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「……ぼくはまだ十九歳だ! 伸びしろは団長よりある!!」
裏返った声で叫び、アンガスは団長の屋敷から逃げ出した。呼び止める者も、追いかけてくる者も、一人もいない。それがなぜか無性に悔しくて、アンガスは走りながら涙を滲ませた。
(劣ってなんかない……ぼくは団長より、劣ってなんかないんだ。なんでみんな、平気であんな酷いこと……っ)
向かったのは、この街をおさめる領主の屋敷の敷地内にある、騎士たちが乗る愛馬がいる馬小屋だ。アンガスはすぐに人が乗れる状態の馬に飛び乗ると、馬番や門番の者たちの制止を振り切り、馬を走らせた。
「くそっ……くそくそっ」
行き先は、エミリアの実家だ。行く当てもない、金もないエミリアは、絶対にそこにいる。実家に頼るつもりも戻るつもりもないと偉そうにほざいていたが、アンガスは確信していた。
女々しく、団長とシンディーにすべてをあけすけに愚痴りまくった女の言うことなど、誰が信じてやるものか。
「……全部、全部、あいつのせいだ!」
叫び、街を飛び出す。土下座して謝罪させてやると息巻き、アンガスはろくな休憩もせず、ただその決意から、ひたすらに馬を走らせ続けた。
街からエミリアの実家は、そう離れてはいなかったため、日が暮れる前に、アンガスはエミリアの実家──ブルーノ子爵の屋敷に辿り着くことができた。
「──え?」
「ですから。エミリアお嬢様は、お戻りになってはおりませんよ」
昔から顔馴染みの、ブルーノ子爵に仕えている執事が、眉一つ動かさずにそう告げた。いつも笑顔で出迎えてくれていた相手だっただけに、無表情の執事の対応に焦り、アンガスが少し、気後れしてしまう。年長者の圧力、というものだろうか。
「そ、そんなはずはない」
負けじと反撃するが、執事が「事実です」と、さらっと返す。
「なら、屋敷内を探させてくれ!」
アンガスは敷地内にすら入れてもらえず、いまは、執事と鉄格子の門扉越しに話をしている状態だった。
ここまで無茶をしてきたから、喉はカラカラ。朝からなにも口にしていなかったお腹は、うるさいぐらいに音を立てていた。
中に入れば、茶や菓子が出てくる。それも相まって、アンガスの形相は怖いほどに必死だった。だが、執事は欠片も動じない。
「それはできません。エミリアお嬢様とあなたは離縁なさったのでしょう? なら、あなたはもう、他人じゃないですか。他人を勝手に敷地内に入れたとなれば、私が叱られてしまいます」
「…………っ」
団長やシンディーだけでなく、エミリアはブルーノ子爵にすら、もう離縁のことを伝えていた。そのことを知ったアンガスは、怒りとショックで頭がどうにかなりそうだった。
(……離縁してからまだ二日しか経っていないのにっ)
なにもできないお嬢様だと見下していた相手の根回しが想像より早くて、アンガスは頭を掻きむしった。
(あの女……あの女……あの女ぁ!!)
いや、落ち着け。アンガスが必死に、自身を落ち着かせようとする。団長とシンディーのときとは違うのだ。なにも証拠がないのだから、話せばきっと、わかってもらえる。
「……離縁の理由は、なんと?」
深呼吸してから、アンガスが低く問いかけると、執事は「簡潔にお伝えいたしますと」と、機械のように、感情のない声で口火を切った。
「アンガス様に理想の妻──美人で全身のケアが行き届いている女性ができ、アンガス様はその方と結婚したいそうなので、離縁することに決めたと」
──あいつ!
アンガスは血がでるほど強く、唇を噛み締めた。
「すべてでたらめだ! ぼくはそんなこと、一言も言ってない! どうしてそんな嘘、信じたんだ!!」
「──ちなみに。あなた様に理想の妻とやらができてからエミリアお嬢様にどんな言葉を浴びせてきたのかも、きっちり手紙には記されていましたことを、お伝えしておきます」
ひやりとした双眸に、アンガスが息を詰まらせる。でも、ここで負けるわけにはいかないのだ。
「違う! ぼくは、エミリアに少しでも魅力的になるように努力してほしかっただけだ! 家事も、手を抜いていたから注意しただけで……っっ」
喚くアンガスの視線の先にある屋敷の扉が開いた。そこから出てきた人物がこちらに向かってつかつかと歩いてくるのが見え、アンガスは執事から、勢いよくそちらに視線を移した。
「ブルーノ子爵! 良かった。この執事がどうしても中に入れてくれなくて……大切なお話があるのですが、その前に、水を一杯だけいただけませんか? 喉がカラカラで」
険しい表情のブルーノ子爵が、執事に目配せをする。執事は頷くと、あっさり門扉を開けた。
「流石はブルーノ子爵。やはり貴族はちが──」
ゴッ!!
(…………え?)
