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 モンテス伯爵の長女として生を受けたクラリッサには、兄妹がいなかった。母親があまり身体が丈夫でなかったため、二人目の子どもは諦めざるを得なく、嫡男を望めなかったのだ。

 クラリッサと結婚し、いずれ婿養子にと選ばれたのが、ロペス伯爵家の次男、ベイジルだった。モンテス伯爵家とロペス伯爵家は古くから付き合いがあり、クラリッサの父親がベイジルを選んだのは、そんな理由からだった。

 クラリッサが、ベイジルを愛していたからではない。貴族によくある、親同士が決めた婚約者だ。

 なのに、どうしてか。

「クラリッサは、ぼくに一目惚れしてね。その日からクラリッサは、ぼくに夢中なのさ」

 この人はなにを言っているのだろう。そんなこと普段なら──少なくとも互いの屋敷内では言わないのに、たとえばどこか別の貴族のパーティーに招待されたときなど、ベイジルはよく、そんなことを言って回っていた。

 まだ幼かったクラリッサはどうしてそんな嘘をつくのか不思議で「あなたを婚約者に決めたのは、わたしではなく、お父様です」と言ったが、ベイジルは、そうだね、と軽く受け流すだけで。

「はじめての顔合わせで、きみはぼくに一目惚れしたんだよね」

「してませんけど」

「照れちゃって。きみはいつもそうなんだから」

 そう言って、似た年頃の貴族の子どもたちと笑い合う。冗談かとも思ったが、年を重ねるごとに、彼が本気でそう信じ込んでいることがわかり、クラリッサはぞっとした。

 ──他にも。

 デートで街に出掛けたときのこと。

「あの女の子、ぼくに見惚れているね」

「どの子ですか?」

「あそこ。妬かないでね」

 ベイジルの指の先に視線を向ける。確かに一人の女性がこちらを見てはいる。が。ふと振り返れば、二人が座る広場のベンチの少し上に、時計があった。

(……あの人は時間を確認していただけなのでは?)

 確証はないが、表情を見れば、見惚れているかどうかなんて、わかりそうなものではないだろうか。現に彼女の頬はちらりとも赤くなっていなかったし、もうなにも興味がないように、去って行ってしまった。

「ふふ。ぼくみたいな男と付き合えるなんて、きみは本当に幸運だね」

 自意識過剰の、上から目線。この自信はどこからくるのだろう。クラリッサはいつも、不思議で仕方がなかった。

 ベイジルは決して、容姿が良い方ではない。不細工とまではいかないかもしれないが、平凡な見た目をしている。特に優秀というわけでもないのに、次男に生まれただけで、兄上よりぼくの方が優れているし、爵位を継ぐのに相応しいのにと、よく愚痴ってもいる。

 正直、好感なんて一つも持てなくて。どちらかといえば嫌悪感の方が、会うたびにどんどんと膨れ上がっていった。

「きみはとても冷たい人間だね」

 自慢話や愚痴ばかりのベイジルに対し、愛情のなさからきっと、愛想がなくなっていたのだろう。ある日を境に、よくこんなことを言われるようになった。

 元はと言えばという怒りもあったが、悪いところは自分にもあったと反省し、謝罪した。将来のことを考え、少しでも良好な関係でいたかったから。

 これがいけなかったのか。ベイジルはクラリッサの容姿なども、貶すようになっていった。

「きみはもう少し、ぼくに釣り合うように努力した方がいいと思うよ。教養も魅力もね」

 流石にムッとして言い返すと、きみのために忠告してあげているのにと、クラリッサを上回る怒りをぶつけられた。

(この人はいったい、なんなのだろう……)

 一度だって愛しているなんて告げたことはないのに、クラリッサがベイジルを愛していると信じて疑わない。否定しても、照れてると言って取り合わない。せめて悪口はやめてと告げても、悪く言った覚えなんてないと、被害妄想はやめろと逆に怒鳴られるしまつ。

(……まともに話ができない)

 会えば疲れる。ストレスがたまる。苛々する。できれば関わり合いになりたくない人間だ。とはいえ。親が決めた婚約者で、将来の夫となる相手だ。事を荒立てたくなかったクラリッサは、政略結婚などこんなものだと。これが貴族の令嬢としての役目なのだと、必死に言い聞かせ、耐えていた。

 ──はじめて会話したときは、穏やかで優しい人だと思ったのに。

 ちゃんと会話もできて、気遣いもできる、謙虚な人だった。そう思ったから、父から婚約者としてどうかと問われたとき、異存ありません、と答えたのに。

(……わたし、見る目ない)

 特に決定的な欠点があるわけでも、なにかやらかしたわけでもない。しかもベイジルは本性を知るクラリッサから見ても外面が良くて。余計にクラリッサは、父たちに報告するのを躊躇った。

 だから、考え方を変えた。いっそ、ベイジルの理想の女性を演じてやろうと。話が通じないのなら、その方が楽に生きられる。そんな風に思ったから。

 いま思えば、精神的に疲れ切っていたのかもしれない。

 いつも笑顔。なにを言われても、にこにこと肯定。はい、はい。自分の思い通りになって満足したのか、ベイジルの機嫌は目に見えて良くなり、自意識過剰は相変わらずで、自然に嫌味や愚痴は吐くものの、以前よりは断然、精神的に楽にはなった。でも、なにか大切なものが失われていっているような感覚にも襲われていた。

 そんなとき。

「──あの、クラリッサ様。あたし、子爵令嬢のネリーと言います。ベイジル様のことについて、お話したいことがあるのですがっ」

 王立学園に入学して半年が経とうとしていたころ。一筋の光が、クラリッサの前に現れたのだ。



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