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第6章 自我の目覚め
8話 その手を引きたい
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「でも、ミソラさまも甲ですよね……? 確かにミソラさまからも、花のような香りがして、頭がぼうっとしてしまうような感じはあったけど……あんな、あなたとの時みたいなことにはならなかった。あの時も俺は発情を起こしていて、その最中にミソラさまに会ったけれど、あんな強い衝動は起こりませんでした。だから、」
だから、あの時がたまたま何かが重なっておかしくなっただけで、また同じようになるとは限らないんじゃないか。蘇芳はそう言いたかった。
しかし、苛立ったような声が、蘇芳に皆まで言うことを許さなかった。
「だから、俺がお前の〝唯一〟なんじゃないかって言いたいのか? ハッ、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。……お前も結局、そのクチか」
晴弥の声には軽蔑と、微かな落胆が感じられた。何か大きな勘違いをされている、その誤解を解きたい気持ちよりも先に、誤解の上だとしても晴弥が自分への失望を露わにした、その衝撃できゅっと鳩尾が痛む。
「ちが、」
もどかしさに泣きたいような気持ちになったが、ぐっと堪えた。自分だってもう人の年齢ではとっくに成人した大人だけれど、晴弥にはきっと到底及ばない。こんなことで子ども扱いされてしまったら、自分の言うことに聞く耳を持ってはくれないだろう。
晴弥が今にもこの場からいなくなってしまいそうで、それだけはどうしても防ぎたくて、蘇芳は何とか言葉を続けようとした。
「何が違う。お前は第二性が発現して初めて関係を持った相手が俺だったから、俺に執着しているだけだ。俺だってあんなふうにしたくてしたわけじゃないしな」
「……っ」
そうではないかと考えなかったわけではないのに、はっきりと言葉にされて、蘇芳は自分が思っていた以上に動揺しているのを感じた。
自分が望んだように、晴弥もまた自分を望んで触れてくれたのだと思いたかったのだと、自分の都合のいい期待を持っていたと突きつけられるような、鋭利な刃物で浅く傷をつけられるような心地になる。
しかしなぜか蘇芳の様子に晴弥が焦ったような声を上げた。
「っあー、そうじゃねえ、したくてしたんじゃねえってのは、嫌々とか無理矢理だったって意味じゃねえ。ただ……俺だってこんなふうになったことがない。それがなぜなのかは分からねえ。でもそれが俺たちの血に流れる第二性だし、それを変に美化して唯一だとか言い始めれば、俺たちを産み落として平気な顔をしてる連中と変わらなくなる。それだけは絶対にごめんだ。俺はあいつと同じにはならない」
晴弥の言っていることは分かるようで分からなくて、ただ、果てしない寂しさを感じた。
晴弥がどのくらいの時をそうして一人で過ごしてきたのか、蘇芳は知らない。気の遠くなるような間、そうして全てを拒んで、一人で生きてきたのかもしれない。
それを思うと、伸ばした手を引くことは出来なかった。嗤われても、拒絶されても、蘇芳は引き返したくなかった。
あいつ、というのが誰を指しているのか、蘇芳にももう分かる。そうかもしれないと思えば、自分がその名を出した時の反応も、自分のことを知っていて近くにいたのも、あと一歩で鳥居を潜ろうとした時にそこから遠ざけられたのも、全てに筋が通る。
——そうか……このひとは、ミソラさまの……。
「まあ、俺はああやって時折人を騙して遊んだりもするが、あいつらのように人の命をどうこうしようとかいうつもりはない。退屈しのぎの範囲だ。だからお前が気にかけるようなことじゃない。俺に関わろうと思うな。俺なんかのことはさっさと忘れて、お前はお前で生きろ」
どうしたら、手を差し出せるだろうか。まだ自分にも、晴弥の見ているもののほんの片鱗しか掴めていなくて、それをうまく言葉にして伝えられないのが分かっている。
——伝えたいのに。あなただって俺のことを全然分かっていないし、あなたの言うこともきっと正しいけれど正しくない。それを、どうしたら分かってもらえるだろう。
蘇芳がぐるぐると思い悩むのをよそに、晴弥は言葉を重ねる。
「……今となっちゃ、あいつのところに行こうとしてたのを俺が止めたような形になったのだって、すべきじゃなかったのかもしれねえ。お前が誰かに居場所を作ってほしくて、それがあいつのところだってんなら、それはお前の自由で、俺が口出しをすることじゃない」
「そんな……」
