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先ほどまではアンガスを擁護する声もあったが、いまはもう、アンガスに向けられるそれは、不信感しかない。
やはり、みなの前でこいつの本性を暴いてよかったと、団長は胸中で呟き、手の中にある紙に視線を向けた。
「……その通りだ。こいつは自分の妻に、他の女性を愛していると公言していた。一部、居酒屋での会話を読み上げる。離縁したくなったかというエミリア・ブルーノの問いに、こいつはこう答えている。『そんなもの、シンディーさんに出会ってから常に頭の片隅にはあったよ』とな」
アンガスは覚えのある台詞に、ぞっとした。本当にあのときの会話はすべて聞かれていたのだと、身をもって自覚したからだ。
「シンディーさんと出会った日って……もしかして、半年前の慰労会のことか? その日からずっとシンディーさんを好きだったってこと? 嘘だろ?」
同期の質問に、アンガスは俯いたまま答えようとしない。
こんな奴だったのか。倫理観の欠片もないと、アンガスを知る騎士団の男たちが軽蔑の言葉をアンガスに浴びせる。
しかし。本題はむしろここからだった。
「違うのです、みなさん。この男はみなさんが想像するよりも、もっと最低な男なのです」
静かに怒りを燃やすシンディーに、一人の騎士の妻がもらした「……いまので充分、最低かと」との呟きに、その通りですね、と頷きながら、自身の両手をみんなに見えるように前に出した。
「わたくしの手、荒れていないでしょう? 髪も、お肌も」
ぴくん。真っ先に反応したのは、アンガス。けれど他のみんなは、シンディーがなにを言いたいのかまるでわかっていない様子だった。
続いてシンディーは、テーブルの上に並べられた料理に手のひらを向けた。
「料理も、素敵でしょう? それはそうですよね。わたくしではなく、シェフが作っているのですから」
アンガスが「……そうなのですか?」とキョトンとする。
まるで、そんなこと考えもしていなかったと言わんばかりの表情に、シンディーは心の底から呆れた。
シンディーも、エミリアと同じ。元貴族令嬢だった。ただし、団長──クリフトンとは、十五歳になってから出会った。お互いに一目惚れだったが、シンディーには、親が決めた婚約者がいた。
当然、クリフトンとの仲は許可されなかった。貴族令息だったクリフトンが、爵位が継げる長男だったらまた親の意見も違ったかもしれないが、あいにくクリフトンは、長男ではなかった。
クリフトンと一緒になるのなら、お前を除籍する。父親の条件をシンディーは迷うことなく受け入れ、クリフトンと結婚した。
経緯こそ違うものの、エミリアたちと同じで、親からの援助は一切なし。家事も未経験。そんなところから、クリフトンとシンディーの新婚生活は、はじまった。
使用人も雇えない。家事や他のこともすべて、自分でしなければならない。一気に生活が変わり、シンディーも苦労した。その経験があったからこそ、はじめてエミリアに会い、あいさつを交わしたとき、そっと手を見てみた。
それは、きちんと家事を頑張っている手だった。
エミリアが元貴族令嬢だということは耳にしていたから、よけいに親近感が湧いた。頑張って。愛する人が傍にいるなら、大丈夫よね。そんなことを、そっと心の中で呟いていた。
──だからこそ、許せなかった。
エミリアとアンガスとの会話の記録を見て、アンガスが吐いた言葉の数々に、腹の底から怒りが湧いた。
(……酷い、なんてものじゃないわ)
『見た目にも気をつかえなくて、気配りもできないなんて。最低だな』
『……後悔するなよ。無能がっ』
クリフトンから聞いた人物像とあまりにかけ離れていて、唖然とした。先にこれに目を通したクリフトンも、口元に手を当て、青い顔をしていたから、きっと同じ気持ち──いや、アンガスを知る者だからこそ、よりショックは大きかったろう。
会話を実際に聞いて、こうして紙に文字として記録したのは、二人が信用する使用人たちだ。そこに疑いを持つ選択肢は、二人にはなかった。
