大好きだったあなたはもう、嫌悪と恐怖の対象でしかありません。

ふまさ

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 恐ろしい可能性が脳裏をめぐる。心臓がドクドクと早鐘を打つ。あのころは、ジャスパーの言葉を疑うことなど考えもしなかった。ルイスがバルコニーから落ちる瞬間を目撃したのはジャスパーだけだったのに、誰もジャスパーの証言を疑わなかった。

 ──みんなマリーのように、ジャスパーを信じていたから。

(……考えすぎかしら)

 いつもより早く走る馬車に揺られながら、膝の上に置いたこぶしを握る。例え考えすぎだとしても、一人で真実を確認する勇気がなく、頭で考えるより先に、父親の部屋に飛び込んでいた。でも、これで良かったのかもしれない。

(もし本当にそうなら、お父様にもちゃんとそれを見ていただかないと)

 ルイスがバルコニーから落ちる前に止めるのだから、何の意味もないかもしれないが、万が一ということもある。

「マリー。ルイスがバルコニーから転落するまでは、まだ時間があるのか?」

 正面に座る父親が落ち着かない様子で訊ねてくる。マリーはゆっくりと顔をあげた。

「あと一時間近くあるはずです……お父様。信じてくれてありがとうございます」

「言っただろう。信じると──それに、お前のあの必死の形相は、とても演技とは思えんしな」

 マリーが苦笑する。ジャスパーなら、それぐらいの演技なら、軽くこなすのではないか。そんな風に考えたからだった。


 シュルツ伯爵家から少し離れたところで馬車を止め、おりていると、知った顔の門番が笑顔で近付いてきた。

「これは、ランゲ公爵様。マリー様。お久しぶりです」

 マリーは意識して、笑顔をつくった。

「はい。少し具合が悪かったものですから」

「ええ、聞いております。ジャスパー様も、とても寂しがっておられましたよ」

「そうなの? 嬉しいわ。あのね。ジャスパーを驚かせたいから、わたしが来たことはまだ秘密にしておきたいの。おじさまたちに、そう伝えてきてくれますか?」

「ああ。だからこんな離れたところに馬車を止めたのですね。わかりました。少しお待ちください」

 門番は頬を緩め、屋敷の方へと足を向けた。それから少しして、門番が屋敷から出てきた。笑顔でマリーに話しかける。

「鍵は開いていますので、どうぞ。旦那様は応接室にてお待ちしているとのことです。使用人たちは下がらせましたのでご安心を。ジャスパー様は一階にはいないので、まだ自室にいるのではないかと」

 マリーは一度、父親と目線を合わせてから、門番へと視線を戻した。

「ありがとうございます。では、行ってきますね」
 
 マリーの手は、微かに震えていた。
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