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「お帰りなさいませ、旦那様。おや、そのお方は確か……」
ハロルドの屋敷に着くと、執事服を着た初老の男性が玄関先で出迎えてくれた。
「ただいま、リチャード。この子はセシリアだよ。覚えているかな?」
「! ああ、ランドル様の奥様ですね。しかし、なぜここに」
「あ、あの。わたし、もう……」
ランドルの妻ではないのです。続けようとしたセシリアの言葉を遮ったのは、ハロルドだった。
「訳は後で話すよ。それより、雨に濡れてしまってね。湯浴みの用意をしてくれるかい?」
リチャードは慌てたように「これは、気付かずに──すぐにご用意致します」と奥へと駆けていった。ハロルドがセシリアと向かい合い、頬を緩めた。
「この屋敷には、わたしとリチャードしか住んでいないんだ。だから、気楽にね」
「は、はい」
見たところ、ハロルドの屋敷は、セシリアが今日まで暮らしてきた屋敷の半分ほどの面積しかない。それでも使用人が一人というのはいささか少ない気もしたが、その理由はこの後すぐに知ることになる。
先に湯浴みをさせてもらったセシリアは、広間で温かい紅茶を飲んでいた。ほう。ゆっくり息をつく。ハロルドは湯浴みに。リチャードは厨房にいるので、広間にいるのは、セシリア一人だ。しばらくじっとしていたものの、ただじっとしていることに落ち着かなくなったセシリアは、何か手伝えることはないかと、厨房へと向かった。
食堂の扉を開ける。奥にある厨房から、良い匂いが漂ってきていた。厨房に足を進めようとしたセシリアだったが、テーブルの上にある写真立てを見つけ、ふいに足を止めた。
「……綺麗な人」
そこに写っていたのは、セシリアより少し年上の、髪の長い、美しい女性だった。とても幸せそうに微笑んでいる。すぐにハロルドの奥様だと、直感した。
「いいな……あんな優しいお方に愛されて、結婚できて」
小さく呟く。この女性も、同じ悩みを抱えていた。苦しんでもいた。けれど、どうしようもなく羨ましかった。
「わたしはきっと、誰にも愛されずに死んでゆくのでしょうね……」
泣き笑いを浮かべる。けれど誰も、答えてくれるはずもなく。
「……セシリア様?」
厨房から顔を出したリチャードに、ふいに名を呼ばれたセシリアは、慌てて涙を拭い、顔をあげた。
「あ、すみません。勝手に食堂に入ってしまって」
「いえいえ。よいのですよ──おや、奥様の写真を見ておられたのですか?」
「……はい。すごく綺麗なお方ですね。それに、とてもお幸せそうで……」
「お二人は、それはそれは仲の良いご夫婦でしたからね。だからこそ、奥様がご病気で亡くなられたときの旦那様は、見ていられませんでした」
「……そうですか」
わたしが死んだとき、それほど深く哀しんでくれる人などいるのだろうか。そんな考えが、ふとセシリアの脳裏を過った。
「何とか生きる気力を持ち直した旦那様ですが、哀しみをまぎらわすためか、仕事に没頭するようになりましてね。王宮に泊まり込むことが多くなって、ほとんど屋敷には帰ってこないのです。せっかく、王宮近くにある屋敷に越してきたというのに」
なるほど。セシリアは一人、納得した。奥様と、いずれ産まれてくる子どものことを考えると、少し小さな屋敷だと思っていたが──きっと、ハロルドは決めたのだろう。
再婚はせず、亡くなった奥様だけを、生涯愛していくことを。
ちくん。
胸の奥が、僅かに痛んだ気がした。
「私も若いころに、妻を亡くしていましてね。子どももいないものですから、たまに一人が寂しくなるときがあります」
「他の使用人の方は、いないのですか?」
「はい。通いの者が何人かいるぐらいですね。何せ旦那様が滅多に帰ってこられないので、私一人で事足りてしまうのですよ」
リチャードが頬を緩める。言葉から、雰囲気から、リチャードがこの屋敷を好いていることがうかがえる。
(……わたしやアルマとは、だいぶ違うわ)
