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「……き、きみのこと、嫌いになったわけじゃないんだ」

 オーブリーが申し訳なさそうに切り出すと、待ってましたと言わんばかりに、マルヴィナが言葉を繋ぎはじめた。

「オーブリー様は、決してミラベル様を嫌っているわけではありません。それだけは、誤解なきよう」

 ミラベルが、当然のように頭に大量の疑問符を浮かべる。けれど、ミラベルが待ったをかける暇を与えず、オーブリーが勢いのまま、続ける。

「そう、そうなんだ。だから、きみとの婚約を解消する気はないし、結婚する意思は変わらない。ただ、その……」

「……婚約を解消? なにを言っているの?」

「いや、だから。婚約を解消する気はなくて……っ」

 オーブリーは一呼吸置いてから、意を決したように、マルヴィナの肩を抱き寄せた。

「子爵令嬢のマルヴィナ嬢を、あ、愛人としてぼくの傍に置くことを許してほしい」

 ミラベルが愕然としたように、目を見開く。なんの冗談。口にしたいのに、声が出ない。

「……ごめん、正直に言うよ。ぼくは、ミラベルのことは好きだけど、ずっと、その……顔だけは好きになれなくて」

 ミラベルの指が僅かにぴくりと動いたが、表情と身体は、凍り付いたように固まっていた。

「ご自分の顔を鏡で見たことがあるなら、オーブリー様のお気持ち、想像できますよね?」

 気の毒そうな声色で、マルヴィナが追い打ちをかける。

 さらに。

「きみには感謝している。でも、本当はずっと、並んで歩くのが恥ずかしかった。酷いこと言ってるかもしれないけど、きみに嘘はつきたくないから」

 真剣な眼差しで、この人はなにを言っているのだろう。ミラベルの思考が、真っ白になっていく。

 ──いや。

 本当は、知っていた。いつも顔を見ずに好きだと言うオーブリーの本音。鏡はもちろん見たことあるし、自分が不細工だということは、痛いぐらい承知している。

 でも。

『心根は、顔にも表れるのよ。あなたが優しく、慈しみの心を忘れなければ、みんながあなたを愛してくれるわ。そして、一番大事なのは、いつも笑顔でいることよ』

 泣いているミラベルに、母親があやすように言った言葉。それを胸に、ミラベルは生きてきた。結果、ミラベルのまわりにはいつも、たくさんの優しい人たちがいてくれるようになった。

 オーブリーが顔を真っ直ぐに見てくれなくても、仕方ない。でも、好いてはくれていると思っていた。

 思っていた、のに。

「マルヴィナ嬢を見てくれ。信じられないぐらい綺麗だろう? でも、彼女はぼくとの結婚は望んでなくて、愛人にしてほしいって言ってきてくれて」

「そうなんです。あたし、あなたからオーブリー様をとろうなんて気はなくて。ただ、オーブリー様の慰め役として、傍にいたいだけなんです」

「伯爵夫人には、きみが相応しいよ。父上たちも、そう願っている。だからさ、どうか理解してくれないかな」

 俯き、沈黙するミラベル。オーブリーがオロオロしながら「それにさ」と、説得を続ける。

「いくら伯爵令嬢とはいえ、きみみたいな容姿の人と結婚したい人なんて、そういやしないだろ? ぼくと別れたら、生涯独身になるかもしれないよ? そんなの嫌だろ?」

 ミラベルは絶望したようにぽつりと「……そんな風に、思ってたの」と、もらした。

 答えたのは、マルヴィナだった。

「仕方ないですよ。それが事実なんですから」

 ミラベルはゆっくりと顔を上げ、オーブリーを見た。オーブリーは申し訳なさそうにさっと顔を背けたが、否定はしなかった。

 この二人は、先ほどから吐いている言葉が暴言だと自覚しているのか。どれほど深く、一人の人間を傷付けているのか、理解しているのだろうか。

(……もう、どうでもいいか)

 胸中で吐き捨てると、ミラベルは涙を堪え、凛と姿勢を正した。

「よく、わかったわ」

 二人が、ぱっと目を輝かせた。

「ミラベルなら、きっとわかってくれると思っていたよ。本当にありがとう。きつい言い方もあったかもしれないけど、きみにはどうしても、誠意を見せたかったから」

「あたしからもお礼を言わせてください。あたしは馬鹿だから、伯爵夫人なんて荷が重くて。だから、好き勝手やれる愛人という立場、すごくありがたいです。婚約者様と違って、あたし、取り柄はこの顔と身体だけですから」

 ミラベルは、いいえ、と頭をふった。

「わたしは身を引くことにします。婚約は解消しますから、どうぞ、お二人は一緒になってください」

 完璧な作法で、綺麗に腰を折るミラベル。オーブリーとマルヴィナはそろってキョトンとしたが、同時に目が覚めたように、ミラベルに詰め寄ってきた。

「違うって! ちゃんとぼくたちの話、聞いてた? きみと婚約解消する気はないんだって!」

「そうですよ! それに、生涯独身でもいいんですか?!」

 ミラベルは「それならそれでかまいません」と、きっぱり答えた。

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