 え。ヘクターが驚いて振り返る。公爵令嬢とは、学年も違うし、これまで一度も会話したことはない。とはいえ、ここには自分たち以外は誰もいないので、声をかけられたのは間違いない──のだが。

(……何だ?)

 どくん。ローナに対する罪悪感などは持ち合わせてはいないが、暴力行為がばれてはまずい。その思いから、ヘクターの心臓が、一つ跳ねた。

「あの、何かご用ですか?」

 内情を隠し、笑顔で応じるヘクター。公爵令嬢は「いえ。用があるのはあなたではありません」と、ローナに一歩、歩み寄った。

「表情が、やけに暗いですね。何かあったのですか?」

 ヘクターは内心で舌打ちした。将来の王妃たるもの、国民の悩みは放っておけない。おそらくはそういったことだろう。偽善に苛ついたが、ヘクターはそれを、表には一切出さなかった。ずっとそうしてきたのだから、もはや息をするのと同じぐらい、自然にできた。

「ご心配、ありがとうございます。実は、婚約者のローナは、先ほどまで医務室で休んでいたのですよ」

 公爵令嬢は「医務室?」と、眉をひそめた。

「どこか、体調がすぐれなかったのですか?」

 心配そうに、公爵令嬢がローナの顔を覗き込む。他人のためにここまでしなければならないとは、未来の王妃も大変だなと、ヘクターは肩をすくめ、ローナの両肩に手を置いた。

 ローナの全身が強張るのが手に伝わってきたが、ローナは無言だったので、ヘクターはひとまず安堵して、公爵令嬢と視線を交差させた。

「そうなのです。ですが、落ち着いたようなので、もう大丈夫かと。それに、婚約者のぼくが屋敷まで責任をもって送っていきますので、どうかご安心を」

 小さく微笑むヘクター。公爵令嬢はヘクターとローナを交互に見たあと、何かを決意したように、表情をすっと変化させた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

この世で彼女ひとり

豆狸
恋愛
──殿下。これを最後のお手紙にしたいと思っています。 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

想い合っている? そうですか、ではお幸せに

四季
恋愛
コルネリア・フレンツェはある日突然訪問者の女性から告げられた。 「実は、私のお腹には彼との子がいるんです」 婚約者の相応しくない振る舞いが判明し、嵐が訪れる。

花嫁は忘れたい

基本二度寝
恋愛
術師のもとに訪れたレイアは愛する人を忘れたいと願った。 結婚を控えた身。 だから、結婚式までに愛した相手を忘れたいのだ。 政略結婚なので夫となる人に愛情はない。 結婚後に愛人を家に入れるといった男に愛情が湧こうはずがない。 絶望しか見えない結婚生活だ。 愛した男を思えば逃げ出したくなる。 だから、家のために嫁ぐレイアに希望はいらない。 愛した彼を忘れさせてほしい。 レイアはそう願った。 完結済。 番外アップ済。

誰ですか、それ?

音爽(ネソウ)
恋愛
強欲でアホな従妹の話。

彼女は彼の運命の人

豆狸
恋愛
「デホタに謝ってくれ、エマ」 「なにをでしょう?」 「この数ヶ月、デホタに嫌がらせをしていたことだ」 「謝ってくだされば、アタシは恨んだりしません」 「デホタは優しいな」 「私がデホタ様に嫌がらせをしてたんですって。あなた、知っていた?」 「存じませんでしたが、それは不可能でしょう」

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

さようなら婚約者。お幸せに

四季
恋愛
絶世の美女とも言われるエリアナ・フェン・クロロヴィレには、ラスクという婚約者がいるのだが……。 ※2021.2.9 執筆

くだらない冤罪で投獄されたので呪うことにしました。

音爽(ネソウ)
恋愛
<良くある話ですが凄くバカで下品な話です。> 婚約者と友人に裏切られた、伯爵令嬢。 冤罪で投獄された恨みを晴らしましょう。 「ごめんなさい?私がかけた呪いはとけませんよ」

処理中です...