セシリアは一人、苦笑してしまった。
ハロルドの屋敷に着くと、執事服を着た初老の男性が玄関先で出迎えてくれた。
「ただいま、リチャード。この子はセシリアだよ。覚えているかな?」
「! ああ、ランドル様の奥様ですね。しかし、なぜここに」
「あ、あの。わたし、もう……」
ランドルの妻ではないのです。続けようとしたセシリアの言葉を遮ったのは、ハロルドだった。
「訳は後で話すよ。それより、雨に濡れてしまってね。湯浴みの用意をしてくれるかい?」
リチャードは慌てたように「これは、気付かずに──すぐにご用意致します」と奥へと駆けていった。ハロルドがセシリアと向かい合い、頬を緩めた。
「この屋敷には、わたしとリチャードしか住んでいないんだ。だから、気楽にね」
「は、はい」
見たところ、ハロルドの屋敷は、セシリアが今日まで暮らしてきた屋敷の半分ほどの面積しかない。それでも使用人が一人というのはいささか少ない気もしたが、その理由はこの後すぐに知ることになる。
先に湯浴みをさせてもらったセシリアは、広間で温かい紅茶を飲んでいた。ほう。ゆっくり息をつく。ハロルドは湯浴みに。リチャードは厨房にいるので、広間にいるのは、セシリア一人だ。しばらくじっとしていたものの、ただじっとしていることに落ち着かなくなったセシリアは、何か手伝えることはないかと、厨房へと向かった。
食堂の扉を開ける。奥にある厨房から、良い匂いが漂ってきていた。厨房に足を進めようとしたセシリアだったが、テーブルの上にある写真立てを見つけ、ふいに足を止めた。
「……綺麗な人」
そこに写っていたのは、セシリアより少し年上の、髪の長い、美しい女性だった。とても幸せそうに微笑んでいる。すぐにハロルドの奥様だと、直感した。
「いいな……あんな優しいお方に愛されて、結婚できて」
小さく呟く。この女性も、同じ悩みを抱えていた。苦しんでもいた。けれど、どうしようもなく羨ましかった。
「わたしはきっと、誰にも愛されずに死んでゆくのでしょうね……」
泣き笑いを浮かべる。けれど誰も、答えてくれるはずもなく。
「……セシリア様?」
厨房から顔を出したリチャードに、ふいに名を呼ばれたセシリアは、慌てて涙を拭い、顔をあげた。
「あ、すみません。勝手に食堂に入ってしまって」
「いえいえ。よいのですよ──おや、奥様の写真を見ておられたのですか?」
「……はい。すごく綺麗なお方ですね。それに、とてもお幸せそうで……」
「お二人は、それはそれは仲の良いご夫婦でしたからね。だからこそ、奥様がご病気で亡くなられたときの旦那様は、見ていられませんでした」
「……そうですか」
わたしが死んだとき、それほど深く哀しんでくれる人などいるのだろうか。そんな考えが、ふとセシリアの脳裏を過った。
「何とか生きる気力を持ち直した旦那様ですが、哀しみをまぎらわすためか、仕事に没頭するようになりましてね。王宮に泊まり込むことが多くなって、ほとんど屋敷には帰ってこないのです。せっかく、王宮近くにある屋敷に越してきたというのに」
なるほど。セシリアは一人、納得した。奥様と、いずれ産まれてくる子どものことを考えると、少し小さな屋敷だと思っていたが──きっと、ハロルドは決めたのだろう。
再婚はせず、亡くなった奥様だけを、生涯愛していくことを。
ちくん。
胸の奥が、僅かに痛んだ気がした。
「私も若いころに、妻を亡くしていましてね。子どももいないものですから、たまに一人が寂しくなるときがあります」
「他の使用人の方は、いないのですか?」
「はい。通いの者が何人かいるぐらいですね。何せ旦那様が滅多に帰ってこられないので、私一人で事足りてしまうのですよ」
リチャードが頬を緩める。言葉から、雰囲気から、リチャードがこの屋敷を好いていることがうかがえる。
(……わたしやアルマとは、だいぶ違うわ)
セシリアは一人、苦笑してしまった。
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