言っていることが本心からだとしたら、ひどく落ち込む突き放し方だった。けれど、その口調に、いつかの母親に怒られて逃げ出して行った男児の姿が重なる。
自分より遥かに長い年月を生きているだろう晴弥を、蘇芳はどうしてかその手を引いて歩きたいような心地になっていた。
だから、あの時がたまたま何かが重なっておかしくなっただけで、また同じようになるとは限らないんじゃないか。蘇芳はそう言いたかった。
しかし、苛立ったような声が、蘇芳に皆まで言うことを許さなかった。
「だから、俺がお前の〝唯一〟なんじゃないかって言いたいのか? ハッ、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。……お前も結局、そのクチか」
晴弥の声には軽蔑と、微かな落胆が感じられた。何か大きな勘違いをされている、その誤解を解きたい気持ちよりも先に、誤解の上だとしても晴弥が自分への失望を露わにした、その衝撃できゅっと鳩尾が痛む。
「ちが、」
もどかしさに泣きたいような気持ちになったが、ぐっと堪えた。自分だってもう人の年齢ではとっくに成人した大人だけれど、晴弥にはきっと到底及ばない。こんなことで子ども扱いされてしまったら、自分の言うことに聞く耳を持ってはくれないだろう。
晴弥が今にもこの場からいなくなってしまいそうで、それだけはどうしても防ぎたくて、蘇芳は何とか言葉を続けようとした。
「何が違う。お前は第二性が発現して初めて関係を持った相手が俺だったから、俺に執着しているだけだ。俺だってあんなふうにしたくてしたわけじゃないしな」
「……っ」
そうではないかと考えなかったわけではないのに、はっきりと言葉にされて、蘇芳は自分が思っていた以上に動揺しているのを感じた。
自分が望んだように、晴弥もまた自分を望んで触れてくれたのだと思いたかったのだと、自分の都合のいい期待を持っていたと突きつけられるような、鋭利な刃物で浅く傷をつけられるような心地になる。
しかしなぜか蘇芳の様子に晴弥が焦ったような声を上げた。
「っあー、そうじゃねえ、したくてしたんじゃねえってのは、嫌々とか無理矢理だったって意味じゃねえ。ただ……俺だってこんなふうになったことがない。それがなぜなのかは分からねえ。でもそれが俺たちの血に流れる第二性だし、それを変に美化して唯一だとか言い始めれば、俺たちを産み落として平気な顔をしてる連中と変わらなくなる。それだけは絶対にごめんだ。俺はあいつと同じにはならない」
晴弥の言っていることは分かるようで分からなくて、ただ、果てしない寂しさを感じた。
晴弥がどのくらいの時をそうして一人で過ごしてきたのか、蘇芳は知らない。気の遠くなるような間、そうして全てを拒んで、一人で生きてきたのかもしれない。
それを思うと、伸ばした手を引くことは出来なかった。嗤われても、拒絶されても、蘇芳は引き返したくなかった。
あいつ、というのが誰を指しているのか、蘇芳にももう分かる。そうかもしれないと思えば、自分がその名を出した時の反応も、自分のことを知っていて近くにいたのも、あと一歩で鳥居を潜ろうとした時にそこから遠ざけられたのも、全てに筋が通る。
——そうか……このひとは、ミソラさまの……。
「まあ、俺はああやって時折人を騙して遊んだりもするが、あいつらのように人の命をどうこうしようとかいうつもりはない。退屈しのぎの範囲だ。だからお前が気にかけるようなことじゃない。俺に関わろうと思うな。俺なんかのことはさっさと忘れて、お前はお前で生きろ」
どうしたら、手を差し出せるだろうか。まだ自分にも、晴弥の見ているもののほんの片鱗しか掴めていなくて、それをうまく言葉にして伝えられないのが分かっている。
——伝えたいのに。あなただって俺のことを全然分かっていないし、あなたの言うこともきっと正しいけれど正しくない。それを、どうしたら分かってもらえるだろう。
蘇芳がぐるぐると思い悩むのをよそに、晴弥は言葉を重ねる。
「……今となっちゃ、あいつのところに行こうとしてたのを俺が止めたような形になったのだって、すべきじゃなかったのかもしれねえ。お前が誰かに居場所を作ってほしくて、それがあいつのところだってんなら、それはお前の自由で、俺が口出しをすることじゃない」
「そんな……」
言っていることが本心からだとしたら、ひどく落ち込む突き放し方だった。けれど、その口調に、いつかの母親に怒られて逃げ出して行った男児の姿が重なる。
自分より遥かに長い年月を生きているだろう晴弥を、蘇芳はどうしてかその手を引いて歩きたいような心地になっていた。
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