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「エミリアさんに離縁されて、少しは反省の色が見えるのではと思っていましたが……よもや、エミリアさんを悪者にするなんて。どこまで腐っているのでしょう」

 眉をひそめ、シンディーがスカートの裾を力任せに握る。なぜこうも一方的に責められるのか、アンガスは理解に苦しんだ。エミリアがなにを訴えたとしても、証拠なんてなにもない。ならば、こちらの言い分を少しは聞いてくれてもいいはずなのに、その隙がまるでない。

 ぽん。
 団長はシンディーの肩に手を置くと、任せろと言うように頷いてみせた。シンディーが無言でこくりと首を上下に動かすと、団長は口火を切った。

「貴様の妻──いや、もう元妻だったな。元妻のエミリア・ブルーノがこの屋敷に来たのは、今朝がはじめてではない。お前が遠征に赴いているあいだに、一度、私たちを訪ねてきた。どうしても、伝えなければならない大切なことがあると」

 団長の言葉に、アンガスは身体を硬直させた。鼓動が早くなり、心臓の音が見る間にうるさくなっていく。

(……団長たちに伝えなければならない大切なこと……?)

 シンディーに好意を寄せていることを、わざわざ伝えにきたのか。それとも、シンディーに、アンガスが求める妻像に近付けるように努力しろと命令したことを愚痴りにきたのか。

 どちらにせよエミリアがとった行動は、アンガスにとって裏切り行為そのものだった。

 ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。

 脳内が、その台詞に占められた。

「──その話を信じる根拠がどこにあるですか?!」

 顔を俯かせたまま、アンガスは叫んだ。伝えなければならない大切なことがなんなのか、他の者はなにもわからず、なぜそんなにアンガスが激高するのかも理解不能だった。だから注目されている三人以外は遠巻きに見ているだけで、誰も口を挟む者はいなかった。いや、挟めなかった。

「……やはりあなたには、覚えがあるようですね。エミリアさんが、わたくしたちに伝えたかったことが」

 そこではじめて、アンガスは失言に気付いた。団長はあくまで、伝えなければならない大切なことがあると言っただけで、内容にはまだ触れていなかったのだ。

「……シンディーさんたちは知らないでしょうが、あいつは卑怯なところがありました。だからきっと、ろくなことを告げていない。そう考えたうえでの、発言です。エミリアをよく知るぼくだからこそ、あいつがなにを言ったのか、想像ができたんです」

 あくまで冷静に。冷静に。

 身体中を駆けめぐる怒りをおさえ、呪文のように唱える。

 団長は「お前は真面目で、紳士的なやつだと思っていたよ」と頭を抱えた。

「……私も見る目がない。すっかり騙されていた。騙されるところだった」

「団長。あなたとぼくは、背中を預け合える仲間ではなかったのですか。どうしてそこまでエミリアを信じられるのですか!?」

「──そうですね。絆はきっと、あなた方の方が上だったのでしょう。だからこそエミリアさんは、わたくしたちに頼みにきたのです」

 シンディーの凛とした声色が響いた。アンガスはゆっくりと「……なにを」と、団長からシンディーへと視線を移した。





 ──ときは、半月前にさかのぼる。


 団長とシンディーが居間で寛いでいると、メイドが「アンガス様の奥様が旦那様と奥様に大切なお話があると屋敷を訪ねて来られましたが、いかがいたしましょう」とやってきた。

 思わず、顔を見合わせる二人。アンガスが騎士団に入って一年。その妻であるエミリアと会話したのは数えるほど。

 時計を見れば、午後七時過ぎ。

 約束もなしに訪問するには、いささか遅い気もした。

「なんだろう……アンガスはいま、遠征中だが」

「けれど、たしか元貴族令嬢の方でしたし、非常識なことはしないと思います。なにかよほど、急ぎ、わたくしたちに伝えたいことがあるのではないでしょうか」

「……そうだな。うん。ここに通してくれ」

 命じると、メイドは「はい」と腰を折り、すぐにエミリアを居間へと通した。許しを得たエミリアは、まず、深く謝罪した。

「約束もせず、突然の訪問、お許しください。夫と仲の良い、顔見知りの騎士の方にちょうどお会いできまして。失礼ながら、団長様のお仕事を終える時刻を、勝手にお聞きしました。申し訳ございません」

「それは、私が屋敷に帰っていると確信がもてたから、ここに来たということですか?」

「はい、その通りです」

「それほどまでに大切な話だと?」

「……わたしの考えすぎかもしれません。でも、万が一のことが起きてからでは遅いですから」

「万が一、とは。私たちになにか起こるということですか?」

 エミリアは「……いえ、シンディーさんにです」と、迷いながらもはっきり告げた。

 真剣な双眸に、シンディーは「お茶を出してさしあげて」と、控えていたメイドに命じ、エミリアに、正面の椅子をすすめた。

「どうぞ、お座りになってくださいな」

「あ、いえ。わたしはお二人にこうしてお話を聞いていただけるだけで充分ですので、これ以上の気遣いは」

「そんなわけにはまいりません。だってエミリアさんは、わたくしのためにこうしてわざわざお屋敷まで訪ねてきてくれたのでしょう?」

 緊張しながらも優しく微笑みかけてくれるシンディーに、エミリアは思った。

 ──ああ、やはり。迷いながらも、ここに来てよかったと。

 失礼します。と、席に着く。目の前のテーブルに置かれた紅茶入りのカップをじっと見詰め、一呼吸置いてから、口火を切った。

「わたしは、アンガスと離縁します」

 二人が、え、と目を見開く。でも、伝えたいのは、そこじゃない。

「それはどうでもよいのです。問題は、アンガスがシンディーさんを愛してしまっていることなのです。想うだけならよいのですが、アンガスのものは……なんと言いますか」

 耐えきれず、シンディーは「ま、待ってくださいっ」と声を上げた。

「アンガスさんは、あなたの夫ですよね?」

「はい」

「愛しているのはわたくしではなく、エミリアさんなのでは……?」

 エミリアが「残念ながら」と薄く笑うと、団長は重苦しく、だから離縁を、と呟いた。それにエミリアは、それが直接の要因ではありませんがと、前置きしてから続けた。
 
「きっといま説明しても、信じてもらえないと思います。団長様の目にアンガスはきっと、人柄の良い人物に映っているでしょうから」

「? そう、ですね。真面目で、とてもいいやつだと……」

「だからこそ、お願いにまいりました。アンガスの本性を知ってもらわないことには、危険性も理解してもらえないでしょうから」

 二人の頭には疑問符が浮かび、エミリアに対して少しだけ、不気味さすら感じていた。しかし、危険がシンディーに及ぶ可能性がある以上、話を聞かないという選択肢はなかった。

 団長の「お願い、とは」という問いかけに、エミリアは──。





「遠征から戻るその日に、あなたを連れ出し、とある居酒屋に向かう。そのときの会話を、聞いてほしい。そしてあなたの本性を知ってほしいと」

 あの日。エミリアが口にしたお願いをシンディーが述べる。


 アンガスは、ひゅっと息をのんだ。


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