鈍い音があたりに響き、気付けばアンガスは地面に倒れていた。一呼吸遅れて、痛みが左頬に集中していく。ブルーノ子爵のこぶしに、あれで殴られたのだとなぜか冷静に分析することができた。
「なんとうるさい小蝿よ。エミリアはここにはおらん。わかったらとっとと失せろ。もしまたその顔を私の前に見せたら、次はこの程度ではすまさんぞ」
仁王立ちするブルーノ子爵を、地面に頬をつけたアンガスは目だけで見上げていたが、くるりと踵を返し、屋敷に足を向けたブルーノ子爵に焦り、無理やり上体を起こした。
「……かはっ。ま、待ってくだ……な、なら、エミリアは……ど、どこに……あいつが一人で生きていくことなんて……で、できないはず」
血の味が広がり、口の中と外が痛んでうまく話せないアンガスがそれでも言葉を紡ぐと、ブルーノ子爵はゆらりと、アンガスを振り返った。
「屑が。だからどんな扱いをしようとエミリアがお前から離れるわけがないと、そう高をくくっていたのか?」
「……ご、誤解です。エミリアからなにを吹き込まれたのかは知りませんが、すべては事実無根です。だって、なにも証拠なんてないですよね……? ブルーノ子爵は、エミリアの手紙に記されたものが事実だと、なぜわかるのです?」
「──私の娘が、嘘をついたと?」
貴族特有の圧を感じ、アンガスがたらっと汗を流す。それでもアンガスは食い下がる。
「……む、娘だからとなにもかも鵜呑みにするのは、いかがなものかと」
ブルーノ子爵は僅かに沈黙した後、アンガスに向き直った。
「──幸せにすると、誓ったな」
言葉に、アンガスの身体がびくんと跳ねた。
「必ず、エミリアを幸せにすると。だから私は、貴様との結婚を許した。苦労は承知。アンガスと一緒にいられるならそれだけで幸せだと笑っていたエミリアが、お前と離縁することをみずから選んだ。私には、それがすべてだ」
「…………あ」
そうだ。団長とシンディーとは違う。
ブルーノ子爵は、エミリアの親なのだ。結びつきは、アンガスとは比べものにならない。そんな当たり前なことに気付き、アンガスはようやく、諦めたように項垂れた。
ブルーノ子爵は背を向け「あやつはきちんと、一人で生きていく道を見つけたようだ──私に頼ってきても、よかったのに」と呟いてから、今度こそ振り返ることなく、去って行った。
「……え……?」
ぽかんとするアンガスの前で、門扉が音を立てて閉められた。
裏返った声で叫び、アンガスは団長の屋敷から逃げ出した。呼び止める者も、追いかけてくる者も、一人もいない。それがなぜか無性に悔しくて、アンガスは走りながら涙を滲ませた。
(劣ってなんかない……ぼくは団長より、劣ってなんかないんだ。なんでみんな、平気であんな酷いこと……っ)
向かったのは、この街をおさめる領主の屋敷の敷地内にある、騎士たちが乗る愛馬がいる馬小屋だ。アンガスはすぐに人が乗れる状態の馬に飛び乗ると、馬番や門番の者たちの制止を振り切り、馬を走らせた。
「くそっ……くそくそっ」
行き先は、エミリアの実家だ。行く当てもない、金もないエミリアは、絶対にそこにいる。実家に頼るつもりも戻るつもりもないと偉そうにほざいていたが、アンガスは確信していた。
女々しく、団長とシンディーにすべてをあけすけに愚痴りまくった女の言うことなど、誰が信じてやるものか。
「……全部、全部、あいつのせいだ!」
叫び、街を飛び出す。土下座して謝罪させてやると息巻き、アンガスはろくな休憩もせず、ただその決意から、ひたすらに馬を走らせ続けた。
街からエミリアの実家は、そう離れてはいなかったため、日が暮れる前に、アンガスはエミリアの実家──ブルーノ子爵の屋敷に辿り着くことができた。
「──え?」
「ですから。エミリアお嬢様は、お戻りになってはおりませんよ」
昔から顔馴染みの、ブルーノ子爵に仕えている執事が、眉一つ動かさずにそう告げた。いつも笑顔で出迎えてくれていた相手だっただけに、無表情の執事の対応に焦り、アンガスが少し、気後れしてしまう。年長者の圧力、というものだろうか。
「そ、そんなはずはない」
負けじと反撃するが、執事が「事実です」と、さらっと返す。
「なら、屋敷内を探させてくれ!」
アンガスは敷地内にすら入れてもらえず、いまは、執事と鉄格子の門扉越しに話をしている状態だった。
ここまで無茶をしてきたから、喉はカラカラ。朝からなにも口にしていなかったお腹は、うるさいぐらいに音を立てていた。
中に入れば、茶や菓子が出てくる。それも相まって、アンガスの形相は怖いほどに必死だった。だが、執事は欠片も動じない。
「それはできません。エミリアお嬢様とあなたは離縁なさったのでしょう? なら、あなたはもう、他人じゃないですか。他人を勝手に敷地内に入れたとなれば、私が叱られてしまいます」
「…………っ」
団長やシンディーだけでなく、エミリアはブルーノ子爵にすら、もう離縁のことを伝えていた。そのことを知ったアンガスは、怒りとショックで頭がどうにかなりそうだった。
(……離縁してからまだ二日しか経っていないのにっ)
なにもできないお嬢様だと見下していた相手の根回しが想像より早くて、アンガスは頭を掻きむしった。
(あの女……あの女……あの女ぁ!!)
いや、落ち着け。アンガスが必死に、自身を落ち着かせようとする。団長とシンディーのときとは違うのだ。なにも証拠がないのだから、話せばきっと、わかってもらえる。
「……離縁の理由は、なんと?」
深呼吸してから、アンガスが低く問いかけると、執事は「簡潔にお伝えいたしますと」と、機械のように、感情のない声で口火を切った。
「アンガス様に理想の妻──美人で全身のケアが行き届いている女性ができ、アンガス様はその方と結婚したいそうなので、離縁することに決めたと」
──あいつ!
アンガスは血がでるほど強く、唇を噛み締めた。
「すべてでたらめだ! ぼくはそんなこと、一言も言ってない! どうしてそんな嘘、信じたんだ!!」
「──ちなみに。あなた様に理想の妻とやらができてからエミリアお嬢様にどんな言葉を浴びせてきたのかも、きっちり手紙には記されていましたことを、お伝えしておきます」
ひやりとした双眸に、アンガスが息を詰まらせる。でも、ここで負けるわけにはいかないのだ。
「違う! ぼくは、エミリアに少しでも魅力的になるように努力してほしかっただけだ! 家事も、手を抜いていたから注意しただけで……っっ」
喚くアンガスの視線の先にある屋敷の扉が開いた。そこから出てきた人物がこちらに向かってつかつかと歩いてくるのが見え、アンガスは執事から、勢いよくそちらに視線を移した。
「ブルーノ子爵! 良かった。この執事がどうしても中に入れてくれなくて……大切なお話があるのですが、その前に、水を一杯だけいただけませんか? 喉がカラカラで」
険しい表情のブルーノ子爵が、執事に目配せをする。執事は頷くと、あっさり門扉を開けた。
「流石はブルーノ子爵。やはり貴族はちが──」
ゴッ!!
(…………え?)
鈍い音があたりに響き、気付けばアンガスは地面に倒れていた。一呼吸遅れて、痛みが左頬に集中していく。ブルーノ子爵のこぶしに、あれで殴られたのだとなぜか冷静に分析することができた。
「なんとうるさい小蝿よ。エミリアはここにはおらん。わかったらとっとと失せろ。もしまたその顔を私の前に見せたら、次はこの程度ではすまさんぞ」
仁王立ちするブルーノ子爵を、地面に頬をつけたアンガスは目だけで見上げていたが、くるりと踵を返し、屋敷に足を向けたブルーノ子爵に焦り、無理やり上体を起こした。
「……かはっ。ま、待ってくだ……な、なら、エミリアは……ど、どこに……あいつが一人で生きていくことなんて……で、できないはず」
血の味が広がり、口の中と外が痛んでうまく話せないアンガスがそれでも言葉を紡ぐと、ブルーノ子爵はゆらりと、アンガスを振り返った。
「屑が。だからどんな扱いをしようとエミリアがお前から離れるわけがないと、そう高をくくっていたのか?」
「……ご、誤解です。エミリアからなにを吹き込まれたのかは知りませんが、すべては事実無根です。だって、なにも証拠なんてないですよね……? ブルーノ子爵は、エミリアの手紙に記されたものが事実だと、なぜわかるのです?」
「──私の娘が、嘘をついたと?」
貴族特有の圧を感じ、アンガスがたらっと汗を流す。それでもアンガスは食い下がる。
「……む、娘だからとなにもかも鵜呑みにするのは、いかがなものかと」
ブルーノ子爵は僅かに沈黙した後、アンガスに向き直った。
「──幸せにすると、誓ったな」
言葉に、アンガスの身体がびくんと跳ねた。
「必ず、エミリアを幸せにすると。だから私は、貴様との結婚を許した。苦労は承知。アンガスと一緒にいられるならそれだけで幸せだと笑っていたエミリアが、お前と離縁することをみずから選んだ。私には、それがすべてだ」
「…………あ」
そうだ。団長とシンディーとは違う。
ブルーノ子爵は、エミリアの親なのだ。結びつきは、アンガスとは比べものにならない。そんな当たり前なことに気付き、アンガスはようやく、諦めたように項垂れた。
ブルーノ子爵は背を向け「あやつはきちんと、一人で生きていく道を見つけたようだ──私に頼ってきても、よかったのに」と呟いてから、今度こそ振り返ることなく、去って行った。
「……え……?」
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