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その日。
いつものように、アシュリーとマリアンの目が届かないときを見計らって、ノーラはエミリアの部屋を訪れてきていた。ただ、いつもはしっかり鍵をかけるのに、もう何度目かの行いに油断していたのか、ノーラは鍵をかけないまま、エミリアに、静かに暴言を吐きはじめた。
「あなたの、男に媚びを売る姿を見るたび、吐き気がします。娼婦の方がお似合いでは? ああ、まったく。アシュリー様はいったい、いつ目を覚まされるのか」
毎度よく、すらすらと嫌味が出てくるものだ。エミリアは少し感心しつつも辟易しながら、正面に立つノーラを虚ろな目で見詰める。
受け流すことはできても、やはり毒を吐かれ続け、それを受け取ることしかできないこの状況は、神経と心を徐々にすり減らしていっていた。いっそ、最初に言われた通り、アシュリーに告げ口してしまおうかと、何度か脳裏を過ったことがある。
でも、相手はアンガスと同じタイプで、とにかく外面が良い。そして、アシュリーとマリアンからの信頼も厚いし、一緒に過ごした時間が圧倒的に違う。
信じてもらえる自信が、とにかくなかった。
「前の旦那に捨てられたのも、そういうところなのではないですか? アシュリー様の前でわざとらしく顔を赤くしたり、照れたふりして。あざといったら。気持ち悪くて、毎回、鳥肌ものですよ」
ノーラは、エミリアには元旦那がいた、という情報しか知らない。なのに憶測で、ことある事にエミリアが離縁した理由を語ってくる。
正直、それが一番、うまく消化しきれずにいた。
「……なにも知らないくせに、憶測でものを言うの、やめてもらえませんか?」
反撃しても、ノーラは鼻で笑うだけ。
「あら、怖い怖い。怒るのは、図星だからでしょう? その本性、アシュリー様たちに晒してみてはいかがです?」
こちらの台詞だと、エミリアが胸中で呟く。ノーラはちらっと時計を見ると、もうこんな時間ですか、と残念そうに告げた。
「あと少しで、マリアンお嬢様の家庭教師が帰る時間ですので、これで」
ご丁寧に頭を垂れ、ノーラは背を向け、扉に近付いた。瞬間、ぴたっと一瞬動きを止めたノーラを不思議に思い、そちらに目を向けると、ほんの僅か、扉が開いていることに気付いた。
「……いつから」
愕然としたノーラの声色に応えるように、扉がギィと音を立てて大きく開いた。そこにはマリアンと、扉に手を添えたマリアンの家庭教師が、青い顔で立ち尽くしていた。
「……まだ、勉強を終える時刻ではないでしょう……?」
確かに、いまは予定より二十分早い。震えるノーラの問いに、家庭教師の女性は「……あの」と、小さく口を開いた。
「マリアン様……今日は課題も完璧で。読み書きのテストも満点だったんです。テストを早くお母様にお見せしたいとお願いされて……ご褒美ってわけじゃないんですけど……少しだけ早く、お勉強を切り上げて……」
見てはいけないものを見てしまったという思いからか、家庭教師はずっと床を見詰めている。そしてそれは、両手に一枚の紙を持ったマリアンも同じだった。
いつから聞いていたのか。どう声をかければいいのかわからず、エミリアもノーラも、互いに押し黙っていたが、先に口を開いたのは、ノーラだった。
「マリアンお嬢様。テスト、満点だったんですね。すごいじゃないですか。でも、誰より先に見せるべきは奥様ではなく、私なのでは?」
にっこり。ノーラは微笑みながら、マリアンからテストを奪い取った。
「……か、かえしてくださいっ」
弱々しい声で、マリアンが手を伸ばす。ノーラはテストを見て、ほんとに満点ですね、とニコニコしてから、マリアンに視線を移した。
「ねえ、マリアンお嬢様。私と奥様、どちらの方が好きですか?」
