3 / 35
3
しおりを挟む
けれど冷静を装い「……理由を聞いても?」とたずねると、マルヴィナは少し言い辛そうに口を小さく開いた。
「嘘をついても、きっとまわりからいろいろ聞かされてしまうと思うので、正直に言います。あたし、浮気をしました。だから、婚約を破棄されたんです」
「……浮気」
「はい。誤解しないでもらいたいのですが、あたしは婚約者のこと、心から愛していました。でも……」
「でも?」
「浮気相手の方が、本当にあたしのこと好いてくれていて。婚約者がいるからって、何度も何度も告白を断っていたんですけど、それでもあたしのこと諦められない。好きで好きでたまらないって、毎日言われ続けて……それが嬉しくて、あたし」
マルヴィナは、胸の前でぎゅっと自分の手を握った。
「婚約者のアーノルドは、あまり愛情表現をしてくれない人でした。言葉も、態度でも。だからあたし、寂しかったのかもしれません」
「それは……婚約者の方にも責任がありますね」
マルヴィナは、ぱあっと瞳を輝かせた。
「ああ。あなたなら、きっとそう言ってくださると思っていましたっ」
マルヴィナに一気に距離を詰められたオーブリーは、かあっと顔を赤くした。美人に慣れていないオーブリーはあたふたしながら、さっと視線を逸らした。
「……けれど。それなら、その、浮気相手の方はどうされたのですか?」
「彼はあいにく、貴族の嫡男ではなく、三男でしたので。残念でしたが、あたしにはつり合わないかなって」
さらっと言われた台詞に、オーブリーは目を見張った。
「つり合わない、ですか……?」
「ええ。だってあたし、綺麗でしょう? 遊びならともかく、三男と結婚なんてありえません。勿体なさすぎます」
あの謙遜さはどこへやら。猫を被っていたのかと驚いたが、自信に満ちた表情に、かえって惹かれた。
「……だからぼくに声をかけたんですか? 貴族の嫡男だから?」
マルヴィナが元気よく「はい」と答える。なんて潔い人だろう。オーブリーが、すべてを肯定的に捉える。
「一応、ぼくには婚約者がいるのですが……それについては」
「かまいません。むしろ、好都合です」
にこっ。見惚れる笑顔で、マルヴィナはとんでもないことを言い出した。
「え……?」
「あたし、面倒なこと嫌なんです」
「……? というと?」
「婚約解消されても、恨まれそうだし。まして破棄になんてなったら、また慰謝料を請求されてしまうかもしれないし。それに伯爵夫人って、大変そうですしね」
「……すみません。あなたがなにを言いたいのか、ぼくにはちっともわからないんですが」
「ええとですね。つまり、いずれ伯爵の爵位を継ぐあなたなら、愛人の一人や二人、いてもおかしくないですよね、ってことが言いたくて」
オーブリーは、それって、とごくりと唾を呑み込んだ。
「……ぼくの愛人になりたいってことですか?」
「そうです。このあたしが、愛人という地位に甘んじると申しているんです。その代わりと言ってはなんですが、もちろん束縛はごめんですし、お金は自由に使わせてもらいますけど。ねえ、どうですか?」
「……ミラベルと別れなくても、あなたと付き合えるってことですか?」
「ミラベルって、あなたの婚約者の名前ですか?」
「そうです」
マルヴィナは思い出し笑いで、ぷっと吹き出した。
「一度、あなたと並んで歩いているところを見ました。まあ、なんというか……個性的なお顔をしてる方ですよね。もしかして、ああいうのが趣味なんですか? だとしたらあたし、あなたの好みの正反対ってことになっちゃいますね」
「ち、違います! ミラベルは、親が決めた相手で……ぼくにはどうしようもなくて」
「だと思いました。オーブリー様も、お気の毒に。あんな方といずれ結婚して子をなさないといけないなんて……」
オーブリーは思わず、じわっと涙を浮かべた。
「……同情してくれたのは、あなたがはじめてです」
まあ。マルヴィナは口元を手で覆ってから、オーブリーの手を取り、そっと握った。
「お可哀想に。あのような顔が常に近くにあるという辛さは、きっと本人にしかわからないでしょう。まして、未来もずっと傍らにいますし──貴族として、そういう行為は避けられませんしね」
「……そう、そうなんです。なのにみんな、あんなに優しくて気遣いのできる婚約者がいて羨ましいなんて心ないことを言うのです。家族だって、ミラベルをとても気に入っているし……まるでぼくだけが悪者になってしまったかのような気になってしまう」
グスグスと泣きはじめたオーブリーを、マルヴィナがそっと抱き締める。
「大丈夫です。あなたはなにも悪くないですし、間違っていません。醜いものに嫌悪感を抱くのは、仕方のないことなのですから」
「……いや、嫌悪感とはまでは」
「あたしの前では、本音を語ってもいいのですよ」
よしよしと頭を撫でられたオーブリーは、もしかして自分でも気付いていなかっただけで、嫌悪感すら抱いていたのかもしれないと思いはじめた。
「……ぼくは、本当に悪くないと思いますか?」
「ええ。誰だって、汚いものより、綺麗なものの方が好きでしょう?」
「……ミラベルは小さなころからずっと、ぼくを支えてくれました」
「まあ、なんてお優しい。感謝の心を忘れないなんて」
「……そうなんです。感謝は、いつもしてるんです。でも顔が……並んで歩くのが、恥ずかしくてっ」
「それは当然のことですよ」
肯定されたことにより、いままで押し殺していた思いが、表に溢れ出しはじめた。
「……いくら人格者でも、顔があれなら、誰も婚約者にはしたがらないですよね」
「貴族令嬢でなければ、きっと嫁のもらいてはいなかったことでしょう」
