わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。

ふまさ

文字の大きさ
上 下
10 / 22

10

しおりを挟む

なぜ、あれほど難しかったことが、これほど簡単にできたのか。


秀に起こった変化と言えば、一つだけだ。秀はただ、願った。
会いたい、と。


雪虎と呼ばれたあの子に、また。

それは幼子ゆえに純粋で、一途な願いだった。たとえ、根っこにあったのが、興味本位や好奇心であったとしても。
またもう一度、雪虎と会ってみたかったからこそ、秀は自由を求めた。
それが、功を奏したのか。

あれほど難しかった力の制御を、気付けばいとも容易く秀は行っていた。ただ。

そのための原動力となった、雪虎に会いたいと願う、渇望は。


幼い心にとって、すぐ。





…酷い―――――重荷となった。





なにせ、外に出てからも、ずっと。
秀の心の向きは、雪虎にだけ、真っ直ぐに進んでいて。

せっかく、自由になったのに。

なんでもできるのに。


すべて許されているのに。


秀は何一つ、自由ではなかった。
雪虎が憎くなるのは、すぐだった。

どうして。







―――――あの子は、私を縛るのか。







父が、雪虎を特別扱いするのも、納得できなくて。

許せなくて。



なのに、自分の心からあの子を決して外せないのだ。すぐにわかった。父も、そうなのだと。



気付けば、雪虎のすべてが疎ましくなっていた。

それでも、視線は必ず、雪虎の姿を追っていて。



雪虎が、だいじにしているという小汚い少女に向ける、表情を見た刹那。



たちまち、すべてがひっくり返った。

引きずり戻された。



あの時、はじめて雪虎を見た日へと、心が。



雪虎には、どうあってもかなわない。
完膚なきまでに、秀は敗北した。

否、勝ち負けなどどうでもいい。秀はもう、骨の髄まで理解している。



雪虎が雪虎として、生きて、そこにいる。もうそれが、それだけが、秀にとってのすべてなのだ。













「…旦那さま、よろしいですか」

助手席に乗っていた男が声をかけてくるのに、秀は目を開いた。
「なんだね」

「穂高の若君は、もう本州方面に出て―――――無事、故郷へ向かっていると連絡がありました」
秀は、ゆっくりと俯けていた顔を上げる。

助手席の男は、事務的に言葉を続けた。


「穂高家に、戻った暁には」




「手筈通りに」




ぞっとするような秀の声にも、臆することなく、月杜家に代々仕える男は頷く。

「了解しました。穂高家が始末に動く前に、月杜の者の手で片付けます」



月杜の手で始末したいなら、なぜ、わざわざ穂高家へ返すのか。

そのように思われそうだが―――――まずは穂高家へ戻すことに、意味がある。



秀は明かりが流れていく窓の外へ目を向けた。




雪虎は、こちらへ向かう前に、かかりつけの医師のところへ預けている。

付き添いを一緒にいた者数名に頼み、秀が踵を返したところ。



―――――どこ行くんだ…いや、ですか。



雪虎は、秀の前に、立ち塞がった。怒った顔で。だが。

いつも強い印象の目に浮かんでいたのは、心配だ。
幼い頃から、ああいった表情は変わらない。おそらく、雪虎は察したのだろう。




秀にとって、これからが今日最大の仕事の仕上げの時間だと。




―――――用事はもう終わったんじゃないんですか?

訊きながらも、どう言えばいいのか分からない、と言った態度で、雪虎は言葉を不器用に紡いだ。




終わった、と言えば、じゃあこのまま秀と一緒に行く、と返され。

診察があるだろう、と言えば、終わるまで待っていろ、と来た。




危険な場所へ、雪虎を連れて行きたくはない。

内心、ほとほと困っていると、雪虎は真っ直ぐな目で、核心をついてきた。





―――――危ないこと、しに行くんじゃ、ないだろうな。





その表情を思い出し、温かな心地になった半面。

車の中で、秀は独り言ちた。






「…トラを蹴った、だと」


呟きと共に、車内の空気が、凍えるほどに、冷えた。







秀の身を案じる雪虎の顔に、自身を傷つけた相手に対する恨みなど、もう微塵も残っていなかった。
殴り返して、彼の中では本当に、それで終わったのだ。

雪虎は一度やり返せば、もう、尾を引かない。ただし。



秀は、そうではない。



…秀が答えるまでは引かない、先ほどの雪虎は、そんながんとした態度で立ち塞がった。

彼が、真正面から、じっと秀の目から視線をそらさないのは、珍しい。


秀がすぐに答えなかったのは、そんな雪虎の表情を、もう少し堪能しようと思ったからだ。


だが、なぜそんな表情を雪虎が浮かべるのかは分からなかった。

だいたい、普段の雪虎の反応と言えば。
基本的に、秀を疎んじている。
なのに、その時の雪虎からは、秀から距離を取ろうとする意思を感じなかった。そのせい、だろう。





気付けば、手が伸びていた。





右手で、そぉっと頬に触れれば、ぴくりと雪虎の肩が揺れる。
戸惑った態度で、彼の視線が振れた秀の手がある方へ動いた。

秀は触れた指先で、頬の輪郭を撫で下ろすように、して。



雪虎の顎を掴んだ。そのまま、当惑した顔を上向かせ―――――…。







触れた、感触を思い出した秀は、車の中で、ふ、と指の甲で唇の輪郭をなぞった。

正直なところ、雪虎に害をなした相手は、すべて消し去りたい。なにせ、彼らは。

秀から雪虎という存在を、奪う可能性があったからだ。




その根にあるのは―――――恐怖だ。




笑うしかない。
鬼だなんだと恐怖と畏怖の対象でありながら、月杜秀は、たったひとりを失うことが耐えられないのだ。

だが、中学の頃、無茶なことをやらかしていた雪虎には、相当敵も多い。
もし、秀が。

気持ちのままに行動し、そのいっさいを片付けていれば、今頃、雪虎と同年代あたりの人間は、地元では不自然なくらいに数を減らしていただろう。

ゆえに、秀は耐えた。
子供の頃から、ずっと。

消し去りたい衝動を、堪え続けた。

だいたいそんなことは、雪虎は望んでいない。それを思えば黙っていることもできたのだ。だが、今回は。


穏やかだが、凍った刃のような声で、秀は続けた。





「いくら殺しても殺したりないが…仕方ないね」




たった一度、殺されるだけで済むならば、優しい方だろう。











しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。

友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。 あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。 ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。 「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」 「わかりました……」 「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」 そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。 勘違い、すれ違いな夫婦の恋。 前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。 四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。 ※本編はマリエルの感情がメインだったこともあってマリエル一人称をベースにジュリウス視点を入れていましたが、番外部分は基本三人称でお送りしています。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

私の療養中に、婚約者と幼馴染が駆け落ちしました──。

Nao*
恋愛
素適な婚約者と近く結婚する私を病魔が襲った。 彼の為にも早く元気になろうと療養する私だったが、一通の手紙を残し彼と私の幼馴染が揃って姿を消してしまう。 どうやら私、彼と幼馴染に裏切られて居たようです──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。最終回の一部、改正してあります。)

【完結】どうかその想いが実りますように

おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。 学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。 いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。 貴方のその想いが実りますように…… もう私には願う事しかできないから。 ※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗 お読みいただく際ご注意くださいませ。 ※完結保証。全10話+番外編1話です。 ※番外編2話追加しました。 ※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

処理中です...