いつものように、アシュリーとマリアンの目が届かないときを見計らって、ノーラはエミリアの部屋を訪れてきていた。ただ、いつもはしっかり鍵をかけるのに、もう何度目かの行いに油断していたのか、ノーラは鍵をかけないまま、エミリアに、静かに暴言を吐きはじめた。
「あなたの、男に媚びを売る姿を見るたび、吐き気がします。娼婦の方がお似合いでは? ああ、まったく。アシュリー様はいったい、いつ目を覚まされるのか」
毎度よく、すらすらと嫌味が出てくるものだ。エミリアは少し感心しつつも辟易しながら、正面に立つノーラを虚ろな目で見詰める。
受け流すことはできても、やはり毒を吐かれ続け、それを受け取ることしかできないこの状況は、神経と心を徐々にすり減らしていっていた。いっそ、最初に言われた通り、アシュリーに告げ口してしまおうかと、何度か脳裏を過ったことがある。
でも、相手はアンガスと同じタイプで、とにかく外面が良い。そして、アシュリーとマリアンからの信頼も厚いし、一緒に過ごした時間が圧倒的に違う。
信じてもらえる自信が、とにかくなかった。
「前の旦那に捨てられたのも、そういうところなのではないですか? アシュリー様の前でわざとらしく顔を赤くしたり、照れたふりして。あざといったら。気持ち悪くて、毎回、鳥肌ものですよ」
ノーラは、エミリアには元旦那がいた、という情報しか知らない。なのに憶測で、ことある事にエミリアが離縁した理由を語ってくる。
正直、それが一番、うまく消化しきれずにいた。
「……なにも知らないくせに、憶測でものを言うの、やめてもらえませんか?」
反撃しても、ノーラは鼻で笑うだけ。
「あら、怖い怖い。怒るのは、図星だからでしょう? その本性、アシュリー様たちに晒してみてはいかがです?」
こちらの台詞だと、エミリアが胸中で呟く。ノーラはちらっと時計を見ると、もうこんな時間ですか、と残念そうに告げた。
「あと少しで、マリアンお嬢様の家庭教師が帰る時間ですので、これで」
ご丁寧に頭を垂れ、ノーラは背を向け、扉に近付いた。瞬間、ぴたっと一瞬動きを止めたノーラを不思議に思い、そちらに目を向けると、ほんの僅か、扉が開いていることに気付いた。
「……いつから」
愕然としたノーラの声色に応えるように、扉がギィと音を立てて大きく開いた。そこにはマリアンと、扉に手を添えたマリアンの家庭教師が、青い顔で立ち尽くしていた。
「……まだ、勉強を終える時刻ではないでしょう……?」
確かに、いまは予定より二十分早い。震えるノーラの問いに、家庭教師の女性は「……あの」と、小さく口を開いた。
「マリアン様……今日は課題も完璧で。読み書きのテストも満点だったんです。テストを早くお母様にお見せしたいとお願いされて……ご褒美ってわけじゃないんですけど……少しだけ早く、お勉強を切り上げて……」
見てはいけないものを見てしまったという思いからか、家庭教師はずっと床を見詰めている。そしてそれは、両手に一枚の紙を持ったマリアンも同じだった。
いつから聞いていたのか。どう声をかければいいのかわからず、エミリアもノーラも、互いに押し黙っていたが、先に口を開いたのは、ノーラだった。
「マリアンお嬢様。テスト、満点だったんですね。すごいじゃないですか。でも、誰より先に見せるべきは奥様ではなく、私なのでは?」
にっこり。ノーラは微笑みながら、マリアンからテストを奪い取った。
「……か、かえしてくださいっ」
弱々しい声で、マリアンが手を伸ばす。ノーラはテストを見て、ほんとに満点ですね、とニコニコしてから、マリアンに視線を移した。
「ねえ、マリアンお嬢様。私と奥様、どちらの方が好きですか?」
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