「……ぼくもそう思います。でも、ミラベルがいなければ困るのは事実だし、別れると言っても、父上が許してはくれないでしょう」
「……婚約者様はきっと、まわりの方に気に入られようと必死に生きてきたのですね」
「そう思うと、ミラベルも憐れですね」
「ですよ。あたしがもしあの顔だったら、人生に絶望しているところです」
あまりにも残酷な言葉ばかり並べ立てているという自覚はあるものの、マルヴィナの同意に、オーブリーの中から罪悪感というものがなくなっていく。
「……貴族だから仕方のないこととはいえ、あまりにぼくが、耐える部分が大きいです」
「ええ」
「別れない代わりに、美しいあなたを愛人にすることを容認してもらう。自分の容姿を自覚しているならきっと、ミラベルは反対なんてできませんよね?」
「もちろんです」
きっぱり言い切るマルヴィナに、オーブリーは、自分は間違っていないという自信を持ってしまった。
「嘘をついても、きっとまわりからいろいろ聞かされてしまうと思うので、正直に言います。あたし、浮気をしました。だから、婚約を破棄されたんです」
「……浮気」
「はい。誤解しないでもらいたいのですが、あたしは婚約者のこと、心から愛していました。でも……」
「でも?」
「浮気相手の方が、本当にあたしのこと好いてくれていて。婚約者がいるからって、何度も何度も告白を断っていたんですけど、それでもあたしのこと諦められない。好きで好きでたまらないって、毎日言われ続けて……それが嬉しくて、あたし」
マルヴィナは、胸の前でぎゅっと自分の手を握った。
「婚約者のアーノルドは、あまり愛情表現をしてくれない人でした。言葉も、態度でも。だからあたし、寂しかったのかもしれません」
「それは……婚約者の方にも責任がありますね」
マルヴィナは、ぱあっと瞳を輝かせた。
「ああ。あなたなら、きっとそう言ってくださると思っていましたっ」
マルヴィナに一気に距離を詰められたオーブリーは、かあっと顔を赤くした。美人に慣れていないオーブリーはあたふたしながら、さっと視線を逸らした。
「……けれど。それなら、その、浮気相手の方はどうされたのですか?」
「彼はあいにく、貴族の嫡男ではなく、三男でしたので。残念でしたが、あたしにはつり合わないかなって」
さらっと言われた台詞に、オーブリーは目を見張った。
「つり合わない、ですか……?」
「ええ。だってあたし、綺麗でしょう? 遊びならともかく、三男と結婚なんてありえません。勿体なさすぎます」
あの謙遜さはどこへやら。猫を被っていたのかと驚いたが、自信に満ちた表情に、かえって惹かれた。
「……だからぼくに声をかけたんですか? 貴族の嫡男だから?」
マルヴィナが元気よく「はい」と答える。なんて潔い人だろう。オーブリーが、すべてを肯定的に捉える。
「一応、ぼくには婚約者がいるのですが……それについては」
「かまいません。むしろ、好都合です」
にこっ。見惚れる笑顔で、マルヴィナはとんでもないことを言い出した。
「え……?」
「あたし、面倒なこと嫌なんです」
「……? というと?」
「婚約解消されても、恨まれそうだし。まして破棄になんてなったら、また慰謝料を請求されてしまうかもしれないし。それに伯爵夫人って、大変そうですしね」
「……すみません。あなたがなにを言いたいのか、ぼくにはちっともわからないんですが」
「ええとですね。つまり、いずれ伯爵の爵位を継ぐあなたなら、愛人の一人や二人、いてもおかしくないですよね、ってことが言いたくて」
オーブリーは、それって、とごくりと唾を呑み込んだ。
「……ぼくの愛人になりたいってことですか?」
「そうです。このあたしが、愛人という地位に甘んじると申しているんです。その代わりと言ってはなんですが、もちろん束縛はごめんですし、お金は自由に使わせてもらいますけど。ねえ、どうですか?」
「……ミラベルと別れなくても、あなたと付き合えるってことですか?」
「ミラベルって、あなたの婚約者の名前ですか?」
「そうです」
マルヴィナは思い出し笑いで、ぷっと吹き出した。
「一度、あなたと並んで歩いているところを見ました。まあ、なんというか……個性的なお顔をしてる方ですよね。もしかして、ああいうのが趣味なんですか? だとしたらあたし、あなたの好みの正反対ってことになっちゃいますね」
「ち、違います! ミラベルは、親が決めた相手で……ぼくにはどうしようもなくて」
「だと思いました。オーブリー様も、お気の毒に。あんな方といずれ結婚して子をなさないといけないなんて……」
オーブリーは思わず、じわっと涙を浮かべた。
「……同情してくれたのは、あなたがはじめてです」
まあ。マルヴィナは口元を手で覆ってから、オーブリーの手を取り、そっと握った。
「お可哀想に。あのような顔が常に近くにあるという辛さは、きっと本人にしかわからないでしょう。まして、未来もずっと傍らにいますし──貴族として、そういう行為は避けられませんしね」
「……そう、そうなんです。なのにみんな、あんなに優しくて気遣いのできる婚約者がいて羨ましいなんて心ないことを言うのです。家族だって、ミラベルをとても気に入っているし……まるでぼくだけが悪者になってしまったかのような気になってしまう」
グスグスと泣きはじめたオーブリーを、マルヴィナがそっと抱き締める。
「大丈夫です。あなたはなにも悪くないですし、間違っていません。醜いものに嫌悪感を抱くのは、仕方のないことなのですから」
「……いや、嫌悪感とはまでは」
「あたしの前では、本音を語ってもいいのですよ」
よしよしと頭を撫でられたオーブリーは、もしかして自分でも気付いていなかっただけで、嫌悪感すら抱いていたのかもしれないと思いはじめた。