「これが、真実……これが、本性」
シンディーの、紙を持つ手が震えた。
──でも。
「手も髪もお肌も。荒れていないのは、使用人たちがわたくしの代わりに家事をしてくれているから。もっといえば、みんなを雇えるお金があるから。そして、それだけのお給金を稼いできてくれる旦那様がいるから」
数年かかってしまったけどね、と団長が申し訳なそうにすると「そうでしたか?」と、シンディーは惚けたように頬を緩めた。
クリフトンは優しかった。いつだってシンディーに感謝し、敬意をもって接してくれていた。シンディーと出会う前のアンガスも同じだったが、それはもう、シンディーの知るところではない。
「あなたは騎士として街に貢献し、手柄を立て、男爵の地位を授けられた。そのおかげでわたくしの手は、こんなにも綺麗になりました。ありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。ずっと私を支えてくれて。昔のきみの手はいつも赤く腫れていて、とても申し訳なく思っていたよ」
二人のやり取りに、アンガスだけが大量の冷や汗を流し、全身を小刻みに震えさせていた。
遠回しに、責められている。それはすなわち、知っているということ。居酒屋での会話だけを把握しているなら、ありえないことまで。
(……言ってない。あの日はそんなこと、言ってなかった、よな……?)
軽いパニックの中、必死で思い返す。でももう、頭が正常に回ってくれない。
クリフトンとシンディーが冷たくアンガスを見詰めるが、アンガスは俯いているので、気付かない。その余裕もない。
「──そう。わたくしが身なりを気遣えるようになったのは、クリフトンが男爵位を授けられ、金銭的に余裕ができたから。その前は、エミリアさんたちと同じように、手も髪もお肌も荒れていました。でもそれは、家事を頑張っている証でもありました。なのに──」
シンディーは、射るような鋭い視線をアンガスに向けた。
「あなたはわたくしとエミリアさんを比べては、エミリアさんに随分と酷い暴言を吐いていたそうですね」
やはり、みなの前でこいつの本性を暴いてよかったと、団長は胸中で呟き、手の中にある紙に視線を向けた。
「……その通りだ。こいつは自分の妻に、他の女性を愛していると公言していた。一部、居酒屋での会話を読み上げる。離縁したくなったかというエミリア・ブルーノの問いに、こいつはこう答えている。『そんなもの、シンディーさんに出会ってから常に頭の片隅にはあったよ』とな」
アンガスは覚えのある台詞に、ぞっとした。本当にあのときの会話はすべて聞かれていたのだと、身をもって自覚したからだ。
「シンディーさんと出会った日って……もしかして、半年前の慰労会のことか? その日からずっとシンディーさんを好きだったってこと? 嘘だろ?」
同期の質問に、アンガスは俯いたまま答えようとしない。
こんな奴だったのか。倫理観の欠片もないと、アンガスを知る騎士団の男たちが軽蔑の言葉をアンガスに浴びせる。
しかし。本題はむしろここからだった。
「違うのです、みなさん。この男はみなさんが想像するよりも、もっと最低な男なのです」
静かに怒りを燃やすシンディーに、一人の騎士の妻がもらした「……いまので充分、最低かと」との呟きに、その通りですね、と頷きながら、自身の両手をみんなに見えるように前に出した。
「わたくしの手、荒れていないでしょう? 髪も、お肌も」
ぴくん。真っ先に反応したのは、アンガス。けれど他のみんなは、シンディーがなにを言いたいのかまるでわかっていない様子だった。
続いてシンディーは、テーブルの上に並べられた料理に手のひらを向けた。
「料理も、素敵でしょう? それはそうですよね。わたくしではなく、シェフが作っているのですから」
アンガスが「……そうなのですか?」とキョトンとする。
まるで、そんなこと考えもしていなかったと言わんばかりの表情に、シンディーは心の底から呆れた。
シンディーも、エミリアと同じ。元貴族令嬢だった。ただし、団長──クリフトンとは、十五歳になってから出会った。お互いに一目惚れだったが、シンディーには、親が決めた婚約者がいた。
当然、クリフトンとの仲は許可されなかった。貴族令息だったクリフトンが、爵位が継げる長男だったらまた親の意見も違ったかもしれないが、あいにくクリフトンは、長男ではなかった。
クリフトンと一緒になるのなら、お前を除籍する。父親の条件をシンディーは迷うことなく受け入れ、クリフトンと結婚した。
経緯こそ違うものの、エミリアたちと同じで、親からの援助は一切なし。家事も未経験。そんなところから、クリフトンとシンディーの新婚生活は、はじまった。
使用人も雇えない。家事や他のこともすべて、自分でしなければならない。一気に生活が変わり、シンディーも苦労した。その経験があったからこそ、はじめてエミリアに会い、あいさつを交わしたとき、そっと手を見てみた。
それは、きちんと家事を頑張っている手だった。
エミリアが元貴族令嬢だということは耳にしていたから、よけいに親近感が湧いた。頑張って。愛する人が傍にいるなら、大丈夫よね。そんなことを、そっと心の中で呟いていた。
──だからこそ、許せなかった。
エミリアとアンガスとの会話の記録を見て、アンガスが吐いた言葉の数々に、腹の底から怒りが湧いた。
(……酷い、なんてものじゃないわ)
『見た目にも気をつかえなくて、気配りもできないなんて。最低だな』
『……後悔するなよ。無能がっ』
クリフトンから聞いた人物像とあまりにかけ離れていて、唖然とした。先にこれに目を通したクリフトンも、口元に手を当て、青い顔をしていたから、きっと同じ気持ち──いや、アンガスを知る者だからこそ、よりショックは大きかったろう。
会話を実際に聞いて、こうして紙に文字として記録したのは、二人が信用する使用人たちだ。そこに疑いを持つ選択肢は、二人にはなかった。
「これが、真実……これが、本性」
シンディーの、紙を持つ手が震えた。
──でも。
「手も髪もお肌も。荒れていないのは、使用人たちがわたくしの代わりに家事をしてくれているから。もっといえば、みんなを雇えるお金があるから。そして、それだけのお給金を稼いできてくれる旦那様がいるから」
数年かかってしまったけどね、と団長が申し訳なそうにすると「そうでしたか?」と、シンディーは惚けたように頬を緩めた。
クリフトンは優しかった。いつだってシンディーに感謝し、敬意をもって接してくれていた。シンディーと出会う前のアンガスも同じだったが、それはもう、シンディーの知るところではない。
「あなたは騎士として街に貢献し、手柄を立て、男爵の地位を授けられた。そのおかげでわたくしの手は、こんなにも綺麗になりました。ありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。ずっと私を支えてくれて。昔のきみの手はいつも赤く腫れていて、とても申し訳なく思っていたよ」
二人のやり取りに、アンガスだけが大量の冷や汗を流し、全身を小刻みに震えさせていた。
遠回しに、責められている。それはすなわち、知っているということ。居酒屋での会話だけを把握しているなら、ありえないことまで。
(……言ってない。あの日はそんなこと、言ってなかった、よな……?)
軽いパニックの中、必死で思い返す。でももう、頭が正常に回ってくれない。
クリフトンとシンディーが冷たくアンガスを見詰めるが、アンガスは俯いているので、気付かない。その余裕もない。
「──そう。わたくしが身なりを気遣えるようになったのは、クリフトンが男爵位を授けられ、金銭的に余裕ができたから。その前は、エミリアさんたちと同じように、手も髪もお肌も荒れていました。でもそれは、家事を頑張っている証でもありました。なのに──」
シンディーは、射るような鋭い視線をアンガスに向けた。
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