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「ねえ、アラーナお姉様。お願いしたいことがありますの」
自室に戻ろうとするアラーナに、アヴリルが甘えた声音で、声をかけてきた。アラーナがこっそりとため息をつく。今度は何だろう。わたしの服かアクセサリーが欲しいのか。それとも、課題をかわりにやってほしい、とかだろうか。
「テレンスがね、欲しいの。あたしの護衛役と、交換してくれない?」
アラーナは凍りついた。
テレンスが欲しい?
護衛役を交換?
アヴリルの言葉の意味をようやく理解したアラーナは、自身でも意図しないところで、叫んでいた。
「──駄目!!」
しん。
廊下が、一瞬だけ静まり返った。アヴリルがびっくりした顔をしているが、誰より驚いていたのは、アラーナ自身だった。
「……あ、えと」
戸惑うアラーナに、正気を取り戻したアヴリルは、ムカムカと腹が立ってきた。何でもはいはいと言うことを聞く、見下している姉に拒否されたことで、プライドが傷付けられた気がしたのだろう。
「もういいわよ、この分からず屋!」
踵を返すアヴリル。待って。叫ぶが、アヴリルがアラーナの言葉に従うはずもなく。
「……どう、しよう。テレンス、取られちゃう」
今まで、たくさんのものをアヴリルに取られてきた。でも、ここまで苦しく、怖かったことはない。
──いや。いや。いや。
やめて。他のもの、全部あげるから。
どうか、テレンスだけは──。
ふっ。
目を覚ましたアラーナの、滲む視界のすぐ近くに、テレンスはいた。窓から差し込む朝日の中、気持ちよさそうに眠っている。
(そっか……わたし、あのときから、テレンスのこと独占したかったんだ)
眠るテレンスの頬に、そっと触れてみる。温かい。続いて、テレンスの胸に耳をあて、心臓の音を聞いた。目を閉じ、全身でテレンスを感じる。
──ああ。わたし、いま、幸せなんだ。
(いまのわたしを家族とエイベル殿下が見たら、どんな顔をするのかしら)
どういでもいいと切り捨て、興味も示さないかもしれないけど。アヴリルなら、アラーナお姉様のくせにと、罵詈雑言を浴びせてくるかもしれない。
クスクス。その様子を思い描くと、思わず笑みがこぼれてきた。だっていまなら、わたしの方が幸せだと、胸を張って言える。あんな家族と男に愛されたいなんて、もう思わないから。
ただ少しだけ、心残りがあるとすれば。
(……わたしの代わりは、もう見つかったのかな)
あのわがままなアヴリルが王妃教育を受けるとは思えないし、エイベルがアヴリルを手放すとも思えない。だとすれば、きっと、代わりを用意するはず。あの人たちの性根は、変わらないだろうから。その代わりとなる人にだけは、心から申し訳なく思う。
──いや、違う。もう一人。
「……トマス」
脳裏に浮かんだ人の名を、無意識に呟く。考えないようにしていた者の名を。
優しい人だった。唯一、心を痛めてくれる人だったからこそ、申し訳なさでいっぱいになる。優しい人は、何も悪くないのに、自分を責めるから。
「──恋人が寝ている前で、他の男の名を呼ぶかな。普通」
耳元で囁かれ、アラーナは思考を止めた。
「いつから起きてたの?」
「ついさっき」
「……もしかして、嫉妬とか、したり」
期待するような双眸を向けてくるアラーナに、怒りがしぼんでいくテレンス。
「……するよ、そりゃ」
そうなんだ。アラーナが嬉しそうに抱きついてきたので、テレンスはやれやれとアラーナの背中に腕をまわした。
──叶うなら、トマスにだけは、感謝の言葉と共に、幸せであることを伝えたい。でもそれは、あまりにリスクが大き過ぎるから。
(ごめんね、トマス。代わりにわたしは、あなたの幸せを祈るから)
──一年後。
アラーナとテレンスはみなに祝福されながら結婚し、さらにその一年後、女の子を授かることになる。
自室に戻ろうとするアラーナに、アヴリルが甘えた声音で、声をかけてきた。アラーナがこっそりとため息をつく。今度は何だろう。わたしの服かアクセサリーが欲しいのか。それとも、課題をかわりにやってほしい、とかだろうか。
「テレンスがね、欲しいの。あたしの護衛役と、交換してくれない?」
アラーナは凍りついた。
テレンスが欲しい?
護衛役を交換?
アヴリルの言葉の意味をようやく理解したアラーナは、自身でも意図しないところで、叫んでいた。
「──駄目!!」
しん。
廊下が、一瞬だけ静まり返った。アヴリルがびっくりした顔をしているが、誰より驚いていたのは、アラーナ自身だった。
「……あ、えと」
戸惑うアラーナに、正気を取り戻したアヴリルは、ムカムカと腹が立ってきた。何でもはいはいと言うことを聞く、見下している姉に拒否されたことで、プライドが傷付けられた気がしたのだろう。
「もういいわよ、この分からず屋!」
踵を返すアヴリル。待って。叫ぶが、アヴリルがアラーナの言葉に従うはずもなく。
「……どう、しよう。テレンス、取られちゃう」
今まで、たくさんのものをアヴリルに取られてきた。でも、ここまで苦しく、怖かったことはない。
──いや。いや。いや。
やめて。他のもの、全部あげるから。
どうか、テレンスだけは──。
ふっ。
目を覚ましたアラーナの、滲む視界のすぐ近くに、テレンスはいた。窓から差し込む朝日の中、気持ちよさそうに眠っている。
(そっか……わたし、あのときから、テレンスのこと独占したかったんだ)
眠るテレンスの頬に、そっと触れてみる。温かい。続いて、テレンスの胸に耳をあて、心臓の音を聞いた。目を閉じ、全身でテレンスを感じる。
──ああ。わたし、いま、幸せなんだ。
(いまのわたしを家族とエイベル殿下が見たら、どんな顔をするのかしら)
どういでもいいと切り捨て、興味も示さないかもしれないけど。アヴリルなら、アラーナお姉様のくせにと、罵詈雑言を浴びせてくるかもしれない。
クスクス。その様子を思い描くと、思わず笑みがこぼれてきた。だっていまなら、わたしの方が幸せだと、胸を張って言える。あんな家族と男に愛されたいなんて、もう思わないから。
ただ少しだけ、心残りがあるとすれば。
(……わたしの代わりは、もう見つかったのかな)
あのわがままなアヴリルが王妃教育を受けるとは思えないし、エイベルがアヴリルを手放すとも思えない。だとすれば、きっと、代わりを用意するはず。あの人たちの性根は、変わらないだろうから。その代わりとなる人にだけは、心から申し訳なく思う。
──いや、違う。もう一人。
「……トマス」
脳裏に浮かんだ人の名を、無意識に呟く。考えないようにしていた者の名を。
優しい人だった。唯一、心を痛めてくれる人だったからこそ、申し訳なさでいっぱいになる。優しい人は、何も悪くないのに、自分を責めるから。
「──恋人が寝ている前で、他の男の名を呼ぶかな。普通」
耳元で囁かれ、アラーナは思考を止めた。
「いつから起きてたの?」
「ついさっき」
「……もしかして、嫉妬とか、したり」
期待するような双眸を向けてくるアラーナに、怒りがしぼんでいくテレンス。
「……するよ、そりゃ」
そうなんだ。アラーナが嬉しそうに抱きついてきたので、テレンスはやれやれとアラーナの背中に腕をまわした。
──叶うなら、トマスにだけは、感謝の言葉と共に、幸せであることを伝えたい。でもそれは、あまりにリスクが大き過ぎるから。
(ごめんね、トマス。代わりにわたしは、あなたの幸せを祈るから)
──一年後。
アラーナとテレンスはみなに祝福されながら結婚し、さらにその一年後、女の子を授かることになる。
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