「……ぼくは、本当に悪くないと思いますか?」
「ええ。誰だって、汚いものより、綺麗なものの方が好きでしょう?」
「……ミラベルは小さなころからずっと、ぼくを支えてくれました」
「まあ、なんてお優しい。感謝の心を忘れないなんて」
「……そうなんです。感謝は、いつもしてるんです。でも顔が……並んで歩くのが、恥ずかしくてっ」
「それは当然のことですよ」
肯定されたことにより、いままで押し殺していた思いが、表に溢れ出しはじめた。
「……いくら人格者でも、顔があれなら、誰も婚約者にはしたがらないですよね」
「貴族令嬢でなければ、きっと嫁のもらいてはいなかったことでしょう」
「……ぼくもそう思います。でも、ミラベルがいなければ困るのは事実だし、別れると言っても、父上が許してはくれないでしょう」
「……婚約者様はきっと、まわりの方に気に入られようと必死に生きてきたのですね」
「そう思うと、ミラベルも憐れですね」
「ですよ。あたしがもしあの顔だったら、人生に絶望しているところです」
あまりにも残酷な言葉ばかり並べ立てているという自覚はあるものの、マルヴィナの同意に、オーブリーの中から罪悪感というものがなくなっていく。
「……貴族だから仕方のないこととはいえ、あまりにぼくが、耐える部分が大きいです」
「ええ」
「別れない代わりに、美しいあなたを愛人にすることを容認してもらう。自分の容姿を自覚しているならきっと、ミラベルは反対なんてできませんよね?」
「もちろんです」
きっぱり言い切るマルヴィナに、オーブリーは、自分は間違っていないという自信を持ってしまった。
1,609
お気に入りに追加
3,502
あなたにおすすめの小説
【完結】円満婚約解消
里音
恋愛
「気になる人ができた。このまま婚約を続けるのは君にも彼女にも失礼だ。だから婚約を解消したい。
まず、君に話をしてから両家の親達に話そうと思う」
「はい。きちんとお話ししてくださってありがとうございます。
両家へは貴方からお話しくださいませ。私は決定に従います」
第二王子のロベルトとその婚約者ソフィーリアの婚約解消と解消後の話。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
主人公の女性目線はほぼなく周囲の話だけです。番外編も本当に必要だったのか今でも悩んでます。
コメントなど返事は出来ないかもしれませんが、全て読ませていただきます。
アリシアの恋は終わったのです【完結】
ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。
その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。
そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。
反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。
案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。
ーーーーー
12話で完結します。
よろしくお願いします(´∀`)
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。
和泉鷹央
恋愛
雪国の祖国を冬の猛威から守るために、聖女カトリーナは病床にふせっていた。
女神様の結界を張り、国を温暖な気候にするためには何か犠牲がいる。
聖女の健康が、その犠牲となっていた。
そんな生活をして十年近く。
カトリーナの許嫁にして幼馴染の王太子ルディは婚約破棄をしたいと言い出した。
その理由はカトリーナを救うためだという。
だが本当はもう一人の幼馴染、フレンヌを王妃に迎えるために、彼らが仕組んだ計略だった――。
他の投稿サイトでも投稿しています。
【完結】返してください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと我慢をしてきた。
私が愛されていない事は感じていた。
だけど、信じたくなかった。
いつかは私を見てくれると思っていた。
妹は私から全てを奪って行った。
なにもかも、、、、信じていたあの人まで、、、
母から信じられない事実を告げられ、遂に私は家から追い出された。
もういい。
もう諦めた。
貴方達は私の家族じゃない。
私が相応しくないとしても、大事な物を取り返したい。
だから、、、、
私に全てを、、、
返してください。
婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢
alunam
恋愛
婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。
既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……
愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……
そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……
これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。
※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定
それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる