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第4章 第二性

7話 ずっと前から知っていた

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「……あ……」
 蘇芳の鼻先を濃く甘い風が掠めて、気づいた。
 稲荷神社の古びた鳥居。
 どこをどう歩いてきたのか分からないが、蘇芳の目の前にぽっかりと開けた空間に立っているそれは、懐かしい空気を纏って蘇芳を手招いているようだった。
 ‪—‬—ここをくぐれば……
 ミソラの穏やかな笑顔に許されたい自分の現金さに泣き笑いになりながら、蘇芳の足は一歩、また一歩と鳥居へ吸い寄せられる。
 もう、次のひと足であやかしの世界との境を越える、その一歩を踏み出そうとした時だった。
 蘇芳の脇腹に、鈍い衝撃が走った。
「……!?」
 視界がぐるりと回り、木々と空の残像が混ざり合う。
 温かな体温と、考える間もなく脳が蕩けそうになる香りが蘇芳を包んでいる。
 残り香も消えた麻布に触れては記憶から呼び起こしていたあの香りが、むせかえるほどに強く、濃く、蘇芳の細胞という細胞を震わせた。ずくりと下腹が疼いて、蘇芳は震える息を吐き出す。
 横抱きにされた姿勢から首を捻って見上げた先には、金の瞳が猛々しく蘇芳を見下ろしていた。
「え……」
 あれほど焦がれていたものを目の前にしているのに、あまりに思いがけないことの成り行きに、蘇芳の頭は思考を停止してしまっている。
 黙ったたまの蘇芳に焦れたのか、形のよい唇が開き、音を紡いだ。
「おい、お前、どこへ行こうとしてる」
 低く、張りのある声。
 一瞬で、蘇芳の記憶の奥底が揺さぶられ、声、顔、姿形の全てが結びつく。
 精悍なその顔を縁取る短い黒銀の髪も、少し浅黒い肌も、がっしりとした肩も、ずっと以前から蘇芳は知っていた。
 ‪—‬—そうか、貴方が。
 理由も経緯も何も分からなくても、この腕の中に自分がいることが答えで、ずっと自分が求めていたものの正体はこれだったのだと、蘇芳の心にすとんと落ちてくる。
 安堵が蘇芳の中で膨れ上がり、涙となって目から溢れた。
「っ、おい、どうした」
 少し焦ったような声が降ってくるのもお構いなしに、蘇芳は感情の迸るままに涙を流す。
「お会い、したかった」
 ずっと、貴方に。
 掠れた声で告げた蘇芳に、金眼のあやかしはぐっと眉を顰め、そして弾かれたように顔を上げて舌打ちする。
「つかまれ」
 短く告げるなり、蘇芳の身体を軽々と担ぎ上げ、あやかしは風を切って駆け出した。
「どこへ……」
 首元に頭をもたせかける格好になり、一層濃い香りに包まれて脳がくらくらしそうになりながら、蘇芳はかろうじて行き先を尋ねた。
 熱い肌に抗えず吸い付けば、宥めるように乱暴に頭を撫でられる。それすら心地よくて、蘇芳は陶然と首筋に顔を埋めた。
「あそこじゃ近すぎる」
 それが自分の発した問いに対する答えだと分かるまでに少しかかり、それから一体何にだろう、と思ったけれど、もう蘇芳には何もかもが大したことではなくて、あやかしのするがままに身を任せていた。
 身体が熱くて、触れているだけでどうかなりそうで、早く触れてほしくて、もどかしい。

 どさり、と降ろされて辺りを見渡すと、そこは崩れかけた古い祠のようなところだった。きっとかつてはしかるべき存在が祀られていたのだろうが、もう何の気配もない。
 横たえられた自分を上から見下ろす金の瞳に、熱が一気に上がる。
 ここには自分たちの他に誰もいない。誰に妨げられることもない。
 堪えていた何かが一気に噴き出すような感覚に襲われ、くらりと視界が歪んだ。
「ぁ、あ……」
 喉がからからで、吐く息も熱い。陶然とした心地のまま、蘇芳は縋るように手を伸ばして、その肌に手を触れた。指先から伝わる熱が、ちりちりと蘇芳を焦がす。
 蘇芳はたまらない気持ちになって、震える息を吐き出した。
「クソッ……!」
 眉を顰める金眼にその手が乱暴に引かれるのと同時に自分を包む香りが一際濃くなり、身体の奥がどろりと蕩けるのを感じながら、蘇芳は全ての思考を手放した。
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